暴走する国家権力を憂う百喜と大喜

 「この前の戦争からこっち、“国民は国を愛せ” ってやたらと言われてるだろ?  でも国への愛って、もっと身近なふるさとへの愛着から生まれると思うんだ」と百喜。この台詞の含意は、「愛国心は強制するものではない」だろう。日清戦争後の台湾で、そこに生きる人々をリスペクトする万太郎が描かれた。合祀令への反対も合わせ、どちらも「国策に反する」姿勢だ。植物を愛する延長線上の行為であったのが、子どもたちの言葉で「思想」になったというのは深読みしすぎだろうか。

『らんまん』で万太郎と寿恵子の長男・百喜を演じる松岡広大 撮影/高梨俊浩

 関東大震災後に“思想の部”を担ったのは、大喜だ。「国のほうがバカげている」と言ったときは一高生だったが、新聞記者になっていた。震災から4日目、「山桃」にやって来た大喜は、「自警団」を名乗る武装集団が市内のあちこちに立っていることを話す。それでも標本を見ようと長屋に戻ろうとする万太郎に、「話、聞いてたか、お父ちゃん」と声を荒げる。人間がおかしくなっている、植物どころじゃないんだ。そう言う顔が険しい。

 約1か月後、次は寿恵子との場面だった。「お腹すいた?」と聞かれ、大喜は「いや」と答えた。読んでいた新聞を差し出し、「そこの渋谷憲兵隊の大尉がやったらしい」と言う。「甘粕事件」として記録される事件の話だ。「大杉栄と妻の伊藤野枝、何の関係もない6歳の甥っ子がやられたって話だ」と語り、陸軍のほうにも取材に行くという。心配する寿恵子に、「憲兵隊も特高も、あの混乱の中でこういうことをしたんだ。今、報じないと」。

 今が重なった。震災から100年にあたる今年、さまざまなことが報じられた。無政府主義者のみならず、朝鮮人らが虐殺の犠牲になった。が、政府は「公式記録が見当たらない」としている。そんな昨今だ。

 長田さんは脚本家として、井上ひさしさんに師事していた。井上さんは、「9条の会」の発起人の1人だった。2004年、自衛隊のイラク派遣などを受け、行動した井上さん。その精神が百喜と大喜の台詞に宿っているように感じる。万太郎には「わしは草花の精じゃ」と言わせ、植物学者の一線を超えさせない。そういう匙(さじ)加減をしたうえで、井上スピリットを入れた。長田さんの心意気、と勝手に思っている。