「東海道五十三次」創作のきっかけは現地の人の言葉

 1987年には、自身が主宰する「こぎん刺し木曜会」を東京・人形町に設立。こぎん刺しに興味を持つ人たちが集まり、展覧会を開くまでになった。銀座で開催したとある展示会での出来事が、高木さんの作品づくりに大きな影響を与えることになる。

 それは、開催期間中のこと。とある来場者が、高木さんの作品を見て、「作品はいいものだけど、あんたはよそものだからな」と言った。

「私がいくら頑張っても、よそものなのかと。そんなことを言われてカチンときました。教室では伝統的な技法を教えていたのですが、だったら、東京のこぎん刺しを作ってやろうと思ったんです

 そこで高木さんが考えたのは、こぎん刺しの手法を使って、絵画を表現するということ。題材は、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」に決めた。浮世絵に刷られた藍色の美しさに魅せられたからだ。

 見本となる浮世絵を見ながら、色糸を用いてひと針ずつ布に刺していく。どの模様を用いるかは、高木さん次第。さまざまな模様を組み合わせることで、質感や遠近感などを表現した。

 古典的なこぎん刺しは紺地に白糸というモノトーンが基本だが、高木さんの絵画的表現は、色彩豊かで、唯一無二のものとなった。

53枚完成したのが、コロナが始まる少し前だったので、35年もかかりました。今はこの作品を一括で管理し、展示してくれる美術館や企業があればと受け入れ先を探しているところです。

 実は東京都にも相談したのですが、“こぎん刺しは東京発祥ではないので、収蔵することができない”と断られてしまいました。ずっと東京で独自のこぎん刺しを目指してきただけに、とても残念です」

東海道五十三次、草津宿「名物立場」
東海道五十三次、小田原宿「酒匂川」