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音楽

紅白出場・木山裕策「勝ち続けなければいけないと思っていた」独立直後に“仕事ゼロ”から『千鳥の鬼レンチャン』出演で返り咲く

SNSでの感想
今回お話をお伺いした、歌手の木山裕策さん 撮影/曳野若菜
目次
  • 「なんちゃって会社員」と呼ばれながら複業で歌手活動をしていた
  • 子どもたちへ向けた講演会活動を始めた
  • コロナで仕事がすべてキャンセルになり、収入がゼロに
  • YouTubeの活動がファンやアーティストとの縁をつなげてくれた
  • コロナ禍を皮切りに、あの話題のテレビ企画が始動
  • 36歳でがんを患い出世コースから外れることに愕然とした

 36歳で甲状腺がんを患い、「死」の恐怖と向き合いながら、長年の夢だった歌手に挑戦し、デビューを果たした木山裕策さん。今年でデビュー15周年を迎えます。

 2019年12月には、それまでの歌手と会社員の二足のわらじで活動するのをやめ、歌手活動の再スタートを切りました。

 しかし、新たな道を進み始めた途端、新型コロナに見舞われ、一度は会社員に戻ろうかと考えたことも……。さまざまな転機や逆境に見舞われながらも、前に進んできた木山さんに、これまでの軌跡を振り返ってもらいました。

木山裕策さん 撮影/曳野若菜

◇   ◇   ◇

「なんちゃって会社員」と呼ばれながら複業で歌手活動をしていた

──まずは、デビュー15周年おめでとうございます。歌手と会社員との二足のわらじを続けてこられましたが、今の心境はいかがですか?

「なりたかった歌手の仕事をここまでやってくることができて、満足しています。でも、2019年にサラリーマン生活にピリオドを打ち、歌手活動に専念するようになってからの当初は大変でした。

 一方で、続けてきたことでいろいろな人とのつながりができ、最近は自分なりの楽しみ方を見つけてきた感じです」

──2019年に歌手活動に専念されたのは、何かきっかけがあったんですか?

「僕はデビューしたときから、“歌で子どもたちを養いたい”というのが夢でした。12年間、会社員とのダブルワークで歌手活動をしていましたが、当時の僕の中ではやっぱり会社員がメインだったんです。みんなからは『なんちゃって会社員』と呼ばれていましたけど(笑)。

 課長や部長などの管理職を担っていたので、自分としては人一倍、任された役割を全うするように務めていました。

 一方、歌に関しては週末しか活動をしないので、もらった仕事だけをやっている感じです。平日は仕事が忙しくて、歌に関して自分で企画をする時間もないですから。せっかくデビューできたのに、いただいた仕事だけをこなしている日々だったので、そこには悔いがありました。

 とはいえ、子どもが4人もいるので、教育費がかかってしまいます。それゆえ、子ども中心の生活を組み立てていたんですが、50歳を過ぎたときに上の子3人が成人を超え、いまならいちばん下の子(当時高校生)を育てながら、歌手活動で自分の生活を組み立てられると思い、決意しました」

4人の子宝に恵まれた。家庭を守るため、一時的に主夫として家庭を支えた時期も 写真/本人提供

──どうしてもかなえたい夢だったんですね。

一度きりの人生、自分にしかできない仕事で、お金がもらえたらいちばん幸せじゃないですか。年を重ねていくと、イヤな仕事をするのはしんどいです。これまで僕は6回転職して、いろいろな仕事をやってきました。

 基本的には断らない性格なので、“これは、ちょっと”と思う仕事もたくさんやってきて、その都度、自分なりに生きがいを見つけ、頑張ってきました。でも、会社の中に、自分にしかできない仕事はなかったんです。やっぱり歌を歌っているときが、いちばん充実していました。

 また、歌と同じくらい、やりたいこととして力を入れていたのが、子ども向けの講演活動です

木山裕策さん 撮影/曳野若菜
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