僕の自堕落な大学生活はもうとっくに臨界点を迎えていた。就職を忌み嫌っていた僕が大学に通う理由は空中で分解し、もはや何のために授業を受けているのかよく分からない状況だった。

 128単位取得しなければいけない単位は4年間で30ほどしか獲得できず(そもそも「獲得」という言葉を単位に対して使うことが正しいことなのかも分からない)、あと何年この牢獄にいればいいのか把握していない状態でとりあえず大学に籍を置いていた。

 周りの友人が就活だの卒業論文だのよく分からない単語で会話している中で、僕ただ一人はほぼ1年生のような授業を受ける日々。同じ授業を何回も受けすぎて、またこの教授のこの話かと授業のチュートリアルだけには精通し、やっぱり途中で行かなくなった。そんな生活にさすがに焦りを感じた僕は、試しにレポートを全部出してみることにした。

 学期末に鬼のように出されるレポートは見ただけで目眩を起こすのに十分な量である。やっとこさ授業の期間が終わり、何をやってもフリーダム、合法的休みの期間を貰えているのに、あの量のレポートをこなそうというモチベーションを持つ人間は何かしらの気が触れている。対して賢明な僕は健全な精神を保つべく、提出すべきレポートをこの眼でしっかりと見極め、簡単に書けそうなものに絞って提出していた(しない時もあった)。だが、こんなロー出力な生活が全ての元凶であるとちょっと悟り始めていた僕は、晴れて狂人の仲間入りを果たし、全てのレポートを提出しようと決めたのである。大学を卒業するという行為はたぶん、ちょっと頑張らなきゃいけないことなのかもしれない。

 僕にはある作戦があった。まず、今まで通り厳選した授業の一本のレポートを完成させる。そして、他の授業のレポートはその文章をコピペした後、文頭と文末のみを少し変更して完成させてしまおうという計画である。コピペという手法を使ってはいるが、文章は全て僕のオリジナルである。完全合法レポート水増し作戦であった。

 最初の一本目、つまり後の全てのレポートの起源となる「原初のレポート」はヒップホップ史の授業に決定した。当時、僕はPrefuse73というアメリカのミュージシャンに傾倒しており、彼に関することなら少しばかりアカデミックなことを書ける自信があった。まずはPrefuse73を体系的に解析したヒップホップのレポートを完成させる。「彼はヒップホップの音声をサンプリングし、それをチョップすることで言葉の意味を崩壊させた後、それらを再構築することによってー」など、それっぽいことを書いた。割と自信があった。あとは残りの全てのレポートをこのヒップホップの話に持っていけばよい。

 文化人類学、メディア表象論、近代哲学etc…僕が提出するそれら全てのレポートはヒップホップの観点から論じられた。一見すごく遠い位置にありそうな社会福祉(年金問題)の授業のレポートでさえ「社会福祉について論ずる為に、まずはアメリカのアーティストPrefuse73の音楽的手法について言及したい」という具合に話が展開された。結果は全て落単だった。

 これには流石の僕も憤慨した。頭が固い初老の大学教授達には多少突飛な論理に聞こえるかもしれないし、僕も自分で納得して書いているわけではないが、もし僕が心の底からヒップホップの観点から年金問題を論じたい学生だったらどうするんだ!と教授を叱りつけてやりたかったが、教授室に行くのが怖すぎて諦めた。そしてこの年の単位も0単位を記録したのである。

 そしてある時期、僕は遂に退学の決意を固めた。キッカケは5年生から始まったゼミの授業に入室した途端、教授から激昂されたことだった。

 このゼミは学期の始まりからスタートしていたが、その授業のシラバスには「休みは4週までを限度とする」との記述があったので、有り難く最初の4週はお休みをいただいて5週目から意気揚々と参戦したところ(その日も少しばかり遅刻したりもしたが)、優しそうな眼鏡の教授が物凄い形相で近づいてきて、「ナメとんのかコラァ!!!」とメンチを切ってきたのである。日本の最高学府と呼ばれる神聖な場所で、あろうことか教授という立場の人間がVシネの竹内力ばりのメンチを切るなど言語道断であると声高に叫びたかったが、教授の剣幕が余りにも怖すぎたので静かに扉を閉めた。こうして僕の卒業への扉も完全に閉ざされてしまったのである。

