“孤高な学者”万太郎と波多野との違い
一方、7年のブランクの間に、万太郎は時代遅れになっていた。植物学が顕微鏡時代に入っていたのだ。万太郎とともにヤマトグサを発見した大窪(今野浩喜)は、大学を去る。「地べたをはいずる植物学など終わった。手間だけかかって見栄えしない。もう見向きもされない」と毒づく。ヤマトグサのことを、「世の中、誰も知らねえんだよ、あんなひょろっちくて、可愛いだけの(植物)」と言う。屈折しながら、にじむ植物愛。大窪が愛おしいような気持ちになる。
そういう複雑さが、万太郎からは見えない。帝国大学はすっかり国家のためのものだから、腑に落ちないことが起こるし、異議を唱えても否定される。でも万太郎は、一瞬つらそうにするだけだ。メンタルが強いといえばそれまでだが、いったいどこから来るのだろう。と思っていると、ちゃんと答えがあった。
それは、波多野(前原滉)との、懐中時計を分解したという昔話だった。波多野が「時間をどうとらえているのかが不思議で、時を司る仕組みを知りたかった」というと、万太郎は感心しつつ「わしはただ、どういて動くかが不思議やった」と答える。仕組みを知りたい波多野。ただただ見たい万太郎。この違いは大きい。
波多野はこの後、イチョウの受精を司る精虫を発見する。徳永は「日本の植物学が世界の頂点に立った」と泣いていたが、波多野はしらけた顔をしていた。だから波多野は万太郎とも仲がよいのだと思いながら、それでも2人の違いを思う。波多野の発見は、画工の野宮(亀田佳明)との共同作業だった。万太郎の「見る」は自己完結した行動だ。万太郎=孤高な学者。これからその方向がますます強調されていくはずだ。その強さのルーツは、「見たい万太郎」なのだ。
と、分析はできた。でも、心は弾まない。これが『らんまん』の困ったところだ。日清戦争が背景として描かれて思ったのが、『坂の上の雲』的、司馬遼太郎的世界だなあということ。今どきなら池井戸潤か。要は万太郎も、男子校ワールドの住民だと感じてしまう。土下座とかしないタイプだから、いいけどね、と。