高比良くるまさんと松井ケムリさんからなる漫才コンビ・令和ロマン。慶應義塾大学のお笑いサークルでコンビを結成し、2018年にはNSC(吉本総合芸能学院)東京校を首席で卒業(23期生)。
プロとしては今年で芸歴6年目の若手ですが、これまで『第7回NHK新人お笑い大賞』大賞を受賞しているほか、『第43回ABCお笑いグランプリ』準優勝など、輝かしい成績を残しているおふたり。
さらに、2023年の『上方漫才大賞』では、関東のお笑いコンビながら新人賞にノミネートされる偉業も成し遂げています。
そんなふたり、世間的には『M-1グランプリ2022』敗者復活戦でのドラえもんのネタも記憶に新しいところ。SNSではネタに登場したワードがトレンド入りし、大いに話題となりました。
そこで、今回は令和ロマンをより詳しく知るためのインタビューを実施。前編では、大学時代を中心に、これまでの道筋とお笑いとの向き合い方を探ります。
◇ ◇ ◇
いじめられそうだったから、お笑いで武装した
――まずは、おふたりがお笑い好きになったきっかけを教えてください。
松井ケムリ(以下、ケムリ):わかりやすいところだと『エンタの神様』(日本テレビ系)かな。小学校高学年になるころには見ていました。で、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)『爆笑レッドシアター』(フジテレビ系)という、僕らの世代の王道ルートをたどっていました。
高比良くるま(以下、くるま):僕はそのへんの番組はあまり見ていなくて、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)ばかり見ていました。僕、早めに完成していたタイプの子だったんです。たまたま入った幼稚園が当時はまだ珍しかったスーパー幼稚園で、小学校に入学するころには、漢字も九九もできていたんです。それに家庭環境があまりよくなかったし、客観的に「僕、いじめられちゃうな」と思ったんですよね。
――家庭環境というと……?
くるま:そんなに言える話ではないですが、やんわり言うと周りと違いました。地元で“ちょい目立ち”していたというか。
ケムリ:悪目立ちでしょ? ちょい目立ちだと、いい意味で目立っている可能性あるけど。
くるま:いやいや、ちょい目立ちだから。そう言っておかないとみんな引いちゃうからね? まぁ、大げさに言うと「あの家の子と遊んじゃいけませんよ」と言われそうだなと肌感覚でわかったんです。年長さんぐらいのときに、親の離婚や再婚で苗字が変わっていたし、“何かイヤな予感がする”“みんなが気づき始めたらヤバそう”と。
だから、いじめられないようにするにはどうしようかと考えていたときに、さんまさんが『踊る!さんま御殿!!』でめっちゃしゃべっているのを見て。“そうか、こうやって先に倒そう”と思ったんですよ。やっぱ、さんまさんっていじめられないためにしゃべっているんで。
ケムリ:絶対そんなことないよ。
くるま:先に攻撃してるんだよ、あれ。
ケムリ:違うって(笑)。
くるま:さんまさんって、いじる隙がないぐらい自分でしゃべるじゃないですか。あのファイトスタイルをお手本にした感じです。あとは、とんねるずさんやビートたけしさんもそう。いまのダサい言葉でいうと、パワハラお笑いみたいなものを実践して、自衛しようと思っていました。だから、ネタよりもトーク番組を見ていましたね。
――だいぶ達観していますね。
くるま:そこからは成長していないんですけどね、僕。年長くらいでピークを迎えて、あとはずっとキープしているだけなんで。(ケムリを見て)だいたい一緒でしょ?
ケムリ:だいたい一緒だね。僕も小学校に入学したころは、どれだけ多くのダンゴムシを集めるかに必死だったので。だいたい一緒っす!
最終的に残ったケムリとコンビを組んだ
――慶應義塾大学在学中には、同じお笑いサークル『お笑い道場O-keis』に入っていたとのこと。
ケムリ:“お笑い芸人になりたい”という気持ちは高校生くらいからあったんですけど、親に「大学には行きなさい」と怒られて。じゃあ、ということで大学に入ったら、すごく楽しかったんですよ。大学って、楽しいじゃないですか?
