「仮の姿/真の姿」「偶然と必然」作品に描かれた愛の形を読み解くキーワードに注目

 そんな知世が想いを寄せる桜の想い人・月城雪兎には秘密があった。それは雪兎がクロウカードの創造者であるクロウ・リードが創りだした2人の守護者のうちの1人、月(ユエ)の仮の姿であるということだ。

 これにより作中ではさまざまな事象が起こるのだが、雪兎(月)が桜の兄・木之本桃矢に魔力を分け与えられ、クロウカードを集める少年・李小狼と桜に恋愛感情に似た想いを寄せられるという展開にフォーカスしたい。

 魔力ある者が雪兎に惹(ひ)かれるのは、ユエという内なる姿が持つ陰の力によって引き起こされたものである。クロウ・リードが創りしユエの魔力は、クロウの転生者だった藤隆の子である桜や桃矢、そしてクロウカードを所持する小狼のそれと共鳴する。雪兎は自分を想う桜に対し、その想いは敬愛心によるものであって、恋愛における対象は自分ではない、と諭(さと)したうえで、自分の想い人は桃矢であることを話している。

 これは人を愛するという具体的な事象に「仮の姿/真の姿」という魔法性が備わり、雪兎の内なるスピリチュアルな部分が木之本桃矢という人間(の魔力)に惹かれた、いわば精神的/内在的な愛が先行した形、とも考えることができる。ユエの性別は不定義、もしくはどちらにも当てはまらない/当てはまるものだ。そんな彼を真の姿とし、人間である雪兎を仮の姿とすることで、愛の形の定義において可能性の広がりを示唆させている。

 改めて注目したいのが、月と太陽を司った審判者やクロウカードの造形をはじめとして、本作にはタロットや陰陽五行説などさまざまなスピリチュアル要素が盛り込まれていることだ。これらが重要視するのは潜在・内在した精神であり、先述した「人を愛するという具体的な事象」にもかかわってくることが本作を読み解くカギである。

 アニメ版クロウカード編第44話「さくらとケロと不思議な先生」で、桜が通う友枝小学校の教師・観月と桃矢がこんな会話をするシーンがある。

「世の中には偶然なんてねぇよ」「あるのは必然だけね」

 同様の台詞が『XXXHOLiC』という別作品にも登場することは、CLUMP作品ファンならおわかりのことかと思う。作品の枠を越えて繰り返し登場するほど重要なこの台詞から考えられるのは、自分の周りに起こる出来事だけでなく、誰かに「惹かれる」という心理的情動には必然性がある、精神間のつながりには理屈では説明できない強い引力がある、ということだ。

 ただ異性間の恋愛だけでない、さらに言うならば典型だけでない愛の形を提示し、そのあり方までも織り交ぜて紡がれた本作が、多様性や恋愛の自由というものに着目される現代に先駆けて描かれていたということは最もすばらしく、称賛すべき点であろう。

 本作に触れてみると、愛というものは決してフィジカルなものに定義されない、たおやかで寛容なものだと感じる。月と太陽の巡りのように、あるいはタロットカードの導きのように人が人を想い合い、確固たる関係が結ばれる。『カードキャプターさくら』が名作と言われる所以(ゆえん)は、こうした人間が抱く愛を洞察する深いまなざしをたたえ、今を生きる人々を優しく包み込む物語を紡いでいるからではないだろうか

 そんな本作の主人公・木之本 桜の誕生日である4月1日より、新章”クリアカード編”のクライマックスとアニメ放送25周年を記念したイベント「さくらフェス2023」が開催。初期のクロウカード編より主要キャラクターのCVを務めた声優陣が登壇し、作品の軌跡をたどりながら桜の誕生日を祝うトークが行われる予定だ。

 物語に夢中になりながら大人になり、成長してきた往年の「さくら」ファンのみなさまは、ぜひ足を運んでみてはいかがだろう。

(文・安藤エヌ/編集・FM中西)