振り返ると、コロナ禍で重苦しいムードに包まれがちだった令和3年。しかし、秋篠宮家の長女である眞子さんと小室圭さんのご成婚もあり、眞子さんのご両親である秋篠宮殿下や紀子さまがご成婚された1990年代=平成の時代が、また取り上げられる機会も増えた。
おふたりが成婚された’90年、眞子さんが誕生した’91年は、まさにバブル期。令和に結婚された眞子さんが育ってきた時代を、『#平成レトロ』という言葉を提唱した平成文化研究家の山下メロさん(40)の解説で、懐かしいグッズやトピックとともに振り返る。
※山下メロさんの半生をつづった記事:平成文化研究家・山下メロが、1500万円以上の私財を投じて全国の土産品を集めるワケ
平成を彩るキーワードは「女子高生」
日本の経済史において、’80年代後半から起きたバブル景気。日本中の観光地で売られていた子ども向けの雑貨土産を『ファンシー絵みやげ』と名づけ、全国の土産物店を調査しながら収集する、平成文化研究家の山下メロさん。これまでに保護したファンシー絵みやげは21000種を超えるという。私物の懐かしグッズから、平成とはどういう時代だったのかまで、掘り下げて語ってもらった。
「平成を語るうえで欠かせない重要なキーワードは、『女子高生』ですね。バブル崩壊でビジネスマンの元気がないときに、女子高生が自ら文化を生み出していったんです。その象徴がポケットベル。ビジネスツールだったポケベルを、彼女たちは友達とのコミュニケーションツールに変えてみせた。ポケベルは、女子高生が作った文化の象徴中の象徴です」
女子高生がブームの中心になった’90年代は、新たな文化がいろいろと誕生した時代だった。
「バブル崩壊もあって、働いている親の世代が節約志向になっているにもかかわらず、働いていない女子高生が湯水のように電話代を使ったりしていましたね。彼女たちは、働く世代が感じるような危機感を持っていなかったんです。それは、日本経済が暗くなってきているときに、明るい話題でもありました。
女子高生は、ポケベルをコミュニケーションツールにしたのを皮切りに、プリント倶楽部(通称:プリクラ)もブームにしました。プリクラも、あそこまでの使われ方は想定されていませんでした。みんなでプリクラを撮って、プリ帳に貼って集めたり交換したりと、トレンドを生み出していったのです。援助交際やブルセラショップなどネガティブな面もありましたが、女子高生がトレンドを引っ張った功績は、経済的にも大きいと言えます。これが、その先のIT革命につながっていくんです」
確かに、平成は『Windows95』や初代『iMac』の登場で、インターネットが身近になった黎明期(れいめいき)と言える。
「iモードの登場で、
最近では、ギャル世代だった母親の影響で、再び若い世代にルーズソックスのブームがきている。意外にも、ルーズソックスの登場は早かったという。
「ルーズソックスは、コギャルブーム以前に登場していて、’96
さまざまな“平成グッズ”が再ブームに!
いま現在、『たまごっち』や『ルーズソックス』以外にも、平成に流行ったものの再ブームの機運が高まっているそう。
「平成に流行ったものの再ブームの傾向はほかにもあります。例えば、昭和の終わりに誕生した『写ルンです』や、平成でも使われ続けたカセットテープ。それらが今になって再注目されているところからも、何もかもが便利になりすぎた結果、少し手間をかける行動が新鮮な体験になっているのでは、と感じています。リバイバルしているものには、不便なものが多いんですよ。でも、平成のブームって、再ブームが次から次へと起きるかと言うと、それは難しい理由があるんです」
山下さんによると、平成に世間を席捲(せっけん)したブームのなかには、サービス自体が終了しているものが多いという。
「昭和の黒電話はまだ使えるのですが、ドコモのiモード公式サイトはサービスが終わっているんです。ポケベルもそうですが、サービス終了とともに使えなくなると、リバイバルしづらい。平成時代に流行った小説投稿サイト『魔法のiランド』や、シミュレーションゲーム『サンシャイン牧場』なども、サービスが終了して見られなくなっています。ネット上のサービスは、サーバーが止まったら終わり。ネットワークを介して、同時につながらないと得られない体験は貴重でした」
だが、山下さんは「平成そのものがなくなっていくわけではない」と語る。
「文化は地続きなので、“令和になったので平成のものは廃棄して、すべて一新します”ということは起こらないんです。ただ、例えば、サブスクリプションなどの普及で、CDを聴かない人が増えてきたという変化はあります。CDも徐々にレトロ化しているのです。このCD保護マット(以下の画像参照)は、CDケースのなかに入れ、CDの下に敷いてディスクを保護するものでした。かつてCDショップでは、店舗ごとのロゴが入ったマットが用意されており、アルバムを買うと無料でつけてくれたものです」
