不思議ちゃんとマスコミから呼ばれた苦悩
──戸川さんは女優やCMモデル、歌手とマルチに活躍される中で、マスコミからは「不思議ちゃん」という呼ばれ方もされていました。時代が早すぎて戸川さんを定義することが難しかったという印象がありますが、ご自身はどう感じていましたか?
「『不思議ちゃん』って“マルチで何をやっているのかわからない”って意味では使われていなくて、ムードじゃないかな(笑)。バカみたいに見えたんでしょうね……。そういうキャラみたいな扱いですよね」
──不思議ちゃんと呼ばれたことでの、違和感などありましたか?
「どこも不思議なとこなんてないと思うんですよ。私と話した人は皆そう言ってくれますし。むしろファンの方のほうに、不思議ちゃんが多かったですね。ファンの女の子から、指をくわえながら舌ったらずで、“私、純ちゃんに似てるって言われるの〜。私って変な子〜?”って言われることがしょっちゅうあったんです。そういうときは、その子の両肩をつかんで “大丈夫! 全然、似てないから安心して!”って伝えています(笑)。一応、その子が傷つかない感じで」
──歌詞についても、誤解されたことなどありましたか?
「以前、“戸川純の歌詞は難解だから、ファンはみんな辞書を引きながら聴いている”って言われたこともあるんです。《我 一介の肉塊なり》(『諦念プシガンガ』)っていうのも、“私はただの肉の塊よ”っていう言葉では伝わらない。もっと強い覚悟とか意志の強さとか、逆に強い諦めの念とかを伝えようと必然性を持って言葉を選んでるんです。『蛹化(むし)の女』とか、その言葉じゃないと覚悟が伝わらないと思いますし。それを難解と捉えられてしまうこともあって……」
──当時、『宝島』(1970年代~2010年代まで発行されたサブカル文化を中心とした雑誌)で、戸川さんが「根暗と言われたくない」という発言をされていたのを覚えています。
「(感慨深く)ああ、『戸川純の人生相談』というコラムだけでしたからね、本当のことが言えるのが、自分が執筆していた連載だけだという。当時は新聞や雑誌にひと言も言っていないことや、“根暗を売りにしている”とか好き勝手に書かれました。ひどかったのは、“夜ごと、カフェバーで男をとっかえひっかえしてホテル街に消えていく……”って書かれたこととか。父が心配して“純は本当にこうなのか”って言ったらしいんですよ。そうしたら母が“あなた、自分の子を信じられないの?”って言ってくれて。当時は忙しいことが大変だと思っていたけれど、そういう苦しみもありました」
◇ ◇ ◇
言葉を選びながらも、ときおりユーモアを交えながら自身の活動を振り返ってくださった戸川さん。後編では、作詞についてやファッションのこだわりについても語っていただきました。
(取材・文/池守りぜね)
〈PROFILE〉
戸川純(とがわ・じゅん)
子役経験を経て、1980年TVドラマデビュー。1982年、ゲルニカの一員としてレコードデビュー、同年TOTOウォシュレットのCM出演でお茶の間にもインパクトを与える。その後もソロやヤプーズなどのバンド名義で音楽活動を展開、女優としても活躍する。作品に『玉姫様』(1984年)、『好き好き大好き』(1985年)、『昭和享年』(1989年)、自選ベスト3枚組『TOGAWA LEGEND』(2008年)など多数。今年1月、戸川純+山口慎一の名義で『戸川純の童謡唱歌』を一般発売。2019年に芸能活動40周年を迎えた後も、マイペースな活動で後進に影響を与え続けている。
6月1日(木)札幌cube garden
6月27日(火)福岡Gate’s7
7月20日(木)渋谷PLEASURE PLEASURE