今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1970年、80年代をメインに活動した歌手の『Spotify』(2023年7月時点で5億1500万人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
今回もチェッカーズのSpotifyヒット曲について、メンバーのマサハルこと鶴久政治とともに振り返ってみる。前回は、自身が作曲を手がけた「夜明けのブレス」と「Room」の制作エピソードを中心に語ってもらったが、今回はまず、人気絶頂の最中に突如訪れた“反抗期”について語ってもらった。
(インタビュー第1弾→チェッカーズ「夜明けのブレス」は藤井フミヤへの“結婚前祝い”、鶴久政治が自作曲の数々に込めた思いを明かす)
Cute Beat Club Bandの活動を通して、自分たちの“反抗期”の原因がわかった
「'85年の後半あたり、メンバー7人ともテレビで全然笑わないような、いわゆる“反抗期”が訪れたんですよ。ちょうどこのころから、みんなプライベートがなくて、なにかと疲れていたんですね。だからこそ、“メンバーのオリジナル曲のシングルで勝負したい! でも、まだそこまでの自信がない”という葛藤の時期でした」
同じころ、作詞家の売野雅勇がシングル用にと自信をもって提供した「ひとりじゃいられない」(シングル「神様!ヘルプ」のカップリング)がファンから好評だと聞いても、素直に喜べなかったという。
「確かに売れ線なのですが、バンドをやっていたわれわれからすると、メロディアスかつポップで、歌詞も含め自分たちの当時の精神状態とも、系統が異なる感じがしていました。なので、ライブではツアーで1回やったかどうかだと思います。でも、今聴くと、メロディーも詞もすごくいいんですよね!」
そういった当時の鬱屈とした雰囲気もあって、別名義のバンドCute Beat Club Bandが結成されたようだ。
「Cute Beat Club Bandは'85年と'87年に活動しました。“反抗期”のとき、ポニーキャニオンの会議室に呼ばれて結成が決まったのですが、この秋元康さんの企画で息抜きをさせようという狙いがあったんだと思います。“ビートルズもやったようにバンド名を変えて活動してみたらどうか”と。それで、後藤次利さんはじめ一流のミュージシャンの方たちが練習するスタジオを見学したら、自分たちのスキルのなさを痛感して、それが反抗期の原因にもなっていたとわかったんです。そういうことも、ポニーキャニオンのディレクターが無言で教えてくれた気がしますね。
そこから、ミュージシャンの先輩方が使っている楽器を買いに行って、一生懸命に練習したらメキメキと上達し、'87年のロンドンでのライブのときには自信がついていました。同年のCute Beat Club Band名義でのアルバム『NOT CHECKERS-円高差益還元ライブ』では、全作詞が秋元さんで、大半の作曲を僕が手がけたんです。それをディレクターさんが気に入ってくれて、ゆうゆの『25セントの満月』を秋元さんと一緒に作ることになって、褒めてもらえました。他のアイドルの方に自分の曲を歌ってもらえたことがさらなる自信にもなりましたね」