すぐ答えにアクセスせず、思いをめぐらせる時間に豊かさがある
──今回は非日常である旅でスマホを手放しましたけど、日常でスマホを持たない暮らしを実践している方もいらっしゃいますが。
あくまでも「スマホで埋められた隙間からどんな景色が見えるだろう」という思いにこの旅の狙いは集約されています。ただ、ゆくゆくは日常でもローファイ(Lo-Fi)生活にシフトしたいな、と考えていて。
──ローファイ生活?
解像度の低い写真のようなものです。スマホ越しの生活だと情報をたくさん浴びてしまうので、そこに気持ちが揺さぶられて疲れてしまう。だからそういうものと距離を置く生活をしたいと思っているんです。
──そんな生活を送ると、ふかわさんにどんな収穫があるんですか?
何かわからないことがあったときに、スマホがあればすぐ答えにアクセスできるじゃないですか。それはそれでいいと思うんですが、僕はすぐ答えにアクセスせず、「これってどういうことなんだろう?」と思いをめぐらせる時間の中に豊かさが潜んでいる気がするんですよね。
たとえば店と出会うのでも「○○駅 カフェ」で検索して結果に出てくる店と、自分の足で歩いて見つけるカフェとでは、僕は感じ方が違うんじゃないかと思って。どちらもあっていいんじゃないかな。

──スマホを頼りにする暮らしと手放す生活、「どちらもあっていい」というのが、ふかわさんらしいやわらかさですね。
僕はスマホを「悪」にはしたくないんですよね。今回の「スマホを置いた旅」もあくまで僕の好奇心から出発した試みなので、人にすすめたり強制するものではありません。最近、「デジタルデトックス」という言葉をよく聞きますが、本作に一切登場しないのはそのキーワードが念頭になかったからだと思います。
──今回、自分の足で歩いて見つけた店の中に「知り合ったおじさんに連れられて訪れたスナック」がありました。旅のハイライトかな、と感じるほど強烈な体験でしたね。
ええ、アルゴリズムならぬ「おじゴリズム」(笑)。
(中略)そうして、日本酒から焼酎の水割りに変わり、焼きはんぺんに醤油をつけていた時です。
「じゃぁ、2軒目行きましょう。」
まさかの事態です。すっかり打ち解けたとはいえ、初対面にして2軒目に誘われるとは。光栄なことです。心のどこかでこんなことを期待していました。
会計を済ませると、じゃぁ行きましょうと、おじさん二人に連れられて店を後にします。一体、どこへ連れて行かれるのだろうか。すっかり暗くなったうだつの町を歩いて行きます。
「ついてきてくださいね」
そういって、二人は明かりのない場所に進むと、格子戸の家屋はなくなり、ビルの壁が立ちはだかりました。駐車場なのか、行き止まりのように見えます。
「こんなところにお店が......」
そのまま壁に向かって歩く二人のおじさんが、暗闇の中に消えました。
『スマホを置いて旅したら』より
どの瞬間も旅のハイライトですが、小さい液晶の窓に気を取られることなく、ちゃんと世界と対峙(たいじ)できたことが自分の中では大きな収穫で。スマホから世界を覗くのではなく、自分の目で見て、手ざわりを確かめながらつかんでいきたい思いがあった分、かなり手ごたえのあった旅でした。

──ちなみに、巻末に収録されている「りんごの木の下で」はどういった意図で挟んだ小品ですか?
10年前に『俳句界』(2013年8月号)という雑誌に寄稿した作品を再掲しました。強いて言うなら「スマホを悪にしたくない」という思いがあって。
別れよう、そう思ったのは彼を嫌いになったからでも、ほかに好きな人ができたからでもない。むしろ、彼への愛情は以前よりもあるというのに、こうやって、黙って彼の元を離れるのは、このままだと、駄目になってしまうと思ったから。私が、彼を駄目にしてしまうと思ったから。
『スマホを置いて旅したら』より
この作品における「彼」や「私」は誰なんだろう、と感じながら最後に読んでもらえたら。いま思えば10年前にこの作品を書いたときから、旅の準備は始まっていたんでしょうね。
◇ ◇ ◇
インタビュー後編では旅行観、コミュニケーションスタイルに焦点を当て、ふかわさんの源泉に迫ります!
(取材・文/岡山朋代、編集/福アニー、撮影/junko)
【Information】
●書籍『スマホを置いて旅したら』(ふかわりょう著、大和書房刊)
スマホを持たずに旅したら、どんな景色が見えるだろう? 明日の彩りが変わる、ローファイ紀行。