『アメリカ横断ウルトラクイズ』問題集16年分をオリジナルノートに凝縮
──日常生活においても、クイズ漬けの毎日でしたか?
「中学生のころは、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』('88年~'96年/日本テレビ系)や『マジカル頭脳パワー!!』('90年~'99年/日本テレビ系)が放送されていて、世間的にもクイズが流行(はや)っていた。なので学校のクラスメイトを集めて、手作りのクイズ大会を開いていました」
──ご自身でクイズ番組の対策もしていたそうですね。
「大好きだった『アメリカ横断ウルトラクイズ』('77年〜'92年/日本テレビ系)の問題集が出ていたのですが、16冊あったので持ち歩けない。そこで、1冊のノートに第1回から最後の第16回大会までの問題と答えをまとめたんです」
──今はパソコンやネットがありますが、これは貴重な資料ですね。
「問題集を書き写しているだけなので、なんの創造性もないんですけれど……。そのころは、ひたすらテレビが好きで、好きな番組はビデオで繰り返し見ていました。ただ、よく“『ウルトラクイズ』や『ものまね王座決定戦』を1万回観ている”って言うと、“そんなわけがない”って言われるのですが、それはもう僕の妹に聞いてみてください! “(1万回より)もっと観ている”って言うと思います(笑)。同部屋だった妹が証人ですね」
──『アタック25』は、その後、本選に出られていますね。
「大学1年生のとき、'98年にようやく出場して、優勝することができました。そして'21年の最終回にも出ることができました。最終回では『史上最強のチャンピオン決定戦』と題して、それまでの『アタック25』優勝者だけを集めた予選大会が行われたんです。そのときのペーパーテストが、超難問ぞろいでした。ただ、そこで《先日の東京オリンピック2020で、13歳と日本人最年少で金メダルを獲得したスケートボードの選手は誰でしょう》という問題が出題されたんです。『アタック25』で初めて正解したのが岩崎恭子さんで、最終回の予選で正解したのが西矢椛(もみじ)さん。どちらも五輪の日本人最年少金メダリストで、なんだか不思議な縁を感じました」
──チャンピオン決定戦では、どのような成績を収めましたか?
「最終決戦までは進んだんですけど、最後の最後に逆転負けしちゃいました。前半が終わってパネル20枚のうち16枚を取っていたのに、アタックチャンスでミスって、みるみるパネルが無くなっていったんです」
──参加者は、焦りや緊張から、普段はしないようなミスも増えそうです。
「そうですね。特に最終回の緊張感は、人生でいちばんすさまじかったです。あと、実際にスタジオに行くと、パネルが想像以上に大きいんですよ。解答席に座ると、緊張からパネル全体がうまく見えなくなってしまう。視聴者が“この人、どうしてこんな変な取り方をするんだろう”って思う回があると思いますけれど、それは追い込まれた状況下で、本来の判断力や実力を発揮できなかったからだと思いますね」