幼稚園のとき、すでに「空耳」のおもしろさに気づいていた
──そもそもなぜ空耳アワーの楽曲をまとめようと思ったんでしょうか。
「もともと洋楽が好きなんです。自宅には約6000枚CDがありますが、これは空耳アワーのために集めたというよりは、CDコレクターとして集めたんですよね」
──小さいころから洋楽はお好きだったんですか?
「そうですね。母親が洋楽好きで、ビートルズやらピンク・フロイドやら、ジャンル問わず洋楽のレコードが家にたくさんありました。物心ついたときから自然と洋楽を聴く生活でしたね。
それで小学生低学年くらいかなぁ……マイケル・ジャクソンの『P.Y.T. (Pretty Young Thing)』という曲を聴いていたら、ある一節が“は~なのあな~♪”ってはっきり聴こえてしまったんですよ。それがもうおかしくて(笑)」
──番組ができる前に自力で空耳のおもしろさに気づいたんですね。
「そうなんですよ。いま聴いても鮮明に“鼻の穴”って言ってますからね。あのスタイリッシュなマイケル・ジャクソンがキレのあるダンスを踊りながら“鼻の穴”って歌ってるのを想像すると、なんだかおもしろいじゃないですか」
──たしかに(笑)。「かっこいい海外アーティストがくだらない日本語を言う」というギャップのユーモアは、空耳アワーのおもしろさの理由のひとつですよね。
「そうだと思います。あんなスーパースターがね(笑)。当時は友達と共有することもなく、ただひとりで笑ってました。
それから小学生のときにラジオやアナログレコードで洋楽を聴いていたら、FMラジオの『ポピュラー・リクエスト・アワー』という番組で空耳を取り上げるコーナーがあったんですよ。それで“あ、これ僕が小さいころからやってたやつだ”と」
──すごい。そこでつながるわけですね。
「そう。それで慌ててメモを取りはじめたんです。ただ初回から聴いていなかったんで、全部はメモが取れなかった。“どうせならコンプリートしたかったなぁ”というモヤモヤはあったんですよ」
──小学生のときから"コレクター魂"が宿っていたのがおもしろいですね。
「いま考えるとそうかもしれませんね。そんな中1992年、タモリ倶楽部を見ていたら“空耳アワー”というコーナーが出てきて、“これ、僕がやってたやつだ”と。それでルーズリーフとペンを引っ張り出して、全部メモしていくという"業"を背負うことを決めたんです。
ただ当時はこんなに長く続くとは思っていなかったです。最初は本当に"自分用"だったんです。あとで聴き直したいから、CDの秒数も一緒にメモするようになったし、順不同だと見にくいからエクセルで五十音順に並び変えたんです。するといつの間にか辞典になってしまったという.....。
そんな中、いま空耳アワー辞典の校正などをしている先輩に“コミケには"評論"というジャンルもあるから、出してみたら?”と言われて、1996年に初めて同人誌として製本しました。それから頒布を始めた経緯もありますね」