突然、発症した「パニック障害」。進路を変える? 悩んで出した決断は

──そこから大学受験までは順調でしたか?

それがセンター試験のときに、ハプニングが起きたんです。センター試験本番の1週間前に、浜松から、会場の静岡大学まで下見に行ったんです。ところが、帰りの電車の中で、突然体調を崩してしまった。それが後にパニック障害の症状だってわかるんですが、当時は何が起きたかわからずに苦しみました。呼吸がうまくできなくて、身体がいうことをきかない。動悸が止まらない、吐き気はする、喉がカラカラで唾液が出ない。”次の駅で降りればいいや”と思ったんですけど、次の駅までなかなか止まらないんです。ついに駅のホームが見えて、途中下車しました。なんとか気持ちが落ち着いて、また電車に乗るのですが、そうすると同じ症状が出るんです。浜松駅まで1駅1駅下車しながら、なんとかその日は帰宅しました」

「突然のことで、とにかく驚きましたし、不安も大きかったですね」と日高さん

──センター試験は、無事に受けられましたか?

「そのときは一時的な体調不良で、単なる風邪だろうと思っていたので、1週間くらい寝て治せばいいやって考えていたんです。センター試験当日の朝は浜松駅に受験生たちが集合して、新幹線で受けに行く予定でした。でもまた、あの感覚が襲ってくる。新幹線に乗るのもなんかちょっと怖い。そのうち具合が悪くなり、先生に体調不良を訴えて追試で受けることにしたんです

──症状が出ている中、大変でしたね。

「センター試験の追試験の会場って、全国に2か所しかないんです。東京か神戸しか選べなかった。それで、東京で受けることにしたんです。追試験の1日目は、世界史、英語、数学Iと、教室と保健室を往復しながらも、なんとか試験自体は受けられていたのですが、最後の数IIでどうしても試験中につらくて、途中リタイア、0点を選びました。ホテルに帰ってから、2日目はどうしようかと迷いました。でも次の日、試験会場の前まで行ったら、あの恐怖の感覚がまた襲ってくる。もう心身的に限界で“今年は身体を休めて、来年受けよう”って決意したんです

──パニック障害という診断は、いつごろわかったのですか。

「浜松に帰ってから、ずっと相談していた内科の医者にいきさつを伝えてみると“それは広場恐怖症かもしれない”と、聞きなれない病名を言われたんです。詳しく聞いてみると、『パニックディスオーダー』、すなわち『パニック障害』と呼ばれる疾患で、多くの人に囲まれた場所や、電車の中など逃げられない場所に行くと、強い不安を感じる症状とのこと。僕は19歳で発症して、25歳の時に一度は症状が和らぎました。その間も、学習塾の講師として人前に立つ仕事をしたり、クイズ番組に出演したりなど、パニック障害を持っていても、うまくコツをつかみながら、ずっと仕事を続けています。いまでも電車に乗れなかったり、美容院に行けなかったりする日はありますが、発症して四半世紀も経ちますし、波があるのは当然なので、うまく付き合って生活している感じです」

──発症のきっかけは何だったのでしょうか。

「いや、わからないです。誰がなってもおかしくない症状だそうで……。でも完全に克服できる人もいる病気です。あのころは珍しい病名だと思いましたが、今は有名人の方でも公表される方が多いですよね。僕も特に隠していません。経験者の方にとっていちばん役に立つ情報は、経験談や、どうやって克服するかの成功体験だったりするんです。なんとか悩んでいる方に力を貸してあげたい、という気持ちが強いですね。将来はそういう活動もしていきたいです。あ、受験の話でしたね(笑)」

──その後の受験生活は、どのようにされたんですか?

僕自身、せっかく1年勉強してきたので、不完全燃焼という気持ちが強かったです。だから、2浪を決意しました。それを医師に伝えたら、”おそらく、来年また東大を目指すにしても試験場で同じことになってしまうかもしれないから、今年のうちに、試験に慣れるように練習しろ”って言われたんです。東大と同じくらいの偏差値の私立大を選んで、練習してこいと。それで、早稲田大学と慶応義塾大学のどちらかを受けることになり、あみだくじを書いて(笑)、慶応にしたんです

──慶応の受験は、受けられましたか?

「受けました。いちばん興味のない経済学部を選びました。志望する受験生の皆さんには大変申し訳ないのですが、僕は経済学にはまったく興味がないんです。2浪して東大受験するのを決めたのと、あくまで慶応の受験は “病気に慣れるための経験”なので、万が一受かったとしても行きたくならないように経済学部を選びました。それで願書を出したのですが、その数日間はずっと症状がつらくて寝ているだけでしたね。試験まで何も勉強できない。ただひたすら、布団の中でサザンのアルバムばかり聞いていました。慶応の過去問も買っていないし、試験範囲すら知らない。とにかく無事に東京に行って、試験を最後まで受け終えればOK、という感じだったんです。

 そしたら、何とか最後まで受け切れまして、ようやく自分に自信が持てました。でも皮肉なもので、問題がスラスラ解けちゃうんです。1年間浪人して勉強していたのが大きいんでしょうけど、正直に言うと“こんなに簡単な問題だったら、全員満点なんじゃないか”って思うくらい簡単で……。おそらく受かりたい気持ちがなくて、ただ問題を解き終えるだけでいい、とリラックスして受験できたからなのだと思います。問題が難しく見えるのは、“落ちたらどうしよう”と自分を追い込んでしまう緊張感から来るんだろうな、と改めて思います

──結局、日高さんは慶応に入学しますが、進学を決めた理由は何でしたか。

「うーん……。悩んだのですが、パニック障害の治し方も当時はわからないし、予備校の2年目はお金もかかるし、結局、上京することにしました。実家を出て、生まれて初めてひとり暮らしをするのも不安でしたが、とにかく周りに心配や迷惑をかけることが自分には嫌だったのかもしれません。入学後は、慶応のクイズ研究会に入ったのですが、そこの居心地がよかったんです。病気を理解してくれる先輩方も多くて。クイズ研究会のメンバーがうちに泊まりに来て徹夜でクイズしたりなど、みんなで過ごす時間が楽しかったです

──大学には何年間、在籍されたのですか。

「2年留年したので、6年間ですね。経済なんて興味がないのに入学していることもあり、ほとんど授業に出なくて教授に怒られてばかりでした。在学中はアルバイトに明け暮れてだんだん大学には行かなくなり、卒業せずにフェードアウトしてしまいました。ただ、大学1年の2月に『アタック25』に出場するまでに、体調はだいぶ回復していました

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『高校生クイズ』出場から加速した日高さんのクイズ人生。ラストとなるインタビュー第3弾では、日高さんがクイズ作家となったきっかけや、今も学び続けている理由についてお聞きしました。

(取材・文/池守りぜね)


【PROFILE】
日高大介(ひだか・だいすけ) ◎宮崎県生まれ、浜松市育ち。14歳から本格的にクイズを始め、高校在学中に『第14回全国高等学校クイズ選手権』で静岡県代表、大学在学中には『パネルクイズ・アタック25』『タイムショック21』優勝、『クイズ王最強決定戦』準優勝2回など。2006年にはクイズ作家活動を本格的に始動、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』『全国一斉日本人テスト』『百識王』などにかかわる。2010年からは『お願い!ランキング』『笑っていいとも!』『行列のできる法律相談所』などのメディア出演を重ね、クイズ王/クイズ作家として500本以上のテレビやラジオに出演。現在は主に『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』などのクイズ番組やクイズ特番などに携わる。

『大人気クイズ作家が教える! 10秒雑学』(日高大介著/三笠書房刊) ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします

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