もうひとつ、『AM』には、最新アルバム『The Car』にもつながる作風がある。いわゆるバラードといわれるものだ。

 “バラード”というと、ロマンチックでゆったりとした曲調で、多くの人はラブソングを思い浮かべるかもしれない。しかし、Arctic Monkeysがここで伝えたいのは、第二次世界大戦後のアメリカのポピュラー歌手、ポール・アンカ、フランク・シナトラ、トニー・ベネットらが歌っていた「オールディーズ・ポップス」(※)のニュアンスである。

※オールディーズ・ポップス:1950年代半ばから1960年代にヒットしたアメリカやイギリスなどの音楽。

 デビューしたころの性急なロックサウンドとはまるで違うサウンドは、『AM』から5年のときを経てリリースされた『Tranquility Base Hotel&Casino』(2018年)でも見られる。ギターではなく「ピアノやキーボードによるリフや印象的なフレーズの多さ」だ。

 本来、楽曲を引っ張っていくであろうザラついたギターではなく、ピアノやキーボードが淡々と生み出すフレーズ。同じイギリスのバンド、Muse、Coldplayのように堂々と引っ張っていくものではないが、それは確かな新風となって表現されている

 何かしらのストーリーラインに沿いながらロマンチックなサウンドと空気の中で、ボーカルのアレックス・ターナーは歌う。デビューから10歳以上も年齢を重ねてダンディさが増した彼のビジュアルとボーカルは、徐々に先に述べた偉大なるポップ・シンガーの姿へと近づいていったのだ。