「Good Boy(グッボーイ)!」
訓練棟に響きわたるハンドラー(※)の明るい声。見守る職員から巻き起こる歓声と拍手。
※麻薬探知犬とペアを組んで捜査を行う税関職員のこと。
これは麻薬探知犬の訓練のひとコマ。犬が不審な匂いを探知してハンドラーに知らせると、みんなで犬を褒めて盛り上がります。「グッボーイ!」とたくさん褒められた犬は、訓練のときの真剣な姿から一転、生き生きとした表情に。ハンドラーからご褒美の「ダミー」をもらい、跳ね回ります。
集団で犬を讃えて盛り上がる雰囲気は、まるで体育会系の部活の練習試合を見ているよう。
麻薬探知犬のお仕事に迫る潜入記事の後編では、訓練を見学し、ハンドラーと犬のかかわり方をひもときます。
【*前編→空港などで不正薬物の密輸を阻止する「麻薬探知犬」のお仕事とは。探しているのは実は麻薬ではない!?】
チームで褒めて盛り上がる。麻薬探知犬の訓練の日常
千葉県成田市にある東京税関麻薬探知犬訓練センター。広大な敷地の一角にある訓練棟では、現役の麻薬探知犬が、日々訓練を重ねています。
今回、見学をしたのは、貨物捜査の訓練。麻薬探知犬がたくさんの段ボール箱の中から麻薬の匂いを探し当てるというもの。東京税関監視部 麻薬探知犬訓練センター室で課長補佐を務める加藤大輔さんの案内のもと、訓練を見せていただきました。
最初に訓練棟に入ってきたのは、「若手の有望株」といわれているジャンプ号(雄・2歳)。デビューして9か月のジャーマン・シェパードです。
ハンドラーがジャンプ号に「Find It(ファインド イット)!」と声をかけて気持ちを合わせ、麻薬を探す捜査の訓練がスタート!
並べられた段ボール箱などを、上から側面から、じっくり丹念に匂いを嗅ぐジャンプ号。地面に這いつくばる姿勢をとったり回り込んだり、集中しています。
加藤さんが「ジャンプ号は慎重派」と評すとおり、同じ場所を何度も調べるジャンプ号。確信が持てたのか、腰を落として座り、ハンドラーに麻薬の匂いがすることを伝えました。
「ジャンプ号は、捜査を開始してすぐに匂いを感じたようです。ただ、匂いが薄かったからか『もうちょっと強い匂いがあるはずだ!』と、回り込んでさらに捜査を続けていました。じっくり匂いを嗅ぐのがジャンプ号のやり方。犬によって嗅ぎ方や捜査の仕方が違います」(加藤さん)
続く黒ラブ(「ラブ」=ラブラドール・レトリバー)のダンテ号(雄・2歳)は、躍動感ある素早い動きで麻薬を探しあてます。イエローラブのメルバ号(雌・7歳)は、落ち着いた様子で移動しながらクンクン嗅いでいくスタイル。
麻薬探知犬は、麻薬を見つけるとその場に座ってハンドラーに知らせるように訓練されています。メルバ号は、匂いがした場所にしっかり座り、麻薬の存在を知らせます。犬の座り方やハンドラーへの知らせ方にも個性があるそうで、かすかな匂いの場合はちょこんと腰を落とすだけの仕草をすることも。犬の性格が見て取れました。
麻薬探知犬が麻薬を見つけたとき、ハンドラーは明るい大きな声で「グッボーイ! グッボーイ!」と何度も褒めます。周囲で見守るハンドラーや職員からも、パチパチと大きな拍手と歓声が上がりました。
褒めるときは、ハンドラーだけではなく集団で。たくさんの人が褒めてその場を盛り上げることで、麻薬の匂いを見つけることが楽しいものだと犬が関連づけるそうです。結果、夢中になって探し、驚くほどの探知力を発揮します。
ハンドラーとの遊びも麻薬探知犬に欠かせない
麻薬を見つけたとき、ハンドラーは言葉をかけて拍手を送るだけではありません。タオルを固く巻いた「ダミー」をご褒美に、遊びに誘います。
「グッボーイ!」とダミーをもらったメルバ号は、すぐさまくわえて遊び始めました。
ロニ号(雌・6歳)はハンドラーとダミーを引っ張り合います。ラブラドールもシェパードも力が強く、ハンドラーは転ばないようにしっかり踏ん張ります。
訓練棟から外の芝生に出て、さらに遊びは続きます。走ったりダミーを引っ張り合ったり、大きな犬に本気で向き合うハンドラーは、体力が相当必要なようです。
ロニ号は獲得したダミーを見せて回り、人見知りせず独占欲の強い麻薬探知犬の性格が垣間見えました。
訓練に集中する姿から一転、ハンドラーとの遊びを楽しむ麻薬探知犬。犬たちのワクワクぶりとハンドラーの愛情が伝わってきました。
遊びを通して麻薬探知犬は計り知れない力を発揮する