まさにサブスク世代にはなじみがないCD保護マット。このCD保護マットにも、彼ならではのこだわりのエピソードがひそんでいた。
「私は、小学校のころCHAGE and ASKA(チャゲアス)が好きでした。チャゲアスの次のアルバムが『RED HILLL』だから、赤のCD保護マットをもらおうとか、そういうふうにCD保護マットをもらうのを楽しんでいたんです。そして1993年、チャゲアスの『YAH YAH YAH』と、当時人気があったWANDSの『時の扉』が同じ日に発売されることに。しかも、WANDSは普通に1000円なのに、チャゲアスは1200円。チャゲアスは両A面扱いで3曲入りだったので、ちょっと高かったんですよ(笑)。
そこで当時、小学校から帰ると、すぐに近所のCDショップに行って、WANDSかチャゲアスかで悩んでいる友達がいたら、“200円あげるから、チャゲアスにしな”って、ひとりで“チャゲアスを買いなキャンペーン”をしていたんです。そのおかげで、チャゲアスがオリコンチャートで1位になりました。私の行動が実を結びました(笑)」
山下さんは、CD保護マットひとつとっても、各人の歴史や思い入れがあるという。
「’90年代は、みんながCDを買っていたのでミリオンヒットが連発された時代でした。CD保護マットにはCDショップの店名がプリントされているので、近所に住んでいる人にとっては、CD保護マットを見れば思い出が浮かぶんです。同窓会でも、その当時に流行った音楽の話題になりますよね。CDショップのことを思い出すのに、CD保護マットがトリガーになるんです」
平成は現代人にとって“ほどよい懐かしさ”を感じられる時代
また、『ミニモニ。』などのアイドルの人形は、最近ではあまり見かけない。平成時代には女子高生の間であるブームがあったという。
「タレントの人形自体は、平成に流行っていないですが、天童よしみさんの『よしみちゃん人形』は魔除けになるとうわさになって、女子高生の間で大人気になりました」
ほかに、平成ですたれた文化といえば、携帯電話の改造アンテナ。ガラケーに着けるストラップも流行った。
「改造アンテナは、携帯電話が小型化していったころに登場しました。お値段もそこそこするのですが、一部で人気に。自家用車にネオンや光るナンバープレートをつけて個性を演出する感覚に近かったと思います」
山下さんが思う、テレビ番組や音楽などで平成を代表するものは何か聞いてみると……。
「平成の始まりを象徴する番組と考えたら、『平成名物TVいかすバンド天国』(TBS系)でしょうか。あとは、ダウンタウンやウッチャンナンチャンらが出演していた『夢で逢えたら』(フジテレビ系)。これは、昭和が終わる少し前に始まっています。
平成全体は30年近くあるので、なかなか選べないですよね。でも、私のなかで平成を代表する曲といえば、おやじGALSの『ランバダ音頭』ですね。いや、平成を代表するアーティストが、オヤジGALS(『ソルマック』のCMソングなどを歌っていた女性3人組)で、曲はMOMOの『ポケベルNightは5643#(ゴウロクヨンサン)』です」
さきほど見せていただいたポケベルの暗号本にもいろいろとありましたが、曲のタイトルにある《5、6、4……殺し……?》
「難しいんですけれど、“ゴム持参”って読むんです。ポケベルの暗号でごまかしていますが、、実態は、お色気ソングです」
若者にとって、“懐かしさ”が平成の魅力だと山下さんは言う。
「平成って、比較対象が昭和しかない。昭和か平成しかない。そうなると、重厚長大な昭和に対して、平成はちょっと軽佻浮薄(けいちょうふはく)な感じががありますね。でも、若い人にとって、遠すぎる昭和は理解できなくても、近い存在である平成には、身近で懐かしい感じがするそうです。平成は現代からみて、ほどよい距離感の時代なのかと思います。ちょうどよい懐かしさがあるんですね」
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
山下メロ ◎ファンシー絵みやげ研究家・平成文化研究家。『平成レトロ』を提唱し、平成元年(バブル期)から平成初期にかけての風俗や文化の分析及び保存を行う。また、1980年代から1990年代に日本各地で売られていた子ども向けの土産品を『ファンシー絵みやげ』と名づけ、全国の観光地で保護活動を行っている。保護したファンシー絵みやげは21000種におよぶ。著書に『ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ』(イースト・プレス刊)がある。Twitter→@inchorin