劇場版『999』が名作と言われるのには理由がある

 だが、『銀河鉄道999』(1978~1981)はひと味違っていた。連載中の松本零士先生の漫画を原作としたアニメ化だった。なので、キャラクターからメカ設定、世界観まで、すべてが松本零士ワールドだった。どのエピソードも人の愚かさや悲しみが描かれ旅情が哀愁を誘うのはテレビ版を見ていた子どもにもわかった。

 そんな中、1979年8月に劇場版『銀河鉄道999』が公開される。前年、松本零士先生の原作漫画にアレンジを加えながら見事に演出し好評を博したテレビ版『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978)をつくった、りんたろうさんが監督を務めたのは当然の流れだろう。(りんたろう監督については機会があれば改めて。)

 劇場版『999』が名作と言われるのには理由がある。まさしくあれは映画だった。完全新作でデザインも一新し、イチから作り込み、原作漫画でも描いていない、まだ誰も知らない完結まで描き切ってみせたのだ。まだテレビ版が放送中にもかかわらずにだ(主題歌がかかるエンドロールの最後まで作り込まれていた。黒バックに文字だけの退屈な時間は1秒もない)。付け焼き刃ではない、2時間超え(129分)の大作映画だった。

 レジェンド級アニメーターの素晴らしい作画も必見だ。作画監督の小松原一男(『グレンダイザー』『キャプテンハーロック』など)は後に『風の谷のナウシカ』(1984)の作画監督を務めた人物。その卓越した表現力でクライマックスの惑星崩壊シーンを描いた金田伊功(『ヤマトよ永遠に』(1980)『幻魔大戦』(1983)など)は多くのジブリ作品に参加している。

 音楽とアニメの動きがあわせてあり、自然と世界観に引き込まれていく。劇的に現れたキャラクターたちは詩的な台詞を語りだす。名シーンと名台詞を集めて固めたような作品で、オマケに『アベンジャーズ』のように作品の垣根を越えハーロックとエメラルダスまで登場する。

 社会現象を巻き起こすほどのアニメーション映画の大ヒットは、その後の映画界を変えたと言われている。

 松本零士先生をSFの大家だと勘違いしていた13歳の私には正直、理解しづらい部分もあった。『ヤマト』の印象が強い松本零士先生だが、『999』はSFだと思うと理解できない。SFファンタジーなのだと大人になってから理解した。「永遠の命」「機械の体」「生きた○○」(←ネタバレにつき伏せ字)……『ピノキオ』のような童話的な発想が作品の肝になっているのだと。

 今日でもテレビで電車が出てくるたびに、ゴダイゴの『銀河鉄道999』のメロディが流れてくる。明らかに昭和生まれでない歌手が曲を歌ったり、カバーすることも多い。その度に「この人たちは劇場版『999』を見たのだろうか? 歌う前にまず映画を見てほしい。見たら歌詞の意味がより深くわかるのに!」と思ってしまう。

 確かにゴダイゴの『銀河鉄道999』は名曲で、私も大好きだが、なぜか今回の訃報を知らせるニュースでは、ささきいさおさんのテレビ版主題歌をよく耳にした(こちらも名曲だが、令和の人が知るかは疑問)。正直、TBSの朝の情報番組『THE TIME,』のテーマ曲に起用されたのは私的には今も謎でしかない。

(脱線するが、個人的には、劇場版『999』の旅立ちに流れる挿入歌『テイキング・オフ!』やテレビ版『999』の後番組、『新竹取物語1000年女王』(1982)の主題歌『コスモスドリーム』(作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童の黄金コンビ)も大好きだった。)