──そのリアリティがしっかりしているから、フィクションでユーモアが生まれるわけですよね。まじめに書くほどバカらしくて笑えますもん。UKさんご自身のユーモアセンスも気になるんですが、お笑いは好きだったんですか?
「いや特にお笑い好きだったわけではなかったと思います。ダウンタウンの番組を好きで見てるって感じで、当時の子どもとしてはわりと普通だったんじゃないでしょうか。
ただ私は関西・滋賀出身なんですが、新喜劇みたいなベタな笑いよりもシティボーイズさんとか、ちょっとシュールなネタのほうが好きでしたね。海外のコメディとかも好きです。マンガだと吉田戦車さんの『伝染るんです。』(※)は、小学生のときに好きでよく読んでました」
※伝染るんです。(小学館):ギャグマンガの歴史を変えたともいわれる、不条理ギャグのパイオニア的な作品。
──そのあたりのルーツが今にも虚構新聞にも通じていそうですね。たまに出てくるブラックユーモアとか(笑)。
「そう言われると、そうかもしれませんね。だから初対面の方からよく“東京生まれだと思ってました”と言われますね(笑)」
19年続いた秘訣は「数字を追わないこと」
──虚構新聞を始めたきっかけって何だったんですか?
「もともと2000年代初頭のころって個人でニュースサイトをつくるのが流行(はや)っていたんですよ。それで私も自分でニュースのまとめサイトを立ち上げたんですね。“サイト上に見出しと元記事へのリンクを仕込んでおくもの”なんですけど。
そのWebサイトの企画でエイプリルフールにウソのニュースを自分で創作してみたんです。それがすごく楽しかったんですよ。もともと何か書くのが好きだったこともあって“向いているのかも”と」
──なるほど。
「それでエイプリルフールの後も創作ニュースを書き続けて、本数が溜まってきたので、元の個人ニュースサイトとは別に『虚構新聞』というウソニュースを専門に配信するニュースサイトをスピンアウトしたんです。すると、ありがたいことにすぐ話題にしてもらえたんですよ。
2004年の6月くらいに立ち上げて1、2か月後には2ちゃんねるで“虚構新聞っていうなんか不思議なサイトがある”とスレッドを立てられてましたね」
──当時から長く続けることを想定していたんですか?
「いえ、当時は学生だったので。こんなに長く続けるとは思っていなかったですね。
ただ当時、雑誌『ネットランナー』(ソフトバンクパブリッシング社※現・SBクリエイティブ株式会社)のWebサイトコンテストで金賞を受賞して、更新支援金という名目で3万円もらったんです。
学生にとって3万円って大金じゃないですか。もらってすぐ閉鎖しようもんなら勝ち逃げみたいで(笑)。それで“3万円分は頑張らなあかんわ”と思ったんですよね」
──それはやすやすと辞められない(笑)。
「それと、当時メールなんかで読者さんと交流できたことも、モチベーションになりました。今はTwitterのリプ欄に置き換わりましたけど、変わらずモチベになってますね」