12年前にこの世に現れてからというもの、認知度・好感度をどんどん高め、今や熊本の“顔”となったくまモン。そんなくまモンをこよなく愛し、ずっと一緒に熊本を盛り上げてきた蒲島郁夫・熊本県知事にインタビュー。第1弾では、くまモンとの出会いから、くまモンが進化して大人気になるまでのエピソードの数々を語ってもらった。今回は、さらなる飛躍を続けるくまモンおよび熊本県の現在と未来について、存分にお話しいただく──。
◎第1弾:【現地取材#1】12年で累計1兆円以上を稼ぐ救世主に! 熊本県知事がくまモンの“軌跡と奇跡”を愛情たっぷり語る)
天皇皇后両陛下の前でダンス!? 国内から海外まで快進撃が続く
営業部長に昇進してから、くまモンはさらに活動の幅を広げていった。2013年にはフランス・パリでの「ジャパンEXPO」に参加。以来、コロナ禍になる前の’19年まで毎年、参加し続けていた。さらにドイツ・シュタイフ社やフランス・バカラ社とのコラボ商品も発売、ドイツ・BMWグループのブランド「MINI」は、くまモン顔の車を発表した。
県内では繁華街のど真ん中に「くまモンスクエア」がオープン。熊本に来てもくまモンに会えないという声を受けて、拠点となる場を作ったのだ。ここに来ればいつでも、くまモンのステージを見ることができる。
同じ2013年、「第33回全国豊かな海づくり大会~くまもと~」に来熊された、天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)は県庁で「くまモン展」を見学。くまモンは両陛下の前でキレッキレの「くまモン体操」を披露した。世の中広しといえども、天皇皇后両陛下の前でダンスを踊った自治体キャラはくまモンだけだろう。
「くまモンが有名になることを、熊本県民はとてもうれしく思っています。世界的に有名な『ウォール・ストリート・ジャーナル』が1面にくまモンを登場させたことがありました。アメリカのニュースチャンネル・CNNでもくまモンは特集されました。世界中で有名になったくまモンは、熊本県民の誇りです」
2014年、くまモンは「営業部長」の肩書きに加えて「しあわせ部長」も拝命した。ハッピーとサプライズを届ける「しあわせ部長」はいかにもくまモンらしい役職だ。
熊本地震で被災、「自分に何ができるか」を考えた復興への道のり
東日本大震災後、くまモンは積極的に被災地を訪ね歩いて人々に元気と笑顔を届け続けた。ところが2016年4月、熊本に大地震が発生、くまモンも被災者となってしまう。27時間のあいだに震度7が2度、さらに2年後までに余震が4481回と、前代未聞の大地震だった。
くまモンも被災者の心情に配慮。ツイッターをはじめとして、あらゆる活動を自粛した。誰もがくまモンはどうしているのかと心配する中、ある漫画家が「くまモン頑張れ絵」をツイッターで発表。これに賛同した著名な漫画家たちが描いたくまモンの絵はどんどん増え、拡散されていった。子どもたちから心配する手紙もたくさん届いたという。「自分に何ができるか」を考え続けていたくまモンだが、全国の人々からの激励に力を得て立ち上がった。
「3週間後の5月5日、子どもの日から活動を再開しました。くまモンがどんなふうに迎えられるのか、私たちも心配したんです。でも、西原村の保育園にくまモンが登場したとき、子どもたちからいっせいに歓声が上がって駆け寄ってきた。子どもたちに囲まれたくまモンも、うれしそうでした。子どもたちは笑顔になり、それを見た周りの大人たちも笑っていました。中には、くまモンに向かって手を合わせ、涙を流して喜んでくれた高齢の方たちもいらっしゃいましたね」
「熊本城と阿蘇は傷つきましたが、くまモンは元気です」
くまモンは知事の話をじっと聴きながら、ときおりうなずいたり、当時を思い出すかのような表情を浮かべたりしている。
その後、知事は「熊本には3つの宝があります。熊本城、阿蘇、そしてくまモンです。熊本城と阿蘇は傷つきましたが、くまモンは元気です」というメッセージを全国に発信しつづけた。このメッセージに泣いたくまモンファンは多い。当時、アンテナショップ「東京・銀座熊本館」には連日、多くの人々が長い列を作っていた。商品を購入したり寄付をしたりするためだ。商品が少なくなっても人の列は途切れなかった。そのお礼にとくまモンがやってきたときは、ファンならずとも大歓声が上がった。
「くまモンがいたことで、熊本をより身近に感じて応援してもらえたのだと思っています。そのあとは、くまモンを復興のシンボルとして私たちもがんばってきたし、支援の輪も全国に広がっていった。熊本地震は非常に厳しい経験でしたし、今も復興半ばではありますが、この6年を通して、くまモンがかけがえのない存在になっていることを強く感じました」
