忌野清志郎さんをはじめ、同年代のミュージシャンとの逸話

──生前に泉谷さんと交流があった忌野清志郎さんは、アンコールの声が鳴り響く中、会場から去っていたという逸話を聴いたことがあります。

彼は早く帰りたかったんじゃないかな(笑)。彼はね、お客さんを楽しませるようなエンタメは好きじゃなかった。俺は、“アンコール”って盛り上がる前にステージに出て行っちゃうけれど(笑)。だって楽屋まで戻ってまた出ていくのが面倒くさいんだよ

──清志郎さんと泉谷さんはタイプが違うように見えますが、仲がよかったんですよね。

でもね、清志郎のことはよくわからなかった。先に帰ってしまうのも宴会がしたいためでもないし。ステージを降りたらオンとオフがはっきりしたタイプだったのかもしれない。周りが近寄りがたいって言っていたけれど、俺はベッタベタに近づいていたからね(笑)。彼は年下だけれど革命的な人だったから尊敬していた

──泉谷さんが組んでいた「下郎」(※2)は、チームワークもいいように見えました。一緒にバンドをやっていたミュージシャンとの関係はいかがですか。

※2:泉谷さんが90年代に組んでいたバンド。メンバーはアナーキーの藤沼伸一、ルースターズの下山淳、ボ・ガンボスのKYON。

「藤沼や仲井戸(麗市)は、音楽にストイックだし精神でつながれるけれど、吉田健と村上“ポンタ”秀一は打算(笑)。彼らは毎回、俺のお金で宴会をして、お姉ちゃんをはべらせていたからね」

泉谷しげるさん 撮影/齋藤周造

──泉谷さんにとってバンドとソロは違いますか?

「一般的にバンドが解散するのって、だいたいギャラだね。ギャラの配分で揉めてしまうんじゃないかな。あとは自分のほうが目立ちたい。だから俺は自分のバンドのことを“奴隷”って呼んでいます(笑)。俺の言うとおりやらなかったらクビです

──泉谷しげるwith LOSERが再結成した2012年に『ARABAKI ROCK FEST.』でライブを観たのですが(泉谷さんは当時63歳)、ひどい悪天候の中、アンコールを行うほどパワフルでしたね。

死ぬかと思うくらい寒かったよな。それなのに、客が上半身裸になっていて、熱気で湯気が出ていた(笑)。その光景に、俺のほうが感動したんだよね。あれが音楽フェスだよ! あの後も何度かアラバキには出ているけれど、あれを超える感動はないね……」

──音楽フェスにも精力的に出演されていますが、どういう思いがありますか?

今の若い人たちも、昔と変わらずライブを求めている。でもみんな現実が厳しいと思うんです。だからエンタメは現実逃避させてあげないといけない。だってさ、“現実を見ろ”って言われたらロクでもねぇ事件しかないし、嫌だよね(笑)。音楽フェスは人は集まるけどチケット代が高すぎるから、“失敗しろ!”って思うときもあるけれど(笑)」