――高校と比べると自由度が違いますからね。
ケムリ:大学生活を満喫しすぎて、お笑い芸人になりたい気持ちが一回なくなったんです。そうしたらお笑いサークルが目に入って、“これこれ!”って。“大学に行きながらお笑いっぽいことができるじゃん!”と思って、渡りに船で入りました。
――(笑)。でも、納得の理由ですね。
くるま:僕は、芸人になりたいとは思っていなかったんですけど、なんとなく表に出たいなとは思っていました。特にお芝居をやりたくて、お芝居のサークルも見に行ったんですけど、たまたま会った先輩たちが「留年確定だけどよろしく!」「稽古めちゃめちゃ厳しいから!」「飲みも激しいから!」みたいな人しかいなかったんですよ。それを見て痛いなと思い、ちょっとためらって。
ラグビー経験があったからラグビーサークルに入りました。そうしたら、ラグビー部のやつらに「(お笑いサークルに)入れよ」と言われたんです。高校のころからお笑い担当だったのもあるんですけど。
――『踊る!さんま御殿!!』で培った話術も生きていたのでしょうね。これだけ笑わせる才能があるならとすすめてくれた。
くるま:僕も、“コントはお芝居に近いし、やりたいかな”くらいの気持ちで入ったら、最終的にそこだけ残った感じですね。他のサークルは辞めていったので。だから、僕の場合はたまたまお笑いサークルに流れ着きました。
お互いの第一印象は“優秀な幹部”と“おもしろい感じのヤツ”
――そうして、そのサークルでおふたりは出会ったと。当時の印象はいかがでしたか?
くるま:最初は、本当にいい先輩という感じでした(※ケムリは1学年上)。大親分みたいな先輩って大学お笑いにもいるんですけど、この人(ケムリ)の一個上の代に、いろんな場所に連れ歩いてくれる大親分ポジションの人がいたんです。俺はそれについていく後輩のひとりで、この人はその間にいる優秀な幹部みたいな。
ケムリ:はははは!
くるま:マジで優秀な幹部でした。俺ら後輩を誘って、先輩との接点をつくってくれる人。で、お金も持っていたから大学のすぐ目の前に家を借りていたんです。窓から東京タワーが見える、家賃12.5万円のルミエール三田っていうマンションなんですけど。
ケムリ:そこまで言うんだ。別にいいけど。
くるま:そこが第二の部室みたいな溜まり場になっていたので、コンビを組んでいないときからよく行っていたんです。そこでも、後輩の面倒をよく見てくれていました。
――では、ケムリさんから見たくるまさんは?
ケムリ:おもしろい感じのヤツ……だったと思います。正直言うと、組むまでの思い出がそんなにないんです。飲みには行っているんですけど。僕はバンドサークルがメインだったんです。
くるま:だからか飲み会にはいるけど、お笑いサークルの会議にはいない人。
ケムリ:でも部室に行ったときに、彼がコンビニでキレイなジャンプ(『週刊少年ジャンプ』)を手に入れる方法をしゃべっていたのは覚えています。で、変な人だなあと思った。
当初は“いくつかあるコンビの中のひとつ”という感覚だった
――では、どんなふうにコンビを組むことになったのですか?
