今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年5月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
前回に引き続き、デビュー46年目となった今も精力的に活動する渡辺真知子に注目する。インタビュー第1弾では、Spotify第1位の「かもめが翔んだ日」と第2位の「唇よ、熱く君を語れ」を語ってもらった。
(インタビュー第1弾:渡辺真知子、令和の若者にも歌い継がれる「かもめが翔んだ日」は「30年たってから作詞者の理想にたどり着けた」)
船山基紀とのタッグは72曲! 「どの曲もまったく似ていなくて天才ですよね」
今回はSpotify第3位のデビュー曲「迷い道」から見ていきたい。ちなみに、春ごろにデビューするアーティストが多い中で、デビュー日が11月1日になったことを尋ねてみると、
「同じCBSソニーからデビューした、太田裕美さん(1974年)、清水健太郎さん(1976年)がともに11月だったので、事務所としてのゲン担ぎだったんでしょうね」
とのこと。本作は、恋に迷うという共感性の高い歌詞、自作ポップスでありながら歌謡曲のような親しみあるメロディー、そして、船山基紀によるドラマティックなアレンジ、さらにはデビュー曲とは思えない渡辺の高い歌唱力、と三拍子も四拍子もヒット要素のそろった名曲と言えよう。
特に、船山基紀は超多忙なヒット編曲家でありながら、渡辺真知子のデビューから約5年間を中心に全72曲のアレンジを手がけており、これは船山にとっても全アーティストでダントツとなる曲数だ。
「デビュー曲を出す際に、ディレクターにアレンジャーの希望を尋ねられて、船山さんをリクエストしました。ポプコン(『ヤマハポピュラーソングコンテスト』)時代から、私の作ったピアノのイントロを生かしてくれて、さらにいい形に仕上げてくださるんです。ときどき、若いミュージシャンの方で、技術を全面に押し出すようなアレンジをしたがる人もいる中で、船山さんは作曲者の意図も汲んでくれるので、安心してお願いできるんです。
『迷い道』では感情の機微を歌いたかったので、“泣き笑いの歌です”とお伝えしたら、イントロのピエロが登場するような感じや、歌が始まる直前の“ピシャン!”というシンバルの音など、サーカスが始まるようなイメージにしてくださり、リクエスト以上でしたね!」
渡辺が船山に全幅の信頼を置いて楽曲制作を進められていたことは、以下のエピソードからもわかる。
「デビュー前から曲をいくつかストックしておいたのですが、(あまりの忙しさから)そのうちなくなってしまい、ある曲なんかは何小節か空欄になったままの状態で船山さんに渡して、後から電話口で歌って完成させることもありました。しかも、“このままだと、ブレスするところがないんだけど……”って、さらに直していただくことも(笑)。船山さんには72曲もお願いしたのに、どれもまったく似ていなくて天才ですよね。特に『かもめが翔んだ日』なんて、イントロの2小節で世界観が確立されますもんね!」
「迷い道」がノーベル賞の受賞に一役買っていた! 歌う際は「音の重複」に注意
そして、この「迷い道」は、'19年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏が、「《現在・過去・未来》という出だしの歌詞に影響され、未来を見るばかりではなく、まずは過去を振り返ってみたら研究材料が見つかり、ノーベル賞受賞のヒントとなった」という旨を語ったことでも話題となった。確かに出だしのフレーズは、“過去・現在・未来”と時系列で並べたものとは異なっている。
「私としては、この曲はラブソングで、恋をして失ったときを歌っているので、どうしても“ハイ、次!”とはいけなくて、楽しかった過去にしばらく居続けちゃうんです。だから歌詞でも、現在から過去に戻り、そして時間をかけて未来に結びつく、という心の動きを描いているんですね。まぁ、単純に語呂のよさもあったんでしょうね(笑)。この歌は当初、2コーラスだけだったのですが、それだとあまりに短くなるので、3コーラス目も急いで作ったんです」
なお、渡辺真知子の楽曲は本人同様、歌唱力のあるカラオケユーザーに人気だが、本作は意外にテンポが速く、歌い上げる箇所が少ないのか、意外と採点で点数が伸びないという声を聞いたことがある。うまく歌うコツはあるのか尋ねてみた。
「もしかして(高得点が出にくいのは)、サビ前の《私はいつまでも待ってると誰か伝えて》の部分で、音が重複しているからかなあ。私がお世話になっていた声楽の先生も、亡くなるまでその部分を歌えなかったくらい。高齢の方になると、わからなくなっちゃうみたいで。そこだけ注意していただければ、うまく歌えると思います」
「迷い道」は、11月に発売、12月に初めてオリコンTOP100入り、2月末にはついにTOP10入りし、12週間10位内を滞在するロングヒット。そして、「迷い道」がTOP10圏外となった翌週には、次のシングル「かもめが翔んだ日」がTOP10入りし、こちらも13週連続ランクインした。ゆえに、この'78年に放送されたランキング番組には、ピンク・レディー、西城秀樹、沢田研二、山口百恵らと並んで渡辺真知子も毎週のように出演していたようなイメージを持つ人がいても不思議ではない。当時は、どのように過ごしていたのだろうか。
「基本的には作詞・作曲も自分でしていたので、その分、睡眠時間が削られましたね。ベッドが温まらないうちに起きることもしばしばで。特に曲を作るとなると、仕事が終わってもそのまま起きて作業していて、寝たのか寝ないのかわからない状態。楽屋に誰もいないときは、すぐに座布団を何枚か並べて、少しでも寝ていました!
私の場合、レコード会社も事務所も同じソニーだったので、スケジュールが押し寄せたときに間に立ちはだかってくれる人がいなくて、よけいに忙しかったんです。でも、その私から見ても、ピンク・レディーはもっと忙しそうで、しかも、あんなに激しく歌って踊っていたわけですから、おふたりは本当にすごかったと思います。彼女たちが、バスタオルを肩にかけて、スタッフに抱えられるようにしてテレビ局に入っていく姿を何度も見ましたから」