東京税関麻薬探知犬訓練センター室の山口敦上席監視官は、「麻薬探知犬にとって捜査や訓練は“麻薬を探すゲーム”のようなもの」と表現します。
「麻薬探知犬は、麻薬などの不正薬物の匂いとダミーを関連づけて覚えています(前編参照)。犬が麻薬などを探しているのは、ダミーを獲得して遊ぶことが目的。さまざまな訓練を通して、この“麻薬を探すゲーム”の難易度が上がり、挫折しそうになる犬たちに、私たちは『まだ諦めるな!』とたくさん褒めながら訓練を重ねています」(山口さん)
ハンドラーとインストラクターを務め、これまで何十頭もの犬たちと接してきた山口さんは、犬とかかわる際に「アイコンタクト」を大切にしているといいます。
「どんな状況であっても、ペアを組む犬としっかり目を合わせてアイコンタクトをとるようにしています。麻薬探知犬は要請があったら、すぐに現場に赴いて捜査をしますが、慣れない環境では、周囲が気になり捜査に集中できていない場合もあります。そんなときも、『ここからスタートだよ』と犬に伝えて、意識を合わせることがとても大切です。犬がどこを気にしているか、何に着目しているか、わからないまま捜査に入ってしまうと、必要のないところに向かってしまうこともありますから。犬の目をしっかり見て、アイコンタクトや声かけをして初めて、捜査のスタートを切ることができます」
また、ハンドラーは、常に「平常心」でいることも求められます。
「犬は人の心情を読むのに長けている動物です。犬に言葉は通じませんが、そばにいる人の気持ちを敏感に感じとります。ハンドラーが緊張していると、犬にもその緊張が伝わっていつもの調子が出ないことも。麻薬探知犬が本来の力を発揮できるよう、ハンドラーは常に平常心を保つように心がけています」
麻薬探知犬の仕事は「ハンドラーとの絆で成り立っている部分がとても大きい」と山口さん。訓練の後の遊びの時間もちゃんと意味がありました。
「犬は、ハンドラーと遊んでもらうことを楽しみに夢中になって探すことで、計り知れない力を発揮するんです。その数値化できないパワーこそが、税関の麻薬探知犬の強み。私たちハンドラーも、各現場で犬との遊びを楽しみながら働くことが、重要だと感じています」
日常のお世話や健康管理もハンドラーの仕事
ところで、麻薬探知犬とどのような1日を送っているのかというと……。
ハンドラーは、出勤後すぐに犬舎に行き、犬の様子を確認します。施設内の専用エリアへ散歩に出かけ、排便をさせて尿の色や便の状態を観察します。グルーミング台でブラッシングをしながら、皮膚や目、耳、口などを見て、体の状態をチェック。汚れが気になるときは、犬浴室へ行き、体を洗うこともあるそうです。そして現場へ向かいます。
空港や国際郵便局などで捜査を行い、訓練センターへ戻ります。夕方に1日1回の給餌をしたら、ハンドラーの業務は終了。急遽、麻薬探知犬の派遣要請が入ったときは、給餌の時間や回数などを調整しながら対応しています。
ちなみにハンドラーがお休みの日は、ペアを組む麻薬探知犬の捜査や訓練もお休みに。散歩や給餌は出勤中の職員が担当し、犬の健康状態を見ています。定期的に獣医師による健康診断、予防接種も実施しています。
巧妙化する不正薬物の密輸を阻止するために
不正薬物の密輸の摘発は年間1トンを超え、ありとあらゆる手段で日本に密輸されようとしています。そんな中でハンドラーはどのように捜査に臨んでいるのでしょうか。
「訓練のときに匂いを見つけて座って知らせる麻薬探知犬でも、実際の現場ではかすかな匂いに犬が確信を持って反応するとは限りません。ハンドラーは、犬が匂いを感じたときにとる一瞬の動きを日ごろから把握し、捜査のときも犬をしっかり見るようにしています。犬の反応を細かいところまで見ておかないと、現場で犬が知らせていてもハンドラーがスルーしてしまうことにつながります。その見極めが、現場では大切になっています」(山口さん)
また、訓練にほかのハンドラーや職員が立ち会い、チームワークを生かして集団で見守ることも、現場での捜査に役に立っているといいます。
「ハンドラー以外の人間も訓練に立ち会うことで、犬の動きを複数の目で見て小さな反応に気づくことができます。実際の現場で、『今の動き、大丈夫?』とハンドラーに伝えることで、密輸の阻止につなげています」(山口さん)
すべては「どうしたら麻薬探知犬が力を発揮できるか、成長できるか」。これを第一に考えて、ハンドラーは麻薬探知犬と今日も訓練を続けています。
(取材・文/鈴木ゆう子、編集/小新井知子)