生理を歌った『玉姫様』で歌番組に出演

──『玉姫様』(1984年)の歌詞は、生理をモチーフにされていますが、この曲が誕生した背景を教えてください。

「ある人に、“男は頭で考える。女は子宮で考えるっていう言葉は、君のためにある言葉だね”ってけなし言葉として言われたのがきっかけでした。その言葉を受けて、そのまま否定するような歌詞を書いたら、なんかウーマンリブ的な運動みたいだなって感じて。むしろ、“それが何か? オホホ”みたいな内容にしたいと思って『玉姫様』の歌詞を書いたんです

──歌詞にメッセージ性を込めることを、あえて否定したのですね。

「新宿出身なので、子どものころは全共闘と呼ばれる運動が盛んな地域でして、小学校は集団下校していたんです。学生と機動隊の抗争が近所であって、それをテレビの生放送で見て、“戦争みたいだ”って感じた。それがトラウマみたいに残っているんです。だから主義主張が前面に出ているような運動は、私個人はやろうとは思いませんでしたね」

ゲルニカ活動休止を受け、自己プロデュースで発表したソロ第1作『玉姫様』(1984年発売)

──『玉姫様』というタイトルはどのように決めたのですか?

「私が乗っていたタクシーの前を走るタクシーの後ろ側に、『玉姫殿(たまひめでん)』っていう結婚式場の広告があったんです。それが“たまひめどの”って読めて、それなら、“殿”より“様”にしようってひらめいたんです。それから歌詞を書くようになりました

鮮烈な印象を残した羽の衣装

──『夜のヒットスタジオ』(1968年~90年にフジテレビ系で放送された音楽番組)に『玉姫様』で出演された時の巨大な羽を背負った衣装やパフォーマンスは、現在でも語り継がれています。あの衣装はどのようにして選んだのですか?

羽はアルバムジャケットのために用意したんですけれど、プロモーションでも使おうってなったんです。だから羽を背負うことは最初から決めていましたね。服装は別の格好と迷ったけど、黒い手袋をして羽の色に合わせたんです。そうすると全身トンボっぽくなるでしょ(笑)。でもレコード会社のディレクターからは、“TOTOウォシュレットのような衣装一式のほうが割と知られているから”と違う格好をすすめられたんです」

──ランドセルを背負った衣装もインパクトがありましたが、あの衣装のコンセプトは何でしたか?

「あれは『玉姫伝』(1984年にラフォーレミュージアム原宿で行ったコンサート)の衣装なんですよ。『レーダーマン』と『隣りの印度人』という曲とかで着る衣装だから、どんな格好がいいかなって悩んで。もともとロリータファッションが好きだったし、『〇〇マン』は小学生も好きだろうというところから小学生の格好になったんです。最初に久世さん(久世光彦さん・演出家)の番組で、小学生の格好をさせられたんですよ。そのときに大人もランドセルって背負えるなって思って。コンサートで使ったランドセルはね、伊勢丹に買いに行きましたよ(笑)

──『レーダーマン』(1984年)で着られていたアンドロイドのような腕も、サイバーっぽくてかっこよかったです。

「あの腕と『玉姫様』の羽は、ジャケット撮影のためにデザイナーの井上嗣也さん(朝日広告賞など数多くの賞を受賞しているアートディレクター)が用意したんです。彼は指をパチンパチンと鳴らすクセがあって、(指を鳴らしながら)“絶対にいいものができる”って言ったんですよ(笑)。“なんでですか?”って聞いたら、“根拠はないけれど、確信がある”って答えたんです」

──音楽活動以外でも、80年代に放送されていたTOTOウォシュレットのCM「好きなひとのもにおうから。」というコピーも衝撃的でした。

「いや、そのときは実はもっと強烈なコピーだったんですよ。ちょうどオゾン消臭という機能が付いた時でしたから(笑)」