イメージカラーはジャニーさんとメリーさんからのご指名で決定

 グループ時代のイメージカラー(佐藤=水色、山本=赤色)についても尋ねてみた。

「僕の場合は、衣装合わせのときにメリー(喜多川)さんが、“この子、赤が似合うわね~。じゃあ、イメージカラーは赤!”とおっしゃったことで決まりました。小さいころからセーターやシャツでも赤色を選んでいたので、うれしかったです」

「僕のほうは、ジャニーさんが決めてくれました。光GENJIは7人で“虹”をイメージしていたので、その中で静かなイメージだったんでしょうね。今、植草(克秀)さんとリハーサルをしているのですが、少年隊は、植草さん=黄色、錦織(一清)さん=赤、東山(紀之)さん=黒、という並びに対し、今回のステージは植草さん=黄色、山本くん=赤なので、“隣に水色が来るのは違和感があるな~(笑)”って植草さんから言われています

「でも、ヒロくんは静かなイメージを持たれがちですが、実は芯がしっかりしていて、ちゃんと自分の意見を言ってくれるので、とても好きだし尊敬しています。僕はつい、周りに合わせて動いちゃうほうなので」

 確かに'94年、光GENJIを最初に脱退したのは大沢樹生と佐藤寛之だったし、解散後も30年近く、バラエティー番組などに登場することもなく、自分が決めた音楽の道にまい進している。

「ずっとライブ活動をしていると、他のことが面倒くさくなってくるんです(笑)。今ならばインタビューなどで、当時グループで頑張ってきたことを純粋に聞いていただける機会も多いのですが、解散から数年間は、“あの人は今?”的なオファーが多くて、尋ねられるのも同じことばかりなので、取材などは断ってきましたね

佐藤の口調はとても穏やかながら、意志の強さがひしひしと伝わってくる 撮影/矢島泰輔

2011年には諸星和己とともに復興支援チャリティーに参加

 そんな好対照ながら仲のよいふたりは'11年、同じく元・光GENJIの諸星和己とともに、TUBEが発案した東日本大震災復興支援チャリティー企画『RESTART JAPAN with TUBE』に参加している。

「これはまず、ボーカルの前田亘輝さんから、“諸星くんを誘ってくれない?”って電話がかかってきて、彼に声をかけました」

「それで、諸星くんから僕に連絡がありました。解散後もお互いのライブに行ったり、一緒に歌ったりしていた仲なので。諸星くんとは、デビュー前から一緒にレッスンをする期間があって、身近な存在でした

「でも、僕が一緒にオーディションを受けたころの彼は、野球少年で髪もかなり短かったよね」

「その印象とのギャップが強すぎて、一緒のグループになってからは、あまりしゃべらなかったかも(苦笑)。だけど解散後、お互いに年齢を重ねて、苦労話をしているうちに、わかり合える部分も増えました。ふたりとも音楽活動がメインですからね

'89年の光GENJI、横浜アリーナにて。その人気はすさまじく、一世を風靡する存在だった