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芸能

世界で活躍する俳優・尚玄、バックパック旅へのあふれる愛と「ホームでありルーツ」である沖縄への熱い思い

SNSでの感想
尚玄さん。言葉によどみがなく、本心を語ってくれていることが伝わってきた 撮影/小橋川恵里奈
目次
  • モデル業から芸能界へ。世界に羽ばたいてからもバックパッカーを続ける
  • バックパック旅をエンジョイし、'22年は仕事でバルカン半島へ
  • 海外の監督はディスカッションが積極的。映画祭で出会いの輪が広がることも
  • 尚玄さんにとって沖縄とは? 沖縄作品への出演にも意欲

 端正な顔立ちと抜群のスタイル、彫刻のようなビジュアルを持つ、俳優でモデルの尚玄(しょうげん)さん。現在、主演映画『赦(ゆる)し』が公開中です。約20年の俳優歴を持つ尚玄さんの強みであり、特徴ともいえるのは、国際的な視点を持った行動。演技を学びにニューヨークに飛んだり、各国の映画祭に出席し海外の映画人と積極的に交流を図ったりするなど、興味深いエピソードにあふれています。リアリティーとコミュニケーションを重視する、尚玄さんの素顔に迫ります。

(尚玄さんが追い求める“リアリズム”についてや、最新出演作で共演するMEGUMIさんとの印象深い思い出は、インタビュー第1弾でじっくり語っていただきました→“リアリズム=芝居をしない”を追求する尚玄、主演作でMEGUMIと実践したストイックすぎる役づくり

モデル業から芸能界へ。世界に羽ばたいてからもバックパッカーを続ける

──キャリアをさかのぼると、生まれ育った沖縄で高校時代まで過ごしたのですか?

「はい、高校卒業後、大学進学のために東京に行きました。上京してすぐにキャスティング関係者を紹介していただいたことをきっかけに、モデル事務所に所属しました。沖縄にいたころもローカル誌やファッションショーに出ることはありましたが、フリーでやっていました。東京に出て本格的に活動したかったので、大学の部活でバスケットボールに精を出すかたわら、まずはモデル業からスタート。雑誌の仕事が多く、ときどきファッションショーに出ていましたね。忙しくて充実した4年間を過ごしました

──どんな風に俳優の道へ進みましたか?

「いつかは俳優を目指したいと思っていたんです。'04年ごろ映画『ハブと拳骨』のキャスティングで、沖縄出身の三線が弾ける人を探していると耳にしました。僕は三線を触ったこともなかったですが、もしその役を演じられるなら一生懸命やりますと関係者に伝えました。実際にすぐに三線を買い、練習も始めましたよ。結局、主演に抜てきされて、ニューヨークの映画祭に招待されたことが、向こうで演技を学ぶきっかけにもなったんです

──バックパッカーとして、世界を旅していた時期もあったそうですね。

最初のバックパックは大学時代、俳優の丸山智己(まるやま・ともみ)さんと一緒にマレーシア・タイ・ミャンマーを回り、最高の時間を過ごしました。大学卒業後はモデルとしてヨーロッパに滞在していたので、旅費ができたら近くを周遊したりエジプトに行ったり。ずっとバックパックで旅していたんです」

──モデル時代、ヨーロッパではどんな風に暮らしていましたか?

「パリ・ミラノ・ロンドンをベースに行ったり来たりしながら2年間、モデル活動を続けました。島国の沖縄育ちなので、陸続きで他国に行けるのは夢のよう。いろんなところに行ってみたいと思いましたし、列車や飛行機のチケット代が安くて、気軽にバックパックの旅ができました。東京に戻ってきてからもコロナ禍になるまでバックパック旅行を続けていましたよ。1年に1回、行ったことのない国を訪ねると決めていましたから」

コロナ禍が明けつつある今、尚玄さんの活動範囲はまた広がっていきそうです 撮影/小橋川恵里奈
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