くるま:お笑いサークルなので、普通の芸人と違って、同時に何個もコンビを組むんです。僕も同級生の何人かと組んでいました。で、こちら(ケムリ)も同級生と組んでいて、「こいつとふたりでプロになる」と周りに言っていたんですよ。だから僕は普通に応援していたんですけど、相方さんが「やっぱりお笑い芸人になるの辞める。就職する」と言い出して。裏切られたんですよね。
――それは唐突ですね……。
くるま:なので、僕らがコンビを組むことになりました。ただ「ふたりでプロになりましょう!」と意気込んでいたわけでは決してなくて。僕としてはあくまでも、“いっぱい組んでいるコンビの中のひとつ”という位置づけ。僕のデッキに加えてあげた、みたいな感じでした。
そうして、すべてのコンビを同時並行にやっていたんですが、プロになるタイミングで気がついたら僕の相方だった人たちがほぼいなくなっていて。最後にデッキに加えたはずの松井というカードが、いちばん上に出てきました。
――ということは、そのころにはおふたりとも、プロになろうと思っていたのですね。
くるま:ケムリ先生はプロになろうと思っていて、僕はそこまで考えていませんでした。僕は、当時もいまもそのときのことしか考えてないので。
ケムリ:留年もしていたもんな。就職も考えていなかったし。
くるま:バイトをしていたから、もうそのままでいいなと思っていました。
――流れるままにという感じですね。ということは、いい相方が見つかればプロのお笑い芸人になってもいいかもな、という考えもあった?
くるま:1年生の終わりごろに、当時組んでいた相方のひとりと「ワタナベコメディスクール」の大会でいいところまでいけて、特待生の権利をもらったんです。授業料を免除してくれるという。
そのときはプロになろうとはまったく思っていなかったんですけど、この結果を見て“プロの事務所に認められるくらいの力はあるんだ”という自覚は生まれました。
でも、そのときの相方はいい家柄の子だったので、まずプロにはいかない。だけど、その相方と一緒にスクールに入学しないと、特待生の権利は得られないんですよ。コンビでの実力を認めているわけだから。
――そのコンビの将来は、早々に断たれてしまいましたね。
くるま:でもこのとき、“大学在学中にプロになれるなら、なってもいいのかもな”“じゃあ、強いヤツと組もう”という考えにはなりました。2年生になる直前くらいですね。そうして、いろんな大学のお笑いサークルから、自分の中で選抜した人たちと組み始めました。
その筆頭が、いろんなところで言っていますけどラランドのサーヤ(※当時上智大学のお笑いサークルに所属。くるまと同学年)。あと、いまたまゆら学園というコンビでやっている植木おでんと、シノブというコンビでいま頑張っている櫻井も含めた4人です。「ピカリ宇宙論」というユニット名で活動していました。
で、僕はこの3人の中の1人とプロに行くだろうなと思っていたんです。だけど、結局全滅しちゃったんですよ。サーヤは就職したし、植木は在学中に違うコンビで吉本に入っちゃったし、櫻井はプロになることもせず、卒業もせず、大学もやめずにひたすら留年しながら居酒屋でバイトを3年間やって、僕らの3年後輩として吉本に入ってきたから。だから、ここ(ケムリ)しか残らなかったんです。
コロナ禍を機に、ようやくプロになった
――本格的にコンビを組んでみて、相性のよさや手応えは感じましたか?
くるま:ケムリ先生と極端に合わない人はまずいないと思います。僕は、もともとコントをやりたかったですし、ツッコミのほうが性に合っていると思っているんです。イメージしていたのは、ニューヨークさんやジャルジャルさんみたいにボケとツッコミをスイッチできるようなコンビだったから、イメージからはすごく遠かったです。組んだばかりのころはいろいろな相方と同時進行だったから、漫才のボケをやるという経験も僕としては楽しかったんですけど。
――ツッコミは他のコンビで存分にやっているわけですもんね。
くるま:でも、最終的に残ったのがここで。このコンビでプロに行くことになったので、別の場所でコントをできないかと探っていた時期もありました。あと、(ケムリは)辞めると思っていたんです。過酷でつらいことも多い芸人(という仕事)は、お金持ちには無理だろうと思っているから。
ケムリ:まあね。どっかで急に辞めちゃうかもしれないよね。
くるま:いまは特につらくないからやっている、っていう感じでしょ? NSCに入った時点でもそれは思っていました。先生に理不尽に怒られたときのイラつき方が尋常じゃなかったし。
ケムリ:理不尽は普通に嫌いだからね。
くるま:そう、こういう帝王学で生きてきた人間なんですよ。芸人には理不尽がいっぱいあるから、どうかなと。でも、NSC23期生の主席になれたり、プロ1年目で『M-1グランプリ』の準決勝に行けたりして、イヤな思いをさせないまま、なんとかここまで来られました。
そうこうしているうちに、コロナ禍に入り。「コントをやりたい」と言った僕の気持ちは、全部リセット。そこでようやくプロになりました。そこまではノリでやっていただけなんですけど、もう仕事にしなきゃいけないなと。だから僕のプロデビューは、2020年秋なんですよ。
“お笑い”が“仕事”に変わった日
――それは、コロナだけがそうさせたんですか? 他にも何かが起こっていた?
