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音楽

木山裕策『千鳥の鬼レンチャン』出演秘話と「部長に怒られ歌詞が途中で飛びそうに」管理職時代のジレンマを語る

SNSでの感想
今回お話をお伺いした、歌手の木山裕策さん 撮影/曳野若菜
目次
  • 会社勤めで疲弊する日々の中、歌手活動に邁進できずにいた
  • 年に1度、自分と向き合う時間をつくっていた
  • 55歳になってもなお、自分の成長を感じられる
  • 『千鳥の鬼レンチャン』出演辞退から学んだこと
  • あと10年は、納得できる歌を歌い続けたい

 今年でデビュー15周年を迎えた、歌手の木山裕策さん。自身が36歳のときに甲状腺がんを発症し、手術の影響で今後は声を出せなくなると医師に告げられたことも。ですが、病を克服し、39歳のときにかねてからの歌手という夢をつかみ取りました。

 後編は、自分のやりたい夢を実現するための考え方や方法、仕事との向き合い方について、伺います。

(前編では、独立に踏み切った途端に訪れた緊急事態宣言発令時の心境や、現在歌手活動と並行して行っている、講演活動の話をお伺いしています。→記事:紅白出場・木山裕策「勝ち続けなければいけないと思っていた」コロナ禍で“仕事ゼロ”から『千鳥の鬼レンチャン』出演で返り咲く

木山裕策さん 撮影/曳野若菜

◇   ◇   ◇

会社勤めで疲弊する日々の中、歌手活動に邁進できずにいた

──12年間、会社員と歌手の二足のわらじで活動されていましたが、当時はどのように両立していたのですか?

“歌が忙しいから、仕事で手を抜いてるな”と思われるのが、とにかくイヤだったんです。だから、僕の中ではどちらも本業。歌も仕事も100%全力でやらなければいけないと思っていましたし、そう見えるように、すごく気を遣っていました。

 例えば、週末に歌の仕事があるときは、メンバーに見られないように、スーツや機材を通勤途中のロッカーに預けて、出社していたんです。

 デビュー当時は、会社員と歌手活動をうまく切り替えられませんでした。部長に怒られたことを引きずって、歌詞が途中で飛びそうになったこともありました

──そのころは、何がいちばん大変でしたか?

自分のことを考える時間がないことです。当時100人ぐらいの部下を持っていたので、いろいろな悩み事の相談から、絶えずトラブルがあって、会社では『謝り侍』と言われるくらい、各方面に謝罪に行きました。

 だから、“歌の世界でこれからどうやっていこうか”と考える手前で、いつも心が疲れてしまっていて。残りの人生、どうして行くかを決断しないとならない心のモヤモヤと、どうせなら歌のことで悩みたいのに、そこまでたどり着かない。そのジレンマが絶えずありました」

木山裕策さん 撮影/曳野若菜

年に1度、自分と向き合う時間をつくっていた

──そんな葛藤を抱えながら、歌手活動をされていたとは夢にも思いませんでした。そんな中でも、夢を実現した先輩として、やりたいことを見つけようとしている人に何かアドバイスはありますか?

「毎年1〜2月ごろに、自分と向き合う時間をつくるようにしています。“明日死ぬと言われたら、いまやりたいことは何か”を、自身に問う時間です。

 具体的には“自分にできること”“やりたいこと”“それをするために何が必要で、いつまでにやるのか”を整理して、ノートに書いています

※ピンチアウト(画面上で対象を広げるように、2本の指を離していき、画面を拡大すること)してご覧ください。ノートに書いた内容を、さらに細かく掘り下げたもの。会社員時代の知見がびっしりと詰まった、緻密な計画表だ 資料/本人提供

「3年前に会社を辞め、独立した際も書きました。コロナが始まってすべてリセットされてしまったので、そのときの目標は達成できていないと思っていたんですけど、1年後に振り返ってみたら、実現できているんです。

 例えば、書いた当時は何のツテもなかったのに“CDを出す”と書いていて。いま『昭和歌謡コンサート』をやっているんですけど、それも“懐かしい日本版の歌謡コンサートを行う”と書いていました。自分のやりたいことがかなっているので、自分でもびっくりしています。

 もちろん、できていない事もあります。“オールデイズアルバムを作る”と書いて、とあるライブハウスにCDを送ったんですけど、何の返事もないままですし、“絵本を出す”という目標も毎年書いていていますが、実現できず、次年度に持ち越しています。

 でも、こうやって振り返って思うのは、“世の中の情勢が変わっても、本当にやりたいことはやり遂げられるんだ”ということです」

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