その後、くまモンは全国すべての都道府県に、知事名代としてお礼のため出向いた。知事は「私が行くより喜ばれる」と相好を崩す。
地震からの復興の見通しがある程度たった一昨年、今度は豪雨で熊本県南部の人吉・球磨地域が被災した。このときもくまモンは「自分に何ができるだろう」と考え続けた。そして被災から1年後の2021年7月、「くまモンの『みんなサンくま』プロジェクト」を自らプロデュースしたのだ。列車の運行が再開できず、利用されていないJR人吉駅のホームで
「ミュージックフェスティバルやスタンプラリー、さらには球磨川のHASSENBA(※)でのステージや、人吉ゆかりの作曲家にちなんで古い蓄音機で当時のSP盤レコードを聴く会など、さまざまなイベントを企画してくれました。くまモンはどんな困難な状況にあるときでも、自分にできることを考え、実行してくれます。そして時に、私の想像を超える結果を生み出してくれる。熊本県の営業部長兼しあわせ部長として、常に『皿を割れ』の精神を体現してくれている存在なんです」
(※ HASSENBA……2020年の豪雨災害を乗り越え、100年以上の歴史を誇る人吉球磨の観光のシンボル「球磨川くだり」人吉発船場をHASSENBAとしてリニューアル。川下りやラフティングの観光案内をはじめ、カフェや物産なども楽しめる複合施設となった)
「皿を割れ」とは、知事が常に県庁職員に伝えていることだ。皿をたくさん洗う人は割る数も多い。皿を割ってもいいから思い切りチャレンジしなさいという教えである。くまモンがいちばん皿を割っているかもしれないね、と知事は笑った。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにも挑戦!
隣でくまモンも楽しそうに頷いている。そういえばこの春から、くまモンはジュノン・スーパーボーイ・コンテストに挑戦していた。
「くまモンが自ら応募したと聞いています。現状に満足せず、常にみなさんを楽しませようとしてくれる、くまモンらしい挑戦だなと思いました」
1万5000人を越える応募人数の中から、くまモンはベスト75まで勝ち残った。その先はベスト30。それを目指していたとき、くまモンはふと気づいたらしい。
「ボクはしあわせ部長。もしかしたら、ボクの使命は自分が優勝することではなく、みんなを応援することかもしれないモン」と。
そして自ら辞退を申し出た。たくさんの応援をしてもらっていたことには感謝しきりだが、ここから先は応援側に回ろうと考えたのは、くまモン自身もがんばってきたからこその方向転換なのかもしれない。
これもまた、くまモンらしいと言えるだろう。知事もそのくまモンの提案に膝を打ったということだ。
それにしても、ここまで大きくなったくまモンの存在感。知事が考えるその要因とは何だろうか。
「シンプルさと愛らしいシルエット、仕草、そして俊敏な動き。運動神経がよくて予想不可能な行動をするところも、みなさんを惹きつけるんでしょうね。特定の言葉はしゃべらず、ジェスチャーだけで世界中の人々とコミュニケートできる能力はすごいと思います。だから国内のみならず世界中で愛されているのでしょう」
知事は当初、くまモンを100年愛されるキャラクターにと話していた。今もその思いは変わっていないし、希望が確信に近づいてもいる。
「私はいつも、『くまモンの共有空間』という表現をするのですが、誰もが参加して、その価値を共有できる自由な空間。それを生み出すことができるのがくまモンなんです。これまでアジアやヨーロッパに進出してきたくまモンですが、昨年、インドに初進出しました。熊本県とJICA(国際協力機構)が協力して制作した、新型コロナウイルス感染予防のための手洗い啓発動画に出演しています。インドの感染症対策にまで貢献するなんて、すごいことですよね。インドにも『くまモンの共有空間』が生まれたわけです。
もっともっと世界中にこの共有空間を拡大し、みなさんの期待値を超える、私もびっくりするようなサプライズを提供してほしいと思います。そのためにも失敗を恐れず、チャレンジを続けてほしい。100年といわず、もっと長く愛され続けていくと信じています」
知事とくまモンがともに歩んだ12年。知事のくまモンへの期待は増す一方だし、くまモンは着実にそれに応えて成果を上げている。ふたりが並ぶと、どうしても「最強のバディ」という言葉が浮かんできてしまう。
県では「知事、副知事、くまモン」という序列なのだが、知事は笑いながらこう言った。
「いや、もうその序列、変わってるんじゃないかな。くまモンは熊本のシンボル、つまり象徴となっている。加藤神社(熊本発展の礎を築いたセイショコさん=加藤清正公をお祀りする神社)の宮司さんが、“くまモンは……神のようですね”と発言されたこともあるんです」
隣で、熊本のシンボルとほめられたくまモンは、照れたように頬を赤くしていた。
(取材・文/亀山早苗)