阿久悠は「亡くなる直前まで作品の構想を考えていた」
そして、このカップリング曲は、「津軽海峡・冬景色」のもうひとりの生みの親である阿久悠が作詞した「みち 今もなお夢を忘れず」。51年目もなお挑み続ける石川に、当て書きしたような内容だ。
「これは昨年、ご子息の深田太郎さんから“父の原稿が出てきた”と連絡があり、そこに先生の直筆で“みち 今もなお夢を忘れず”と書かれていたんです。これは運命だ! と思い、50周年リサイタルの音楽監督をしてくださった千住明さんにメロディーをお願いしました。千住さんとは'19年の紅白の『津軽海峡・冬景色』でもご一緒しました」
そういえば、石川は「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクを果たした'70年代後半だけではなく、阿久が執筆活動を中心としていた'00年代にも作詞曲を多数、歌っている。なぜ、
「阿久先生は、私たちの気持ちがあれだけわかるのに、歌い手とは一定の距離を保つという不思議な先生だったんですね。だけど'97年に、共通の大切な存在だった音楽プロデューサーの渋谷森久さんが亡くなったときに、“さゆり、僕たちは仲間として、一緒に音楽を作らなきゃいけないよ”って言ってくださって、そこからいろんなお話をさせていただき、さまざまな歌を歌いました。後日、奥様から、“亡くなる直前、ペンを持つ力がなくなるまでずっと構想を考えていたのよ”、とお聞きして……私は本当に幸せ者だと思いますね」
そんな中で生まれた第41位の「転がる石」は、阿久悠が自叙伝のように書いた渾身作で、今でもコンサートで大切に歌っている1曲だと語る。
「この曲は、シングルとはまったく別物として、ステージでは、アコースティックでカホンの伴奏で歌っているんですよ。第23位の『飢餓海峡』も、ステージではギター1本+間奏にチェロが入るくらい」
最後に、今後の抱負を語ってもらった。
「このストリーミングサービスのように、思い立ったらすぐにいろんな音楽を聴けるというのはすばらしいですね。私はいろんな歌を歌っていますが、それは、“人の中には本当にいろんな感情がある”ということを伝えたいからなんです。いくつか聴いてみて、もし気に入ったらコンサートに来ていただいて、人と人が共有できるものをより強く感じ取ってもらえたらと思います」
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「みなさん、私が何を歌っても面白がってくださるでしょ?」とほほえみながら取材を終えた石川さゆり。その笑顔には、ジャンルも年代も、そして国境さえも、やわらかく越えていくようなしなやかな強さが内包しているようにも思えた。彼女のさまざまな楽曲をじっくりと聴いてみれば、それぞれの聴き手の前にあるように見えた壁が、さほど高くなかったり、実は最初からなかったりと、別の景色が見えてくることだろう。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
石川さゆり(いしかわ・さゆり) ◎熊本県出身・1月30日生まれ。1973年3月25日、シングル「かくれんぼ」でデビュー。「津軽海峡・冬景色」で第19回日本レコード大賞歌唱賞を、「波止場しぐれ」で第27回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。以降も「天城越え」「風の盆恋歌」「夫婦善哉」と数々のヒット曲を送り出すなど、長年に渡り多くのファンを魅了してきた。'20年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公・明智光秀の母、牧役を好演。'22年3月に50周年を迎え、第73回紅白歌合戦では紅組最多となる45回目の出場を果たした。'23年4月5日にはシングル「約束の月」が発売に。
新曲シングル「約束の月」Now On Sale!
デビュー51年目の幕開けを飾る新曲は、稀代の作曲家・三木たかしの遺作。
遠く離れていても同じ月を見ながら想いが通い合うふたり、100年後に変わらない想いで、今日と同じ満月の日にきっと逢いましょうと約束したふたり。1250回の満月に永遠の想いが込められている。
カップリングは、'22年の50周年記念リサイタルで初披露した「みち 今もなお夢を忘れず」。50周年を象徴的に飾った楽曲。
※商品詳細は公式サイトへ→https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/ishikawa/
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