古代日本では「生と死」が主流? 不老不死への憧れは輸入された文化だった
――本作を語るうえで欠かせない、不老不死の仙薬が眠る謎の島「極楽浄土」。そもそも不老不死への憧れは江戸時代からすでにあったのでしょうか。
「まず、極楽浄土の設定は今も日本各地に伝わる『徐福伝説』がベースになっていると思います。秦の時代に、始皇帝の命により不老不死の仙薬を求め、中国から日本にやってきたとされる徐福のお話ですね。そして、“不老不死”というキーワードに関しては、日本発ではなく、中国から輸入された文化なのではないかと推測しています。そもそも古代日本では、不老不死ではなく「生と死」という考え方が主流なんです。
というのも、日本神話に登場する2人の神様が大きく関係しているんです。岩石を司ることから永遠の命を持つとされる石長比売(イワナガヒメ)という女神、そしてアマテラスの孫にあたる神・瓊瓊杵尊(ニニギ)との縁談話が持ち上がるのですが、ニニギは彼女を娶(めと)らなかった。つまり、ニニギは永遠の命を手にしなかったんです。その結果、人間に寿命ができた……なんて言われています。古代より人間には寿命があるととらえていたからこそ、不老不死ではなく生まれ変わりを目指すのが一般的な考え方だったのではないでしょうか。その後仏教の影響力が強まるとその考え方は輪廻転生へとつながります」
――輪廻転生という考え方が一般的だった日本で、どのようにして『徐福伝説』は伝わり、浸透していったのでしょうか。
「そもそも、『徐福伝説』に登場する徐福とは、紀元前3世紀ごろに不老不死の仙薬を求めて日本にやってきたと言われていますが、彼が本当に実在したのか? またどうやって日本に辿り着いたかはいったん置いておいて……。そこから約1000年後の唐の時代に、白居易という詩人が「海漫漫」という諷諭詩(ふうゆし※)の中で徐福について詠んだんです。白居易の詩は日本でも大変流行したので、その流れで徐福が日本に輸入され、次第に浸透していったのではないでしょうか。
※諷喩詩:白居易によって創作された社会風刺の言辞
つまり、徐福が存在したとされる紀元前3世紀ごろから約1000年後の唐で、彼の歴史がポエムとして再生産され、そのポエムが日本に入ってくる。そして、日本でさらに再生産されて継承していったのが現在の『徐福伝説』だと考えています」