くるま:『NHK新人お笑い大賞』で優勝したタイミングでもあります。あと、それまでの僕は、いつかこの人(ケムリ)が辞めたとしても、この世界でやっていけるような努力をずっとしてきたんです。それこそ、コントをやりたいと言い続けていましたし、“お笑いをコンプリートするうえで必要な技術を身に着けたい、勉強したい”という意気込みでいた。
だけどコロナ禍に入り、下支えしている舞台がなくなったとき、みんなはSNSやYouTubeで発信し始めましたけど、僕はまったくその感情が湧かなかったんです。そこで、“俺、別にやりたくなかったんだ”と気づかされたんですよね。それまで、お笑いサークルやラグビー部の部室という、お笑い風な場があるからやっていただけで、俺は別に何の情熱もなかったんだと気付いて。正直、もう無理かなと思いました。
――ある種、極限状態ですね。
くるま:そんな、マジでなんにもない時期に『NHK新人お笑い大賞』で優勝できたんですよ。すべてのやる気とコンディションがゼロの状態で、ストレスで口が指1本分くらいしか開かないまましゃべったら、客席の大半を占めるおじいちゃんおばあちゃんには逆に伝わりやすい語り口だったみたいで、優勝できました。
ケムリ:あれ、あのとき何で口が開かなかったんだっけ? ストレスだっけ? 虫歯じゃなかった?
くるま:虫歯もそうだけど、根本はストレスだったの。そこで優勝したことで“そうか、これは仕事なんだ”“働かなきゃいけないんだ”と思って。ようやく“仕事”を始めた感覚になりました。“吉本に就職した”というか。
――コロナ禍でスタンスがかなり大きく変わったんですね。かなりの変革期だと思いますが、コンビ間ではどうモチベーションを保っていましたか?
ケムリ:僕は、そういうことはあまり考えないです。彼が努力している部分はあるでしょうけど。
くるま:僕も別に苦労はしていないですよ。いまは、いわゆる熱量みたいなものは特にないから。お笑いに限らず、楽しく誰とも争わずに生きていければいいので。
ケムリ:そうなんですよね〜。
くるま:“お笑い”をやっているころだったらイヤだったと思いますよ。実際、“もっと頑張ろうよ!”と思っていた時期もあるし。でも、昔は吉本の深夜稽古という仕組みがあったので、強制的に頑張っていたからふたりの歯車が噛み合っていました。もし、俺がいまも“お笑い”をやっていて、隣にこれくらいのモチベーションの人がいたら、イヤだとは思います。だってストイックじゃないから。簡単に言ったら。
ケムリ:そうだね。
くるま:でも、僕はいま“お笑い”をやってないので。吉本に就職している感覚なので。そこは気にならないですね。それに、“趣味のお笑い”もやっているし。
ケムリ:“趣味のお笑い”もやってんの?
くるま:うん。僕、作家もしているので。本業に支障が出ない範囲で“趣味のお笑い”ができれば、いまは十分かな。
(編集/本間美帆)
【PROFILE】
令和ロマン ◎NSC東京校23期生の高比良くるまと松井ケムリからなるコンビ。もともと「魔人無骨」というコンビ名で活動していたが、2019年5月、元号が変わると同時に「令和ロマン」に改名した。現在は、神保町よしもと漫才劇場に所属。同劇場を拠点に、首都圏近郊や関西、福岡など各地の劇場に出演している。『令和ロマンのご様子』『令和ロマンのUBUGOE』など、配信ラジオの活動も。YouTube→@official-reiwaroman