最終的に残ったケムリとコンビを組んだ

――慶應義塾大学在学中には、同じお笑いサークル『お笑い道場O-keis』に入っていたとのこと。

ケムリ:“お笑い芸人になりたい”という気持ちは高校生くらいからあったんですけど、親に「大学には行きなさい」と怒られて。じゃあ、ということで大学に入ったら、すごく楽しかったんですよ。大学って、楽しいじゃないですか?

――高校と比べると自由度が違いますからね。

ケムリ:大学生活を満喫しすぎて、お笑い芸人になりたい気持ちが一回なくなったんです。そうしたらお笑いサークルが目に入って、“これこれ!”って。“大学に行きながらお笑いっぽいことができるじゃん!”と思って、渡りに船で入りました。

自然体でいて、取材中もかなりゆる~いスタイルのケムリさん 撮影/相馬太郎

――(笑)。でも、納得の理由ですね。

くるま:僕は、芸人になりたいとは思っていなかったんですけど、なんとなく表に出たいなとは思っていました。特にお芝居をやりたくて、お芝居のサークルも見に行ったんですけど、たまたま会った先輩たちが「留年確定だけどよろしく!」「稽古めちゃめちゃ厳しいから!」「飲みも激しいから!」みたいな人しかいなかったんですよ。それを見て痛いなと思い、ちょっとためらって。

 ラグビー経験があったからラグビーサークルに入りました。そうしたら、ラグビー部のやつらに「(お笑いサークルに)入れよ」と言われたんです。高校のころからお笑い担当だったのもあるんですけど。

――『踊る!さんま御殿!!』で培った話術も生きていたのでしょうね。これだけ笑わせる才能があるならとすすめてくれた。

くるま:僕も、“コントはお芝居に近いし、やりたいかな”くらいの気持ちで入ったら、最終的にそこだけ残った感じですね。他のサークルは辞めていったので。だから、僕の場合はたまたまお笑いサークルに流れ着きました。

お互いの第一印象は“優秀な幹部”と“おもしろい感じのヤツ”

――そうして、そのサークルでおふたりは出会ったと。当時の印象はいかがでしたか?

くるま:最初は、本当にいい先輩という感じでした(※ケムリは1学年上)。大親分みたいな先輩って大学お笑いにもいるんですけど、この人(ケムリ)の一個上の代に、いろんな場所に連れ歩いてくれる大親分ポジションの人がいたんです。俺はそれについていく後輩のひとりで、この人はその間にいる優秀な幹部みたいな。

ケムリ:はははは!

くるま:マジで優秀な幹部でした。俺ら後輩を誘って、先輩との接点をつくってくれる人。で、お金も持っていたから大学のすぐ目の前に家を借りていたんです。窓から東京タワーが見える、家賃12.5万円のルミエール三田っていうマンションなんですけど。

ケムリ:そこまで言うんだ。別にいいけど。

くるま:そこが第二の部室みたいな溜まり場になっていたので、コンビを組んでいないときからよく行っていたんです。そこでも、後輩の面倒をよく見てくれていました。

論理的な視点でインタビューに答えるくるまさん 撮影/相馬太郎

――では、ケムリさんから見たくるまさんは?

ケムリ:おもしろい感じのヤツ……だったと思います。正直言うと、組むまでの思い出がそんなにないんです。飲みには行っているんですけど。僕はバンドサークルがメインだったんです。

くるま:だからか飲み会にはいるけど、お笑いサークルの会議にはいない人。

ケムリでも部室に行ったときに、彼がコンビニでキレイなジャンプ(『週刊少年ジャンプ』)を手に入れる方法をしゃべっていたのは覚えています。で、変な人だなあと思った。