空港や港、国際郵便局など、日本と海外の出入り口で働く犬がいます。人間の数万倍といわれる鋭い嗅覚を使い、不正薬物の匂いに反応し、ハンドラー(※1)に伝える犬。それが「麻薬探知犬」です。

※1:麻薬探知犬とペアを組んで不正薬物の捜査を行う税関職員のこと。

 “水際”で不正薬物の密輸を阻止する重要な役割を担う麻薬探知犬。どのように日本で誕生したのか、なぜ麻薬を見つけることができるのか。麻薬探知犬のことを詳しく知るために、取材班は、千葉県成田市にある「東京税関麻薬探知犬訓練センター」へ向かいました。

日本では現在、約130頭の麻薬探知犬が活躍

千葉県成田市にある「東京税関麻薬探知犬訓練センター」 撮影/齋藤周造

 麻薬探知犬が所属するのは、国の行政機関の「税関」です。税関は輸出入される貨物の申告が正しく行われているかどうかを審査し、必要に応じて検査を行い、輸入貨物については、定められた関税や消費税等が納められているかなどを確認したうえで許可を行います。また、貿易が円滑に行われるようにするために、輸出入に関する手続きやシステムの改善を行っています。そして、安心安全な社会の実現を目指し、大麻や覚醒剤、コカインといった不正薬物や、拳銃などの社会悪物品の国内への流入を阻止する使命があり、麻薬探知犬や検査機器(X線検査装置・分析装置など)を活用し、水際での取り締まりを行っているのです。

 麻薬探知犬は、増加・巧妙化する不正薬物の密輸入を防ぐ目的で、昭和54年(1979年)6月、アメリカの税関の協力を得て日本に導入されました。

 翌年の昭和55年(1980年)には国内で麻薬探知犬の育成が開始され、昭和56年(1981年)に国内犬で初の麻薬探知犬が誕生。以降、約600頭が育成され、2023年現在、約130頭が全国の税関で活躍しています。

 今回訪れた「東京税関麻薬探知犬訓練センター」は、麻薬探知犬の育成訓練を行う全国で唯一の施設。日本で活躍している麻薬探知犬は、すべてこの施設の出身です。育成訓練を経て、厳しい認定試験をクリアした犬が、全国の9つの税関(函館、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、門司、長崎、沖縄)に配備されています。

左から、東京税関監視部 麻薬探知犬訓練センター室 加藤大輔課長補佐、山口敦上席監視官 撮影/齋藤周造

 今回取材に応じてくださったのは、東京税関監視部 麻薬探知犬訓練センター室の山口敦上席監視官と、加藤大輔課長補佐のおふたり。山口上席監視官は、ラブラドール・レトリバーのダンテ号とペアを組み、ハンドラーとしても活動しています。

山口上席監視官とダンテ号 撮影/齋藤周造

 まずは、現在日本で活動する麻薬探知犬について、基本的なことから伺いました。

「麻薬探知犬になる犬は、全国のブリーダーと訓練所の公募によって集められています。最近はオーストラリアからも候補犬を輸入しており、ダンテ号はまさにオーストラリアから来た犬です。生後1歳ごろから訓練を開始し、訓練期間は約4か月。環境に慣れさせることから始まり、大麻類を使った訓練へ移ります。中間評価に合格した犬が、覚醒剤・MDMAなどのより匂いの薄い薬物を捜査する訓練に進みます。最終評価を経て、空港や国際郵便局などの稼働現場で実地トライアルを行い、あらゆる場所で恐れずに作業できるかを見極めたのち、麻薬探知犬として認定されます」(加藤さん)

 麻薬探知犬は人見知りや場所見知りをせず、人に対して攻撃的でない性格の犬が選ばれています。動くものへの興味や、くわえたものに対する独占欲の強さなども麻薬探知犬としての必要な条件です。

センター内には全国の税関で活動している麻薬探知犬たちの写真が飾られている 撮影/齋藤周造

 これまで育成訓練を受けた犬は約2000頭で、麻薬探知犬に認定されたのは約3割の600頭ほど。麻薬探知犬の活動期間は、1歳から8歳までで、引退後はハンドラーの家庭や愛犬家の家などで余生を過ごしているそうです。

敷地内にある麻薬探知犬として活動した犬を供養する「犬魂碑(けんこんひ)」。裏にはセンターで天寿をまっとうした犬たちの名前が刻まれている 撮影/齋藤周造

麻薬探知犬はジャーマン・シェパードとラブラドール・レトリバーの2犬種が活躍

旅具検査対応犬 写真提供/東京税関麻薬探知犬訓練センター
貨物検査対応犬 写真提供/東京税関麻薬探知犬訓練センター

 麻薬探知犬は、空港の入国検査場で旅客の捜査を担当する「旅具検査対応犬」と、輸入される貨物や国際郵便物などを捜査する「貨物検査対応犬」のふた手に分かれて活躍しています。

