音楽活動以外にも『こねくと』(TBSラジオ)の火曜パートナーをはじめ、テレビやラジオ、雑誌で幅広く活躍している、でか美ちゃん(32歳)。今回は、事務所の移籍、ぱいぱいでか美からの改名など、人生のターニングポイントにまつわるお話や、現在の結婚観、今後の展望についてお聞きしました。
(インタビュー第1弾→でか美ちゃん「両親は“ぱいぱいでか美”をあっさり承諾」「BiSやでんぱ組.incは開拓者」衝撃の軌跡をまるっと語る)
事務所移籍は「いい選択だった」改名のきっかけは、年下アイドルへの配慮から
──でか美ちゃんは、YU-Mエンターテインメントに所属しています。2021年まで在籍した前の事務所から移籍した理由は何でしたか?
「以前から、現事務所の山田(昌治)社長に会う機会がよくあって。YU-Mは雰囲気がよさそうだったので、冗談のつもりで“入れてくださいよ!”って言っていたんです。その後、前の事務所を辞めるかフリーランスになるか迷っていたときに、“ちょっと本当に入れてもらえません?”と話しに行ったら快く受け入れてくださって、所属させてもらいました。
あと、(モーニング娘。などが所属している)アップフロントさんに所属の方とお仕事させていただくこともありますが、みなさんが思っているよりも近くて遠いです(笑)。YU-Mに所属する際に一応、社長にヲタ活を続けていいか聞いたんですけど、“勝手にすれば”とのことでした(笑)」
──実際に移籍してみてどうでしたか?
「いい選択をしたと思いますね。実は音楽活動をしながら、ラジオやテレビなどでのタレント活動のマネジメントもしてくれる事務所って少ないんですよ。すごくぴったりなところに巡り合えたなって思います」
──ご自身が主催のライブなどもしていますが、事務所に反対された仕事などはありましたか?
「ほぼなかったと思います。“こういうグッズを作りたい”って相談して、“コスト的に無理でしょう”くらいですね(笑)」
──2021年末に、『ぱいぱいでか美』という芸名から『でか美ちゃん』に改名した理由を教えてください。
「改名については、ずっと悩んでいました。この名前のせいでダメになってしまう仕事があるとしても、それは自分が落ち込むだけで済むのですが……。年を重ねるごとに、自分よりも年下のアイドルが増えるじゃないですか。その子たちにとって、私が『ぱいぱいでか美』という名前であること自体が、セクハラの種みたいになってしまうことがあったんです。例えば、私の名前を呼ぶことで、その子のファンが変に反応したりするのって、アイドルの子にとっては負担にもなりますよね。私の名前が原因で、呼ぶにしても呼ばないにしてもほかのアイドルの子が八方ふさがりになってしまうことに、申し訳なさを感じたんです」
──ここまで浸透している名前を変えることは、勇気が必要ではなかったですか。
「改名するかどうかは、いろんな人に相談したんです。同じように名前のせいで出られない番組があったという玉袋筋太郎さんともお話しました。あと、占い師のゲッターズ飯田さんには、“占いどうこうではなく、普通に人として改名したほうがいいよ”って言われたんです(笑)。あのゲッターズさんが、占いと関係なく助言をくれるなんて相当だなと思って、それも大きなきっかけになりました。最終的に、改名したほうがいいと背中を押してくれたのは、大森靖子さんでした。やっぱり師匠という存在なので、大森さんの存在はいつでも大きいですね」
改名には後悔ゼロ! さまざまなジャンルの架け橋的な存在になることが目標
──本名に戻そうとは考えなかったんですか。
「それはなかったです。改名前から本名でなく“でか美ちゃん”って呼ばれる機会が多かったので、この名前に愛着もあったんです。それに、本名の自分は家に置いてきている感じというか、オフモードの呼び名だと思っていたので、本名にすることは浮かばなかったです」
──改名してからの変化などありましたか?
「たまに“面白い名前だったから、改名しないでほしかった”って言われることもあるんですけれど、改名して後悔したことは一度もなくて、本当にしてよかったとしか思っていません。やっぱり仕事も増えたし、テレビ番組に出演できる時間帯が、深夜からもう少し早めの時間中心になったんですよ(笑)。改名は、ちょうど(ブレイクのきっかけとなった)『有吉反省会』(日本テレビ系)の番組が終了するころから考え始めていたので、『ぱいぱいでか美』という名前の効力は、もう使い切ったなとも感じました」
──仕事にいい影響が出てきたのですね。
「TBSラジオのパーソナリティー(『こねくと』火曜パートナー)が決まったのも、改名したからかなって思います。なによりも、私のファンの人たちが会社とかでも“でか美ちゃんを応援している”って言いやすくなったみたいなので、それがいちばんよかったです!」
──最近、ラジオやMCなど話す仕事が増えた理由を、ご自身ではどう分析していますか?
「う~ん、どうなんですかね。やっぱり根がオタクなので、ライブを観に行っても“もっとこの人たちを世の中に広めたい”っていう気持ちがすごく強くて、SNSやブログで感想を発信したりしていたんです。そういう自分がいいと思うもの、感じたことなどを言語化する能力が生かせたのかなって思いますね。あと、自分は難しい言葉が使えないので、親しみやすさがあるのかもしれません(笑)」
──現在のお仕事の割合はどんな感じですか?
「ライブと話す仕事の割合は、ちょっと前までは半々だったのですが、最近は後者が7、8割です。ライブが減ることに対する寂しさがないわけじゃないけれど、“ライブが減っても嫌いにならないでね”って思いながら、どちらも頑張ってやっています(笑)。
あと、今後もテレビには出ていたいですね。どんなにイベントやライブに出演しても、ラジオに週に何回出ていても、テレビしか観ていない人たちにとっては、番組が放送されたときに“久しぶりに見た人”みたいになっちゃうんですよ。“こんなに毎日働いているのに……”って思うけれど(笑)。だからやっぱり、多くの方々の目に触れる機会がたくさんないといけないなとは感じています。個人的にはどんなジャンルのお仕事も好きなので、架け橋的な存在になれたらいいなと」