15歳でアイドルデビュー。生意気になりすぎて1年で事務所を退所した過去も

──入学して5年後の'87年、アイドル歌手として『Love Song 探して』でデビューされていますが、当時のことは覚えていますか?

「はい。14歳で東京に出て、15歳のときにデビューしました。デビュー当時から、とにかく周りがちやほやしてくれたんです。例えばどこかに営業の挨拶に行くとなると、レコード会社のおじさんたちが10人くらいついてきて、みんな優しくしてくれる。最初のうちは毎回“ありがとうございます”と思っていたんですが、だんだん、よくしてもらうことが当たり前になっていった。だから周りから少しでも気を遣ってもらえなくなると、“みんな何やってんの”っていう気持ちになっていくんです。そんな感じで、あっという間に勘違いしてしまいましたね

──思い描いていたアイドル像と実際の芸能活動にギャップはありましたか?

「かなりありました! 今みたいにSNSで情報が入る時代ではなかったので、“デビューした人はみんな売れている”って思っていたんです。中森明菜さんや松田聖子さんのような大人気のアイドルがいる裏で、全然売れていない人がいるっていうことが想像できなかった。だから、“あれ、何で自分は『ザ・ベストテン』に出られないんだろう”みたいな(笑)」

──芸能界のキラキラした部分だけを想像していたのですね。

しかも、まだ子どもでしたから、スタッフに対してそのイライラをぶつけてしまっていた。売れていないうえに態度も悪いし生意気だったから、デビュー2年目を迎えたとき、事務所が“次の新人に力を入れていこう”っていう方針に変わったんです。代わりの新人を紹介されたその日から、その子の周りにすべてのスタッフがついて、私への手厚さは一気になくなり……。あの、世界がガラッと変わった瞬間は、今でもしっかりと覚えているくらい衝撃でした

──父であるマキノさんは当時、どのように言っていましたか?

“お前はチャンスをもらったのに、何の努力もしないで悪態ばかりついていた。周りの大人はお前のことが好きで優しくしていたわけじゃなくて、仕事だから、いかにお前に機嫌よくやってもらうかを考えて動いていただけだ。こうなったのはお前のせい”と言われて、そのとおりだと思いました。結局そのあと、父に事務所とレコード会社との契約を打ち切ってもらったんです。父は“アクターズに戻って、いちからやり直せ”と言いましたが、私はもう、沖縄に帰るのが恥ずかしくて……」

──周りの期待を背負って上京したら、なおさらでしょうね。

「当時、沖縄からデビューすると、空港で大勢の人たちに“バンザーイ!”って応援されながら送り出されるんですよ(笑)。周りもデビューしたらみんな人気が出ると思っているから、売れないで帰るなんて、どんな顔をして戻ったらいいのかわからなかった……。なので事務所を辞めてからも、半年くらいは原宿でバイトしながら、ダンスレッスンを受けに行くっていう日々を送っていました

──そこから、どのように持ち直されたのでしょうか。

沖縄に遊びのつもりでふらっと行ってアクターズを覗いてみたら、後輩だった子たちが自分よりも実力をつけて輝いていて、 “私、何やっているんだろう”っていう気持ちになりました。落ち込んでいたら友達が、“またアクターズで一緒にやろうよ”って言ってくれて。“私のことを、みんな変な風に思わないでいてくれるんだ”と感じて、帰ることができたんです。それからは、“二度と後悔しないように死に物狂いでやろう”って、強い覚悟を決めました

多感な思春期に、ある意味大きな“失敗”をしたものの、もう一度立ちあがろうと決意できた強さを尊敬します 撮影/伊藤和幸