麻薬探知犬として活動しているのは、ジャーマン・シェパードとラブラドール・レトリバーの2犬種です。お客様の近くで捜査を行っているのは、現在、ラブラドールのみ。シェパードは、輸入される貨物の捜査を担当しています。以前は、ゴールデン・レトリバーやアメリカン・コッカー・スパニエルなどの犬種も活躍していました」(加藤さん)

左からラブラドール・レトリバー、ジャーマン・シェパード 撮影/齋藤周造

 全国で摘発した不正薬物は、7年連続で年間1トンを超え、その手口は年々巧妙化しています。

「ありとあらゆる手段を使って密輸される薬物を、税関の職員と麻薬探知犬、各種検査機器を投入して防いでいます」(加藤さん)

麻薬探知犬とペアを組むハンドラーは税関の職員

訓練棟に入るハンドラーと麻薬探知犬 撮影/齋藤周造

 麻薬探知犬とペアを組んで活動するハンドラーは空港や港などでの捜査のほか、日々の訓練も行っています。さらに、給餌や散歩、グルーミング(※2)といった毎日のお世話もハンドラーの仕事。犬とペアを組んで行う仕事ですが、犬の専門家ではなく、国家公務員である税関の行政職員。数年ごとに人事異動があり、ペアも変わります。

※2:犬の全身を手入れし、清潔に保つこと。

 山口上席監視官は、平成10年(1998年)に初めてハンドラーを務め、その後、育成インストラクターを経験しました。ほかの部署での仕事をはさんで、再び麻薬探知犬訓練センターに戻り、延べ20年ほど麻薬探知犬にかかわる仕事をしています。ハンドラーとして犬の“相棒”を務め、インストラクターとして“先生”の立場も経験してきた山口さんは、麻薬探知犬とペアを組む際にまず、犬の通常の状態を知るようにしているといいます。

麻薬探知犬と現場に出たとき、いつもの状態を知らないと、犬のちょっとした変化に気づくことができません。出勤してまず犬舎で犬を見て、施設内を散歩して排便をさせて健康状態をチェックします。グルーミングで全身を確認し、訓練時の様子を見るなど、犬の通常の状態を把握することはハンドラーとしてとても大切です」(山口さん)

 現場では、ユニット単位で動く麻薬探知犬とハンドラー。犬が能力を十分に発揮できるよう、1頭につき1回10〜20分の捜査を1日数回、休憩を与えつつ行っています。

犬によって体力は異なりますし、集中力も日によって変わります。ハンドラーはペアを組む犬の様子を見て、集中力が落ちてきたら休憩を取らせます。ほかの犬と交代しながら、過度に犬の負担にならないよう、円滑な捜査を心がけています」(山口さん)

現場へはクレートに入って車で向かう 撮影/齋藤周造

 麻薬探知犬のコンディションは、季節の天候や気温に関係しているといいます。特に暑い時期は、ハンドラーがさまざまな工夫をしているそうで……。

「ラブラドールやシェパードは寒さに強い一方で、暑さには弱いため、夏はちょっと大変なんです。ハンドラーは涼しい環境で犬を待機させたり、クレートにひんやりする冷たいシートを入れたり、暑さ対策に非常に気を遣っています。携帯用の扇風機をクレートに取り付けるハンドラーもいますね。現場で麻薬探知犬が能力を十分に発揮できるよう、ハンドラーはペアを組む犬の性格や調子に合わせて接しています」(加藤さん)

麻薬探知犬は単なる検査機器ではなく、われわれの相棒。犬も人間と同じ生き物です。愛情をもって犬と接し、個性のある麻薬探知犬たちが毎日毎回ワクワクできるように本気で犬と向き合っています」(山口さん)

不正薬物の密輸取り締まりになくてはならない麻薬探知犬

麻薬探知犬を乗せる車。「K-9」(ケイナイン)は英語で「犬」の意味で、人々のために働く犬の代名詞として使われている 撮影/齋藤周造

 これまで麻薬探知犬が手がかりとなって摘発された不正薬物は通算で約4.6トンに上りますが、税関では麻薬探知犬とほかの各種検査機器をどのように棲み分けて検査をしているのでしょうか。

麻薬探知犬の利点は、要請があればすぐに車で出向き、場所を問わず捜査ができることです。ほかの各種検査機器は、移動の労力や電源の確保など、非常に手間がかかります。また、X線などの検査装置はベルトコンベアに流しながら検査を行いますが、麻薬探知犬であればサ〜ッと、短時間で大量の貨物を捜査できます。麻薬探知犬が不審な匂いを感知したら、ほかの検査機器などの二次検査に進むことが多いです」(加藤さん)

 通常の捜査のほか、不正薬物の密輸リスクの高いフライトや情報が入ると、麻薬探知犬の緊急要請が入る場合があります。慣れない場所や人が多い場所でもすぐに対応できるよう、日々、麻薬探知犬はハンドラーとともに訓練をしています。

ハンドラーと戯れる麻薬探知犬 撮影/齋藤周造

麻薬探知犬が探しているのは麻薬ではなかった!?

