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若い世代や海外からも注目されている昭和ポップス。本連載では、'80年代をメインに活動したアイドルの『Spotify』における再生回数と当時のCD売り上げをランキング化! データから過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、歌い手本人や関係者への取材を交えながら展開します♪

音楽

渡辺真知子、中島みゆきの『夜会』に出演し「還暦過ぎて別世界を知った。気づいたら恋をしていました」

SNSでの感想
渡辺真知子さん。約90分間のインタビューを通して、熱いソウルをしかと感じました!
目次
  • 実父に捧げた『いろいろな白』のランクインに感激! 作詞のきっかけは“イカ”
  • 中島みゆきの『夜会』に突然の出演オファー!「歌だけ」の協力かと思いきや……
  • 還暦を過ぎてから新境地に。気づけば「二雙の舟」に「恋をしていました」
  • '22年は『二雙の舟』で頭がいっぱい。ファンはこの歌を聴いて「唸っていた」
  • 『歌って 歌って 恋をして』が人気大! 現代のリスナーへのメッセージは
What's「未来へつなぐ昭和ポップス」?

 今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。

 そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年7月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。

 今回も、シンガーソングライターの渡辺真知子に注目。最終回となるインタビュー第3弾では、中島みゆき作詞・作曲の2曲を歌った最新シングル『二雙の舟/カナリア』を中心に語ってもらう。

(インタビュー第1弾:渡辺真知子、令和の若者にも歌い継がれる「かもめが翔んだ日」は「30年たってから作詞者の理想にたどり着けた」 / 第2弾:渡辺真知子、デビュー曲「迷い道」から「ブルー」まで3作連続ヒットで「当時は寝たか寝ないかわからない状態が続いた」

実父に捧げた『いろいろな白』のランクインに感激! 作詞のきっかけは“イカ”

 その前に、Spotifyランキング全体についての感想を尋ねたところ、

「私の場合は、初期のシングル曲が圧倒的に強いんですね(注:これは『GOLDEN☆BEST』など、これまでのキャリアで何度も発売されたベスト盤がヒットしているため)。えっ!? 36位に『いろいろな白』が入ってるんですね! これは、父に捧げた曲でして……。(ここからテンションが爆上げして)うちの父親が、寿司のイカをはじめ、スルメとか水イカとかも大好きで。そんなにお酒を飲めないのに、ちびちびとやっていたのが思い出されて、そこから“いろいろな白”というタイトルを思いついて、この曲を書いたんです。《長い夜に目覚めても 真実は時の中》 というのが大きなテーマですね。時代が違えば、正解が変わるというか

 ちなみに、歌詞中に“イカ”は登場しないし、コミックソングでもないのでご安心(?)を。

中島みゆきの『夜会』に突然の出演オファー!「歌だけ」の協力かと思いきや……

 そして、Spotify第61位に、2022年のシングル「二雙(にそう)の舟」がランクイン! この曲は中島が1989年から行っている舞台『夜会』のテーマソングで、1992年発売のアルバムに初収録。渡辺真知子版は、'22年9月にデビュー45周年記念シングルとして発売された。配信開始から約9か月のデータゆえにこの順位となっているが、ここ半年ほどは常に彼女の楽曲の中でTOP10クラスの人気だったことを申し添えておきたい。

 本作は、渡辺が'19年、中島みゆきがライフワークとしている演劇性の高い音楽舞台『中島みゆき 夜会 Vol.20~リトル・トーキョー~』に渡辺が出演したことが大きなきっかけとなっているが、それ以前からの交流はあったのだろうか。

「デビューする前のポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に、私は第9回から第12回まで出場したので、第10回でグランプリとなったみゆきさんとは、そのうち2回ご一緒しています。本選会のとき、出場した女の子が6人くらい一緒の宿に泊まったんですが、夜になって、みんな有り余るエネルギーをどう発散すればよいかわからず、まくら投げに突入したという思い出があります(笑)。私は18歳、みゆきさんは22歳くらいだったかな。でも、そこからの40年間ほどは特に交流もなく、私が彼女の『夜会』を観に行ったくらいでした」

 それゆえ、出演のオファーがあったときは非常に驚いたという。

「あまりにも突然だったんですよ! 起用したい理由は、私の“歌”だと。“歌ならば……”と思って引き受けました。その時点では、内容はそこまでわかっていなくて、打合せのときにも“歌だったら歌えます”と言ったら、優しそうな目で“うん、うん”って聞いてくれて。

 ……でも、全然ウソばっかり(笑)! 最初にもらった台本は、ご本人がイメージしたステージの切り抜きまで全部ファイリングされているという、めちゃくちゃ分厚いもので。それを、猫なで声で“ごめんね”と言われながら手渡されたんですよ。いやーな予感がして中を見てみたら、実際は彼女の4つ年下の私が、なんと姉の役! しかも曲数を見たら、私が歌うものが半数近くもあって。

 でも、その夜会の開催は約4年ぶりで、歌もセリフも演出もすべてみゆきさんがなさっているわけですから、ものすごいパワーが必要で、たとえ私の歌が予想以上に多かったとしても、みゆきさんのほうがはるかに大変なんです。だから頑張らなくちゃと。しかも、彼女は実際に稽古をやりながら、気になる点を一つひとつ直すなど頭の回転が速くて、すごい方だと改めて思いましたね。行動力もあるし、どこまでも真実を伝えていこうとする方。しかも、台本や演出には私の特徴もよく捉えられていて、“これは私のコンサートにお忍びで来てるはずだぞ”って思いました(笑)。でないと、舞台全体の半分近くも私に預けられないでしょうから

自身のコンサートでパワフルにふるまう渡辺でも、『夜会』の練習はとても大変だったという
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