「大学生活は両親が一生かけて稼いだ金を食いつぶす行為である」

 Evernoteを久しぶりに見返していたら、この一文がペタリとコピペされていた。正確な時期は覚えていないが、大学生の時にネット上の誰かの言葉を拾ってきたものだろう。

 そんな言葉を必死でメモしなければ立ち行かない程、僕の大学生活はデカダンを地で行く低品質な毎日であった。

 今回はそんな“一生をかけて稼いだ金”で大学へ通わせてくれた両親に、僕から謝罪の文章を贈りたいと思う。

 誰もが希望を胸に抱くこの春という季節に、僕の腐り切った大学生活など公の場所に記すべきではないのかもしれない。だがこのコラムが新入生諸君の反面教師になることを期待して、こんな時期だからこそ書いてみようと思う。それに、根っからの優等生は僕の文章など最初から視界にも入らないだろう。

 結末を先に言ってしまえば、僕は大学を6年生まで通ったあげく中退した。単位は6年間で60単位ほどしか取得できなかった。それなりに頑張ってみた時期もあったが、7年生までの留年が確定し、それに絶望して中退を決意した。勾留されていた殺人犯が仮釈放のために模範囚になってみたが、余罪が見つかって刑期が延び、それに絶望して自殺を図ったみたいなものである。つまりは全て自己責任。身から出た錆である。

 だが、こんな僕でも1年生の時は学習意欲の塊であった。この頃、哲学に心酔していた僕は、フランス語の授業で隣の席になった女の子になぜフランス語を選択したのか聞かれると「サルトルを原語で読みたいからね」と答えていた。

 そんなフランス語の授業はその後落第を繰り返し、6年かかっても1年生のクラスから脱出できず、サルトルの著作はおろかフランス語のアルファベ(ット)のdまでしか覚えられず中退した。

 サルトルを原語で読みたかった青年がここまで落ちぶれてしまったのには理由があった。「バンドサークルでの狂乱の日々」である。

 高校生からバンドをやっていた僕は大学でもバンドサークルに入った。そして、大学の近くにはそのサークルの先輩のアパートがあり、そこは昼夜を問わず人が出入りする溜まり場になっていた。

 先輩に連れられ初めてその家に行った日の事は鮮明に覚えている。ボロボロのアパートの鉄の扉を開けて中に入ると、奥の部屋からゲラゲラと品のない笑い声が聞こえた。

 立て付けの悪い襖をガラッと開けると、2人の先輩がスーファミで桃鉄をやっていた。傍には鬼ころしの開きパックが無数に転がっている。先輩達は僕を歓迎する様子もなく、かといって拒絶する雰囲気もなく、テレビを凝視しながら桃鉄の社長の名前を決めていた。「はじめまして!」という新入部員の僕からの挨拶に対する返事は「見て。社長の名前『ちつあつ社長』ってヤバいよね」だった。

 その瞬間、僕の脳からジワッとアドレナリンが放出された。今まで自分が経験したことのない人との交わり方と距離感に、不思議な居心地の良さを感じたのである。

 その日から僕はその家の住人になった。授業には全く行かなくなり、昼夜を問わずそこで遊び続けた。

 僕たちには時間があった。もう受験勉強をやる必要はないし、就職活動をする気もなかった。将来を何も考えないからこその無限の時間がそこにはあったのだ。このままこの楽しい日々が続けばいいな、ということすら考えない闇雲な毎日。桃鉄の年数は毎回、終わりが来ないように99年だった。

 だがしかし、非情な現実は音もなく忍び寄って来ていた。1年生の夏休みの終わりを迎え、それでも授業に行きたくなかった僕が「自主的夏休みの延長」を繰り返し、そのまま2年生の夏休みに突入した頃、家族会議が開かれた。

 お節介にも大学が僕の単位取得状況を知らせる書類を実家に送付して下さっていたのである。その書類を見た父親が烈火の如く怒り狂い、2年生後期でのフル単を約束させられた。

 だがしかし、僕は自堕落な日々に忙しかった。どうしても朝までスマブラがやりたかった。そこで、授業に最小限だけ参加して単位を取得する作戦を決行した。

 僕の大学では、授業の最初に配られ最後に提出する出席カードと呼ばれる紙があった。それさえ出してしまえばその授業は出席扱いである。そこで、そのカードをどうにかして事前に大量に集め、授業の最後だけ顔を出してその出席カードを提出し、授業を全て出席扱いにしてしまおうと思った。

 早速、真面目に授業に出席している且つこちらの話が分かる聡明な友達から出席カードをかき集め、授業のラスト10分前に教室にこっそり侵入し、何食わぬ顔で出席カードを提出した。完璧な計画だと思われた。

 ところがこの作戦にはある重大な落とし穴があった。

 出席カードは数種類に色分けされており、毎回どの色のカードが配られるかは事前告知されていなかった。当然、僕は全ての色のカードを用意して授業に侵入(出席)していた訳だが、如何せん僕は色の区別が付かない色覚特性という障害を持っていた。授業のラスト10分前に教室に侵入(出席)し、隣の席の真面目そうな男が持っている今日の出席カードを盗み見るも「あれは…赤?いや、緑か?」という具合に、その日の出席カードの色を判断する事が困難だったのである。

 それでも僕は「まぁもし色が間違ってても返されるだけやろ」と謎の楽観的思考でテキトーに提出していた。教授もそれを毎回顔色一つ変えずに受け取っていたので、僕はしめしめと言わんばかりに速攻で教室を飛び出し、例のアパートへ向かい、狂乱の日々を継続していた。

 ところが、2年生の終わりに送られてきた成績通知表を見て僕は膝から崩れ落ちた。単位が0単位だったのである。

 後から聞けば、大学側はその様な小細工など百も承知で、対応していない色の出席カードを出した生徒は全て欠席扱いになっていた。嫌らしいのは出席カードを受け取る時点では何も言わない事である。泳がせるだけ泳がせて不真面目な生徒を炙り出す作戦だったのだ。さすが、国の最高学府といったところだろうか。敵ながら天晴れであるが、単位は全て落単した。

 こうして、かつてサルトルに啓蒙された青年は盲目的な自由に蝕され、退学への道を辿ることになる。地獄の退学へ追い込まれ、全ての責任を取らされる結末は次回の記事に書くことにする。

 僕たちが妄想していた自由はもう何処にもなかった。やはり人間は自由の刑に処せられていたのだ。

(文/わるい本田、編集/福アニー)

【Profile】
●わるい本田
1989年生まれ。YouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」の出演と編集を担当。早稲田大学を三留し中退、その後ラジオの放送作家になるも放送事故を連発し退社し、今に至る。誰にも怒られない生き方を探して奔走中。