 向かうべき道は退学一途であるが、一人で退学するのは心寂しかった。それに、あの怖い事務室に「退学希望」などという志の低さを携えながら入室するのは如何せん忍びない。心強い同志の必要性を感じていたところ、ある適任の人物が思い浮かんだ。青柳である。

 この男とは後にYouTubeで一緒に動画を作ることになるのだが、彼も中々気合いの入った逸材で、ザルで水を掬うかの如くバシャバシャと単位を落としまくっているという噂だった。以前授業で青柳を見かけたことがあるが、その浮きっぷりといったら目を見張るモノがあり、まるでお葬式か何かと間違えて大学に来てしまったのかと心配になるくらい教室の隅っこに暗い表情で座っていたかと思うと、授業終了のチャイムが鳴るや否や全国指名手配犯のような身のこなしでコソコソと教室を出ていっていた。これは間違いなく退学必至の逸材であろうと彼に連絡を取ると、青柳もまさに退学を考えているところであった。

 斯くして、二人で中退の意思を固め、大学の事務室へ入室することとなった。自らの進路を自らの意思で決定した若人二人の足取りは確かであり、事務員の指示に従い関係書類にサインをしていく。

 やっと、やっと解放されるのだ。鬼のような形相で激ギレしてくる教授、ヒップホップの観点で論ずることを決して許さない社会福祉論、全てから解き放たれる。これが終われば、人生において「やらなければならないこと」という項目が完全に消失するのである。これぞ自由だ。比喩ではなく、僕たちの目の前には無限の可能性が広がっていた。レポートを書く時にはあれほど筆が進まなかったのに、退学のための書類を書く際には驚くほどボールペンが跳ねた。その作業は魂の解放への祈りのようだった。

 この至福の作業を青柳はどんな顔をして行っているのだろうと隣を見ると、僕は驚愕の光景を目の当たりにした。

 青柳は何故か死ぬほどテンパっていた。事務員さんが優しく手続きの方法を教えてくれているのに「あっ、えっ、あっ、はい。わか…りました…。えっ?」などと全く埒が明かない状況で、猿でも分かるごく簡単な書類をバッサバッサとめくっている。その手間取り方は、紛れもなく社会不適合者のそれであった。

 僕はなるべくして退学になる男の有様を目の当たりにし、急激に自分が恥ずかしくなった。彼と全く同じ運命を辿る書類に自分は今、サインしようとしているからである。こんな男と俺は一緒なのか。

 両親や教授にあれほど激昂されようとも微塵も動かなかった心が今、激しく揺れ動いていた。なぜレポートをちゃんと書かなかったんだ。なぜ真面目に授業を受けなかったんだ。僕はこの時初めて、大学生活への猛烈な後悔に苛まれた。僕は青柳と、こんな激ショボな男と、書類上同じ人間になってしまうのか。元々就職などは全く考えていなかったので高卒上等の気概でいたが、最後に残った1mmのプライドが「青柳と一緒に退学」という行為を許さなかった。僕は慌てて退学申請から休学申請へと切り替え、この時はめでたく青柳だけが退学となった。

 青柳と時期をズラし1年後に退学届けを提出した僕は、その日の夜両親に土下座して謝った。限りなく放任主義で育ててくれた僕の両親は、この時ばかりは烈火の如く怒っていた。人生で一番怒られたのはこの時かもしれない。もう一度この場を借りて謝罪させていただきます。本当に申し訳ございませんでした。

「大学生活は両親が一生かけて稼いだ金を食いつぶす行為である」

 僕のEvernoteに記されたこの一文は、実を言うとまだ腑に落ちてはいない。恐らく僕が子供を持って、その子供が大学に行きたいと言い出した時に、その言葉の意味を痛いほど実感するのだろう。

 その時は自分の子供にしっかりと言い聞かせてやろうと思う。

「出席シートは五色あるから気をつけろ」と。

(文/わるい本田、編集/福アニー)

【Profile】
●わるい本田
1989年生まれ。YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の出演と編集を担当。早稲田大学を三留し中退、その後ラジオの放送作家になるも放送事故を連発し退社し、今に至る。誰にも怒られない生き方を探して奔走中。