50周年記念シングルで、あえての“挑戦”をした理由は

 また、'22年の50周年記念シングル「残雪」は加藤登紀子作詞・作曲の孤独を抱えた絶唱バラード。通常、記念シングルは、感謝をこめた明るい曲調が選ばれることが多いが、ここでも石川は挑戦し続ける。

記念シングルでは、“好いた惚れた”の世界ではないものが歌いたかったんです。それで、“今の時代の中で何が伝えられるか”と考えて加藤登紀子さんにご相談し、“温かいふるさとじゃなく、帰りたくても帰れない故郷の歌を”とお願いしました」

 ちなみに、'75年の「あなたの私」(シングル売り上げ7番手)、'77年の「暖流」(同3番手)など初期の楽曲は、ホリプロ管理楽曲のまま未配信となっているものも少なくない。これだけ多彩な人気曲があるのだから、今後、配信で解禁されることを期待したい。

三木たかし作曲の新曲は、“月”が大きなキーワードに

  ここからは、'23年の新曲で通算132作目となるシングル「約束の月」について語ってもらおう。本作は、 '09年に亡くなった三木たかしの作曲で、作詞は石川本人。どういった経緯があったのだろうか。

「三木さんが晩年、声が出せなくなったときに、“もし何かメロディーが湧いてきたら、いつでもギターで録音してください”ってMDレコーダーをお渡ししていたんです。そうしたら、そこに何曲か入れてくださって。それをコロナ禍で繰り返し聴いていたら、“ああ、三木たかしメロディーって本当にいいな”と思い、今の時代にこそ、みなさんに届けたいと思いました」

 それで、この温かいメロディーに合う歌詞をいちばん理解しているのは、何度も聴いていた私かもしれないと思って、あまりキラキラした言葉を使わないよう意識しながら、自分で書いてみました」

 本作では、サビに出てくる“1250の満月”という言葉がとても印象的だ。

「ありがとうございます。“100年たったらまた逢いましょうね”と言いたくて、その間に満月は何回めぐってくるだろうって。実際は、もう少し回数があるんですけどね(笑)。先日も、外を見たらピンクムーンが本当にきれいで。“ああ、この月は、ウクライナの人たちも見るのかな……”と、何か遠いところにあるけれど、みんなを近づけてくれる存在として、月の歌を書きたいと思ったんです。だから、聴いてくださった人それぞれが、逢いたい人……遠くにいる恋人やご両親、あるいは亡くなられた方を、自由に思い描いてもらえたら

「津軽海峡・冬景色」の生みの親でもある三木たかしとはどういった思い出があるのだろうか。

「先生とは本当にたくさんお話をしましたね。“さゆり、そんなにキレイに歌ってどうするの? 人はうれしいときや悲しいとき、呼吸が浅くなったり、深くなったりするんだよ。それをもっと歌の世界に入れてみれば?”と言われたことがとても印象深いです」

 確かに、初期のシングルをリリース順で聴いてみると、「津軽海峡・冬景色」前後で歌唱がエモーショナルになっているのがよくわかる。それは作風の影響が大きいと思われがちだが、本人の意識も大きく変わってこその名曲の誕生だったのだ。