 麻薬探知犬が、麻薬などの不正薬物に反応できるのはなぜでしょうか。その答えはタオルを筒状に丸めた「ダミー」と呼ばれるものにありました。

タオルを固く巻いたダミー。ハンドラーがひとつずつ巻いて作っている 撮影/齋藤周造

ダミーは、麻薬探知犬の育成のときから使います。ダミーを見せて遊ぶことから始め、ダミーを隠して、見つけるたびにたくさん褒めて遊びます。引っ張り合ったり投げたり、犬がダミーに興味を持つように仕向けます。『ダミーを見つけたら遊んでもらえる』『褒めてもらえる』と意識づけをし、犬がダミーの獲得に向けて動くように訓練しています」(山口さん)

 育成訓練では、ダミーに興味を示したら、麻薬の入った袋を結びつけたダミーを探す訓練へと進みます。

犬は『麻薬の匂いのするところにダミーがある』と思い込み、麻薬の匂いとダミーを関連づけて覚えます。麻薬の匂いを記憶し、ダミーを求めて、麻薬の匂いを一生懸命探すようになるのです。麻薬探知犬にとっては、ダミーで遊ぶことが目的になっています」(山口さん)

ダミーをくわえて遊ぶダンテ号。麻薬探知犬にとってはダミーで遊ぶことがご褒美 撮影/齋藤周造

 探していたのは、麻薬ではなく、実は「ダミー」だったのです。ダミーを求めて麻薬探知犬は集中力を研ぎ澄まし、捜査をしていたのでした。ちなみに麻薬の匂いを嗅いで記憶するだけで成分は吸っていないため、中毒にはならないそうです。

キャビネットにぎっしり詰まったダミー(上)と、複数の洗濯機(下)。隣にはタオルを干す専用の部屋もある 撮影/齋藤週造

 そんな麻薬探知犬にとってなくてはならない「ダミー」は、管理が徹底されています。

 専用の部屋「ダミー作業室」には、ダミーがぎっしり詰まったキャビネットやたくさんの洗濯機が並んでいます。使ったダミーは専用の洗濯機で、洗剤を使わず湯洗いをしています。これはダミーに洗剤の匂いなどをつけないためです。室内で干して乾かしたら、タオルを筒状に巻いてダミーを作ります。最後に紐で縛ったらできあがり。なお、麻薬などの匂いを付けて使うダミーは、もうひとつの作業室で分けて管理されていました。鋭い嗅覚を駆使する麻薬探知犬のために、ダミーを含めて匂いの管理を慎重に行っていました。

「麻薬探知犬カード」と「カスタム君」も要チェック

 聞けば聞くほど気になる麻薬探知犬。日常で遭遇する機会が少ないため、空港などで見かけると、思わず声をかけたくなる人もいるのでは? でも「触ったりせずにそっと応援していただけるとありがたいです」と加藤さん。仕事の邪魔をせず、そっと見守ることが応援につながります。

 そして、運が良いとこんなミラクルもあるんです!

訓練の協力のお礼に渡している麻薬探知犬カードはハンドラーの手作り 撮影/齋藤周造

実は、私たちからお客さまに声をかけ、麻薬探知犬の訓練にご協力をお願いすることがあります。これは、麻薬探知犬にとって人を捜査対象とするイメージが低下しないようにするため、非常に有効な訓練になります。お礼に、ハンドラー手作りの『麻薬探知犬カード』(通称:麻犬カード)をお渡ししているんですよ」(加藤さん)

 麻薬探知犬の訓練に協力できる機会はとても稀なこと。レアすぎる麻薬探知犬カードとともに、良い思い出になります。

 麻薬探知犬が気になる人は、全国の税関で開催される不正薬物の密輸撲滅を目指すイベントなどで行われる麻薬探知犬のデモンストレーションを見に行くのもおすすめです。

 ちなみに、税関で行われているイベントで、麻薬探知犬とともに登場することが多い、税関キャラクター「カスタム君」も要チェックです。

まんまるい目とコロコロした体が特徴のカスタム君のぬいぐるみ。カスタム君は身長180cm、体重90kg 撮影/齋藤周造

 麻薬探知犬をイメージして作られた税関キャラクターで、かわいいと人気の存在。密輸防止の街頭キャンペーンや税関展、広報ビデオやパンフレット、SNSなど、さまざまな広報活動に貢献しています。

 麻薬探知犬とともに、不正薬物の密輸の現状や税関の取り組みを知る良いきっかけになるかもしれません。

ダンテ号と山口上席監視官、加藤課長補佐。取材中、職員の方たちの犬への深い愛情を感じた 撮影/齋藤周造

「それぞれ個性のある麻薬探知犬たちの能力を最大限発揮させるために頑張ります」と語るおふたり。

 後編では、麻薬探知犬訓練センターで行われている訓練を見学し、税関の麻薬探知犬の強みをたっぷり見せていただきました。ダンテ号をはじめ、たくさんの麻薬探知犬も登場します。

【*後編→麻薬探知犬の訓練は“遊び”が大事! 成功のカギは「ペアを組むハンドラーとの絆で成り立っている部分が大きい」

東京税関ホームページ:https://www.customs.go.jp/tokyo/index.htm

(取材・文/鈴木ゆう子、編集/小新井知子)