当初は“いくつかあるコンビの中のひとつ”という感覚だった

――では、どんなふうにコンビを組むことになったのですか?

くるま:お笑いサークルなので、普通の芸人と違って、同時に何個もコンビを組むんです。僕も同級生の何人かと組んでいました。で、こちら(ケムリ)も同級生と組んでいて、「こいつとふたりでプロになる」と周りに言っていたんですよ。だから僕は普通に応援していたんですけど、相方さんが「やっぱりお笑い芸人になるの辞める。就職する」と言い出して。裏切られたんですよね。

――それは唐突ですね……。

くるま:なので、僕らがコンビを組むことになりました。ただ「ふたりでプロになりましょう!」と意気込んでいたわけでは決してなくて。僕としてはあくまでも、“いっぱい組んでいるコンビの中のひとつ”という位置づけ。僕のデッキに加えてあげた、みたいな感じでした。

 そうして、すべてのコンビを同時並行にやっていたんですが、プロになるタイミングで気がついたら僕の相方だった人たちがほぼいなくなっていて。最後にデッキに加えたはずの松井というカードが、いちばん上に出てきました。

――ということは、そのころにはおふたりとも、プロになろうと思っていたのですね。

くるま:ケムリ先生はプロになろうと思っていて、僕はそこまで考えていませんでした。僕は、当時もいまもそのときのことしか考えてないので。

ケムリ:留年もしていたもんな。就職も考えていなかったし。

くるま:バイトをしていたから、もうそのままでいいなと思っていました。

――流れるままにという感じですね。ということは、いい相方が見つかればプロのお笑い芸人になってもいいかもな、という考えもあった?

くるま:1年生の終わりごろに、当時組んでいた相方のひとりと「ワタナベコメディスクール」の大会でいいところまでいけて、特待生の権利をもらったんです。授業料を免除してくれるという。

 そのときはプロになろうとはまったく思っていなかったんですけど、この結果を見て“プロの事務所に認められるくらいの力はあるんだ”という自覚は生まれました。

 でも、そのときの相方はいい家柄の子だったので、まずプロにはいかない。だけど、その相方と一緒にスクールに入学しないと、特待生の権利は得られないんですよ。コンビでの実力を認めているわけだから。

――そのコンビの将来は、早々に断たれてしまいましたね。

くるま:でもこのとき、“大学在学中にプロになれるなら、なってもいいのかもな”“じゃあ、強いヤツと組もう”という考えにはなりました。2年生になる直前くらいですね。そうして、いろんな大学のお笑いサークルから、自分の中で選抜した人たちと組み始めました。

 その筆頭が、いろんなところで言っていますけどラランドのサーヤ(※当時上智大学のお笑いサークルに所属。くるまと同学年)。あと、いまたまゆら学園というコンビでやっている植木おでんと、シノブというコンビでいま頑張っている櫻井も含めた4人です。「ピカリ宇宙論」というユニット名で活動していました。

 で、僕はこの3人の中の1人とプロに行くだろうなと思っていたんです。だけど、結局全滅しちゃったんですよ。サーヤは就職したし、植木は在学中に違うコンビで吉本に入っちゃったし、櫻井はプロになることもせず、卒業もせず、大学もやめずにひたすら留年しながら居酒屋でバイトを3年間やって、僕らの3年後輩として吉本に入ってきたから。だから、ここ(ケムリ)しか残らなかったんです。

知ってか知らずか、取材中ふたりとも同じようなポーズで息がピッタリ 撮影/相馬太郎