自分探し、抜け忍、集団戦。受け継がれる忍者モノのセオリー

――ここからは、『地獄楽』が影響を受けたと推測される史実を深掘りしていきたいのですが、まず主人公である忍者の画眉丸。“がらんの画眉丸”として畏(おそ)れられていた元石隠れ衆最強の忍という設定ですが、彼については何を思いましたか?

画眉丸には、忍者小説で昔から一貫して描かれてきた3つの要素を感じました。まず、忍者の“自分探し”というテーマ。そもそも忍者って情報戦のスペシャリストで、今でいうとハッカー集団みたいな存在だったんです。となると、個性なんてものは真っ先に捨てなくてはいけない。

 ところが、何らかの事情で忍者の集団から抜けることになり、それによって個性、自分を探す旅に出る……。山田風太郎の『忍法帖シリーズ』や司馬遼太郎の『梟の城』で描かれてきた、忍者キャラの伝統にして一大テーマである“自分探し”が『地獄楽』でも描かれています。特に、『梟の城』は忍者に初めて個性を持たせた作品だと思います」

――確かに、画眉丸も忍から足を洗い、自分探しをするために“抜け忍”しています。結局、捕まって死刑囚となり、無罪放免をかけて謎の島「極楽浄土」へと行くことになりますが……。

「まさに、2つ目の要素が“抜け忍”なんです。そもそも現実的には“抜け忍”という言葉はおろか、概念自体も存在しなかったと言われています。忍びの集団はもっとゆるやかな傭兵集団だったようです。“抜け忍”は白土三平の『カムイ外伝』から生まれた言葉ではないかとも推測しています。

 そして3つ目は“集団戦”。今でこそ忍者が集団戦で戦うのは一般的なイメージですが、最初に始めたのは、先ほどもあげた『忍法帖シリーズ』だと思います」

『地獄楽』は『NARUTO』を再生産した物語?

――私は『NARUTO』(岸本斉史)世代なので、“抜け忍”も“集団戦”も全部『NARUTO』から学びました(笑)。

「『NARUTO』がもたらした忍者モノの功績は大きいと思います。みなさん、『NARUTO』という物語を踏んでいるからこそ、『地獄楽』の設定がスッと入ってくるのではないかなと。

 忍者が題材の歴史物語の始まりである、『忍法帖シリーズ』や『カムイ外伝』。これらの作品によって築かれた忍者モノの要素が『NARUTO』で再生産され、さらに『NARUTO』で生まれた新たな要素が『地獄楽』でさらに再生産されていく……。忍者モノにはこういった再生産の歴史が繰り返されているように思います

――『NARUTO』や『地獄楽』の忍者たちは個性豊かな装いですよね。先ほど、実際の忍者は情報戦のスペシャリストだったとのことでしたが、やっぱりみんな黒い服で統一したり……?

派手な服装はもちろんですが、ひと目で忍者だとわかるような装いだと情報戦なんてできないですよね。だから、黒い服で統一するなんてこともなかったと思います

 あと、忍者は情報戦のスペシャリストのほか、火を使う技能者集団だったという説もあるんですよ。当時は、爆発物や高温の火の扱いに長けた人はまだまだ少なかった。だから火を自由自在に扱う忍者は、当時の人にとってはまるで妖術を使っているかのように見えたことでしょう」

――画眉丸も、火法師など火を使った忍術で戦っていましたよね。

「あと、三重県の伊賀や、滋賀県の甲賀が忍の里と言われているのも、火と大きな関係があるのではないかと言われています。伊賀や甲賀って焼き物の名産地でもあるんです。焼き物は製造の過程で火を扱うので、おそらく火に関しての十分な知識と高い技術を持っている人がたくさんいたのではないかなと思います。そういった人たちが、忍というより、戦ごとに大名に雇われる傭兵として活躍していたのだと。それが当時の忍の実情だったと考えています」

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 後編では、ヒロインである山田浅ェ門佐切の“打ち首執行人”の歴史やモチーフ、物語の核となる“不老不死”に焦点を当て、史実に基づきひも解いていきます。

【後編→史実から紐解く、アニメ『地獄楽』“打ち首執行人”は昔から愛されてきた存在?

(取材・文/ちゃんめい、編集/FM中西)

【PROFILE】
セバスチャン高木 1970年生まれ。テレビの制作会社を経て小学館入社。「日本文化の入り口マガジン」をキャッチフレーズにした雑誌『和樂』と「和樂web」で編集長を務める。著者に『日本文化 POP&ROCK』(笠間書院)