人気絶頂期にまさかの電車通学、新宿駅では“改札通過NG”が出るときも

 そうして少年隊のレコード・デビューから約1年半後にデビューした光GENJI。'88年には、3rdシングル「パラダイス銀河」で『日本レコード大賞』を受賞し、ランキング番組の『ザ・ベストテン』でも、同年にランクインした4曲合計での1位獲得が22週と、圧倒的な強さを見せた。

 これに対し、少年隊は同番組にて'87年は1位獲得が6週だったのが、光GENJIが急成長した'88年には1位2週、2位9週と、1位より2位になることが増えた。当時の少年隊ファンは“歌もダンスもスター性も最高なのに……”と、歯がゆい思いをしたのかもしれない。そんな状況を、当の光GENJIメンバーだった彼らはどう感じていたのだろうか。

「順位でほかのグループに勝ったという意識は全然なかったですよ。敵対心なんてまったくありません!」

「ジャニーズの中でも、少年隊のみなさんは別次元なので、比べようがなかったですね。何より子どもだったし。だって『パラダイス銀河』のころ、まだ電車で通っていたんですから(笑)」

「僕も学ランを着て京王線に乗って学校へ行って、それから仕事場でキラキラ衣装に着替えて、終わったらまた学ランを着て帰る、という繰り返しでした。そんなときに、ファンの方が乗ってきて電車が満員になる状況があって、ある芸人さんによると、僕が乗っていた号車は当時の学生たちから、“山本車両”と呼ばれていたそうです(笑)

「僕も総武線だったんだけど、もしかして“寛之車両”って呼ばれていたのかな?(笑)」

「しかも当時は自動改札じゃなかったから、新宿駅で降りようとすると駅員さんから、“改札に来ないで~!”ってサインが出るんですよ。ファンの子が勢い余って、改札を乗り越えちゃうらしく」

「確かに、集合するところも、ちょっと外れた(各駅停車が停まる)駅にすることが多かったよね」

「新幹線から移動する際も、“いかにも荷物を入れています”って感じのワゴンの中に入り、そのままトラックに運び込まれて移動するなんてこともありましたね。飛行機に乗るときも搭乗口じゃなく、飛行機の直下にバリケードを設置してもらって乗り降りしていたので、プライベートで移動するときも、チケットの買い方がわからなくて恥ずかしかったです(笑)」

「え〜っ、マジで!?」と山本の告白に爆笑する佐藤。仲睦まじさが尊かった 撮影/矢島泰輔

植草克秀とふたりをつなぐキーワードは「アロワナ」と「デコピン」

 なんと、当時の仰天エピソードまで披露してくれたふたり。続いて、アイドル時代の植草克秀との交流関係を語ってくれた。

「21歳のときかな。植草さんが趣味でアロワナという熱帯魚を飼ってらして、“実は僕も飼ってみたいんです”と言ったら、“いいよ、いいよ~!”って譲ってもらい、僕の部屋に来てセッティングまでしてくださって。それで、植草さんが帰りがけに、部屋の隅に釣り道具があるのを見つけて、“釣りもするの?”“はい、ブラックバスを”と盛り上がって。そこから仕事の合間を縫って釣りもご一緒する仲になったのですが、集合場所に行くと、先にボートを出して準備してくださっているんです。ふたりとも自然好きが共通しているので、“このツアーが終わってからも一緒に行きたいね”と話しています

「僕は何かあったかな……あっ、思い出しました! 当時、僕は週末だけ合宿所に泊まっていたのですが、ある夜、広い部屋でファミコンをしていたら、植草さんがバーン! と入ってきて、唐突に“おい、ジャンケンしようぜ”って。それで、ジャンケンに負けて思いっきりデコピンをされたことがあります。痛かったなあ〜。ご本人は覚えていないでしょうけど、何回かされた記憶があるから、当時はそれが流行(はや)っていたんでしょうね(笑)