シアトルに留学していた時に住んでいた家のことを、前回の連載で書いてから頻繁に思い返す。10年の間、心のどこかにはずっと留めてある大切な思い出であることに変わりはないが、自分の感じ方には少し変化がある。
当時は仲間が捕まったり死んだりしても、危ない場所だとは思っていなかった。正確には、危ない場所だとは理解していても「こいつらと一緒なら何か起きても運命だから仕方ない」と、ある意味「信仰」に近いようなマインドでその場に身を置いていた。誰も知り合いがいない土地で、言葉もうまく話せない自分を温かく受け入れてくれたことに救いを感じていたし、そんな状況の中、日本では経験しなかった直接的な愛情表現に、単純な私は日々胸を打たれていた。
だが、そんな仲間たちの中で1人、あまり好ましく思われていない男がいた。
「みんな最高、大好き!」と思って当時は暮らしていたが、今の感覚では私も彼と一緒に住むのには抵抗があるかもしれない。
彼は「ジェフ」という名の40代の大柄の男だった。
家賃が安かったため、みな様々な事情を抱えてその建物に転がり込むように暮らしていたが、ジェフは他の住人とは違う理由でそこに住んでいた。彼は大家からその家の管理を依頼されていたのだ。当然家賃は免除で、むしろ大家から手当を受け取っていた。ジェフの仕事内容は、キッチンやトイレ、シャワー室など共用部の掃除、そして無許可で建物に住んでいる人間を追い出すというようなものだった。
ルームメイトも路上出身の人が多かったので、気づいたらホームレスの人たちが長期間滞在していることも多く、そういった人たちを追い出す役目だったジェフはみんなから煙たがられていた。しかしそれはあくまでジェフの本来の仕事を全うしているに過ぎないことは皆、理解していた。
ジェフは非常にこだわりの強い人間で、彼の中にはいくつかのルールがあった。そのこだわりこそが、ジェフがルームメイト達から嫌われるまでに至った理由だった。
まず、午前中は外で人間を観察する。その際には必ず双眼鏡を通して観察が行われた。対象が近くにいても、間近から双眼鏡で観察する。私はそれを面白がっていたが、気味が悪いと思う人間も多かった。
そして、年に2回しかシャワーを浴びなかった。全く入らないでもなく、それは2回と決まっていた。当然ながら1年のほとんどの日、ジェフの体は異臭を放っており、単純にその臭いで近寄らない人も居た。
また、ジェフは愛用する1つのスポンジ以外を頑なに使用しなかった。これは何も害が無いように思うかもしれないが、先に述べた2つのこだわりが霞むほどにたちが悪かった。
たむろしている人間を追い出すというイレギュラーな仕事が発生しなければ、ジェフの日々のタスクは共用部の掃除である。便器の中を掃除した後に、キッチンの皿を洗う。それをジェフは同じスポンジで行っていた。私が入居して3か月ほど経ったある日、いつも便所に置いてあったオレンジ色のクタクタのスポンジで、私がいつも使っていた平皿をジェフが洗っているのを目撃した時は、思わずウッとなってしまった。今だったら絶対に耐えられない環境だが、その時の私はどこかおかしかったのか、「ジェフ面白い」の気持ちが勝ってしまっていた。
そんなジェフが手入れをしているキッチンやトイレこそは共用だったが、それぞれの住人に寝室は用意されており、ジェフも管理人らしく玄関の一番近くに自分の部屋を持っていた。私たちは夜になると誰かの部屋に集まって遊んでいたが、ジェフの部屋は不人気で、私を含めて彼と親しかったごく少数の人間しか出入りをしたことはなかった。部屋には自作のPCと、窓際には何故かタッパーがびっしりと置かれていた。
ある朝、私はジェフと一緒に街を観察する約束をしていた。いつも時間通りに玄関へやってくるジェフだが、珍しく5分経っても現れない。部屋の前まで行ってみると、ドアが少し開いていた。私はノックをしながら名前を呼び、扉を開けた。そこには下半身を露わにしたジェフが、タッパーにまたがっていた。
「ちょっと待ってくれ」と言いながらジェフはタッパーにモリモリのウンコをした。
20~30個ほど積み重なった窓際のタッパーに近寄りよく見てみると、その全てにミッチリとウンコが詰まっている。集めているのかを聞くと、そういうわけではないらしい。「じゃあなんで?」率直に理由を尋ねる。
「タッパーはまたがりやすいし閉じれば臭いもしない」。そう答えるジェフが肛門を拭いている間、「それはトイレで全部解決する」と思ったが、口には出さずに観察へ出かけた。
話は変わるが、私はハーモニー・コリン監督の『ガンモ』という映画が大好きだ。
自分が知っているアメリカは、狂っていて、暴力的で、語弊を恐れず言えば、「キモイ」。
オシャレなんてことは全くない。壊れそうな場所。
そんな自分が見たアメリカを『ガンモ』以上に表現している作品に出会ったことがない。
ジェフとまた一緒に住めるかと言われたら、今の私には難しい。
それでも私はこれからも何度も『ガンモ』を見るだろう。当時の気持ちに少しでも触れたいからである。「キモさ」までも愛さずにはいられない人々のことを、忘れたくないなと思っている。
(文/池田ビッグベイビー、編集/福アニー)
【Profile】
●池田ビッグベイビー
1991年生まれ、YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」のメンバー。185cmという巨体を武器に大学卒業後はネズミ駆除の仕事に就くも、YouTuberへ転身。「池田ショセフ」名義で音楽活動も行う。