『地獄でなぜ悪い』には二つの世界がせめぎあっている

『地獄でなぜ悪い』は不思議な聴き心地がする。耳で受け取った言葉のままに想像を続けていくと、つながるようでつながらない二つの大陸が現れるのだ。例えば、このフレーズ。

作り物だ世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ

 前の一文は「世界は自分の認識次第だ」と歌っているように私の耳には聞こえる。妄想で痛みを逃がし、花が女性のように見えるときもあるように、この世界は自分のイメージで創造できるのだと。

 しかし、そう一筋縄ではいかない。すぐさま後半のフレーズで、「ここが地獄である」という固有の世界観が述べられるのだ。その対応関係は「嘘でなにが悪いか」というサビの一節と、曲のタイトルの「地獄でなぜ悪い」が対の表現となっていることからもよくわかる。

 さらに、妄想で痛みを逃がす行為に対し《無駄だ ここは元から楽しい地獄だ》とすかさず否定する点も、嘘と地獄の対応関係をあえて際立たせているように感じ取れる。

 つまり、この一曲には「世界は作り物である」という極めて俯瞰(ふかん)的な世界観と、「ここは地獄である」という極めて個人的な世界観が、せめぎあっているのだ。一方では、哲学的に世界の解放を歌いながら、もう一方では、一人の視点から閉じた世界が歌われている。

 一曲の中でこんな聖☆おにいさんばりの同居を許しているのだから、そりゃ小さな私の頭の中がこんがらがってしまうのも無理がないのかもしれない。

 愚か者の自分としては、「で、星野さん、結局どっちなんすか」とツッコまざるをえないわけなのだが、ここで思い出したいのが、これまでに歌われてきた星野源の「嘘」たちのことだ。