僕はLAで生まれた

 1991年。僕はアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。

 LA生まれという自分の力や才能とは一切関係のないそれが僕の唯一の長所であり、自慢でもある。落としたい女の子がいたら、まず真っ先に自分がLA生まれである事を伝えるようにしている。ロス・アンジェルスという魅力的かつ官能的ですらあるその響きに、165cmの僕が20cm増しに見られているに違いない。

 そんな僕の自慢であるが、僕は4歳の時には日本に帰国しており、正直LAのことは覚えていない。だから、唯一の自慢を振りかざした女の子に「へぇ、LAで生まれたんだ。じゃあ英語もペラペラなんだ、カッコイイ」と返されたら曖昧な相槌で流し、「LAではどんな生活をしていたの?」という質問は聞こえないふりをするしかない。諸刃の自慢だ。

 一方で僕の兄は僕と5歳離れている為、しっかりと成長期をアメリカで過ごし、「英語もペラペラなんだ」と言われても「まぁ日常会話レベルなら」と返せるくらいに帰国子女でもある。そんな彼だから、(実際には日本帰国後も相当な努力をしたのだろうが)現在兄はアメリカで仕事をしている。還暦を過ぎて人生を振り返り始めた両親にとってこれほど好都合なことはない。兄に会いに行くついでに、昔住んでいたLAに家族旅行しよう、という計画が立てやすくなったのだから。

27年ぶりのアメリカ

 こうして、僕と両親にとっては約27年ぶりとなるアメリカへ1週間旅行することになった。LAと言えばハリウッドだったり、サンタモニカだったりといった王道観光のコースがあるかもしれないが、今回の旅行はそれに比べたら相当地味なものだ。ハリウッドサインではなく僕らが昔住んでいた家を懐かしみ、スターの名前が刻まれたウォーク・オブ・フェイムの代わりに兄が通っていた学校などを回るという予定だった。

 ブラッド・ピットの手形より僕が通っていたプリスクールが優先される、まるで自分がスターになったかのような世界で唯一矢崎家だけが興奮できるプライベートな旅程というのが特別な気持ちがして誇らしかった。レンタカーで借りたカローラがリムジンのように感じられる主役感が心地よくもあった。

 主役顔で「変わらねぇな、この街も」なんて軽口を叩きながらLAの街を車で飛ばしている間、正直僕には全てが新鮮だった。両親が何たらブールバードを左ね、なんて慣れた会話をしている中、見慣れぬ英語だけの標識を凝視していた。

 兄を学校帰りに必ず連れて来ていたというビーチだったり、赤ん坊の僕を抱えて来ていたというスーパーマーケットだったり。時差ボケで疲れているはずの両親はむしろ若返って見えるほど、「郷愁」という年老いた表現ではなくむしろ「エモい」感を出していた。

 そんな懐かしくエモい夕暮れ。僕が生まれた病院にも行ってみよう、という話になった。左ハンドルにも慣れ始めた父が通い慣れた道を走らせて、遂にグーグルマップで検索した病院らしき場所に到着した。

「あれ? ここじゃなくない?」

 病院に着いた母はその外観に首を傾げた。

「僕も正直1回しか来てないから分からないけど」

 ナビを差しながら父は僕の方を軽く見る。いや、そんな目で僕を見られても。確かに僕が生まれた病院なので「僕が主役の場所」ではあるのだが、「僕が一番覚えていない場所」とも言える。

 結局生まれた病院はナビで示された建物の隣の病棟だったようだと判明した。しかし、両親とも生んだ時だけ来た病院のようで先ほどまでのエモい感じは1ミリもなかった。生まれた本人の僕はもちろん、両親共々、隣に越してきた新しい住居人が挨拶に来た時のようなよそよそしさでその病院を見つめた。何なら本当に僕がここで生まれたのかすら怪しいほどだった。誰の記憶にも残っていないが記録としてはここだ、と示されていたその病院は、この日一番エモい夕日を浴びていた。

 31年前に産声を上げた当時の僕と同じ新鮮過ぎる目線で僕はその夕日を眺めた。

「自分が生まれた場所」と聞くと何だかドラマチックな感じがするが、実際はそうでもないってことだ。フワフワしたまま僕らは車を降りて、一応記念撮影をした。またいつかここに来ることがあったら、エモい気持ちになれますように。そう願いを込めて、病院の前で釈然としない顔をした僕の写真を、車に揺られながら僕はずっと見つめていた。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画は、1969年実際にハリウッドで起きたシャロン・テートという女優が殺害された事件を基にした話で、もしそこにレオナルド・ディカプリオ演じる俳優とブラッド・ピット演じるスタントマンがいたら、という世界線を描いた作品である。ストーリーもさることながら、超主役級のスター2人の共演を監督・タランティーノ節に超カッコよく描いていて、それだけで胸アツな映画だ。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の予告編

 1991年、僕があの時代にLAで生まれていたことで正直ハリウッドには何も影響を与えていないだろう。「LAで生まれた」ってドラマチックな感じがするが、実際はそうでもないってことだ。

(文/矢崎、編集/福アニー)

【Profile】
●矢崎
LA生まれ東京育ち。早稲田大学文学部を中退後、SUSURUと共にラーメンYouTubeチャンネル「SUSURU TV.」を立ちあげる。その編集と運営を担当し、現在は株式会社SUSURU LAB.の代表取締役。カルチャー系YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の矢崎としても活動中。

【今回紹介した映画】
●『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
2019年公開のアメリカ・イギリス映画。クエンティン・タランティーノ監督の第9作目であり、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットの初共演作。実際に起きた事件を背景に、1969年のハリウッドを描いた作品。