ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの通称ダニエルズ監督・脚本による、超ぶっ飛び映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(略称『エブエブ』)が日本でも公開され、注目を集めている。
日本時間3月13日に発表を控える、第95回アカデミー賞では作品賞を含む10部門11ノミネートを果たしており、発表後はさらなる話題の的となること必至。
そこで、全宇宙を危機にさらす強大な敵とヒロインが、マルチバース(多元宇宙)で戦うSFカンフーアクションの魅力を考察したい。<以下、ネタバレあり>
主人公が“疲れたフツーのおばさん”という規格外作品
そのヒロインというのは、コインランドリーを営む、疲れた普通のおばさん・エヴリン(ミシェル・ヨー)。20数年前に、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)とアメリカへ渡り暮らしてきたが、生活は悩みだらけ。
国税局の担当者(ジェイミー・リー・カーティス)からは、税金申告のやり直しを促され、一人娘のジョイは反抗的で、頑固な父の介護も大変。それなのに、ウェイモンドは優しいだけで頼りにならない。「あのとき、違う選択をしていたら、違う人生だったはずなのに……」。
これだけだと、どうにもマルチバースのカンフーアクションとは結びつきそうにないが、これがどうして、想像を超えた怒涛(どとう)の映像体験が続き、笑いあり、哲学あり、家族愛あり、人類愛あり、そして涙腺まで刺激する規格外作品なのだ。
ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァンら俳優陣のすばらしさ、魅力が本作を支えているのは大前提だが、ここでは物語に触れていきたい。
全宇宙を救うには、“もっともダメな”現エヴリンが、もっとも可能性を秘めている
ある日、エヴリンは、いきなり別人のようになったウェイモンドから「闇の王ジョブ・トゥパキから宇宙を救えるのはキミだけだ」と告げられる。彼いわく、自分は別宇宙の自分にアクセスできるシステム“バースジャンプ”を使って助けを求めにきた、別宇宙のウェイモンドなのだと。
なんでも、多元宇宙でそれぞれに生きるエヴリンの中でも、いろいろなことに挑戦しながら、すべてに途中で挫折してきた、“一番ダメな”現エヴリンが、全宇宙を救う一番の可能性を秘めているのだという。
そしてエヴリンは、ジョブ・トゥパキを倒すべく、“バースジャンプ”を使って別宇宙の自分から、カンフーをはじめとした能力を取得していくのだが、ジョブ・トゥパキの正体が、愛する娘・ジョイだと知ることに。
別宇宙の表現(映画『花様年華』風やアニメ『レミーのおいしいレストラン』風、なぜか指がソーセージの世界!?も)や、エヴリンやウェイモンドの別人ぶりに笑ったり、驚かされたりしつつ、物語はだんだんと深遠に哲学的になっていく。人によって強く感じるポイントも違うだろう。
母と娘の物語が軸ではあるが、エヴリン自身も娘であり、また妻であり、当然ひとりの女性である。指がウインナーの奇妙な世界では、別の純粋な愛の物語が生まれ、刺さってくるのも映画らしいマジックだ。
さらにはこの多元宇宙は、インターネット社会を映してもいる。だが本作で真に大きいのは、優しいだけの夫に映りがちなウェイモンドの存在なのだと言いたい。
さまざまな能力を身につけたエヴリンが最後に得たものは
ウェイモンドは、多くの洗濯物を仕分けする際に、愛らしい目玉のシールをつけていた。ただただ慌ただしい毎日を送るエヴリンを前に、なんとか深呼吸の時間を与えようとするウェイモンド。
でも彼女には伝わらない。エヴリンの瞳には常に「もっと別の人生があったはず」との気持ちが宿っている。離婚届を手にしたウェイモンドだったが、決して彼女を嫌いになったワケではないだろう。
やがてジョブ・トゥパキの闇に飲み込まれそうになったエヴリンは、ウェイモンドを刺す。ここからの展開がすごい。それでもウェイモンドは彼女を憎むのではなく、彼女に「親切でいてね」と求める。
ここでエヴリンは「あなたの戦い方を学んだ」と覚醒。第3の目の獲得だ。これまでにエヴリンはマルチバースによって、別宇宙の自分から、さまざまな能力を得てきた。カンフー、歌手としての肺活量、ピザ店員としての技などなど。しかし、ここで、彼女は自分からではなく、夫から「親切」という最強の武器を獲得したのだ。
全宇宙の中で、「もっともダメだからこそ、もっとも可能性がある」と選ばれたエヴリン。その傍らには優しいだけのウェイモンドがいて、ジョブ・トゥパキになる前のジョイがいた。
思えば途中、エヴリンとジョイが岩として存在しているシュールな世界が登場したが、そこでエヴリンが、ジョイに近づいていくことができたのも、ウェイモンドの目を得たからではないだろうか。母と娘の戦いのそばには、常にウェイモンドもいたのだ。
そして、エヴリンが言うように、エヴリンに似た、つまり全宇宙の中で、やはりもっともダメなのかもしれない現ジョイのそばには、現世界のウェイモンドのように優しい恋人のベッキーがいる。
前作『スイス・アーミー・マン』(2016)で死体との友情という、やはりトンデモ映画を作って一気に注目の存在となったダニエルズ監督だが、本作でも、遊び心を通り越して、「しょーもな」と言いたくなる要素をふんだんに盛り込み、笑わせながらも、最終的には胸の奥を突いてくる。
結局、どんな道を選ぼうと、どんな能力を獲得しようと、さらなる視点を与え、スイッチを押してくれるのは、人。そしてそれに気づいて受け入れるのは自分自身なのだ。そうして想像を超えたカオスシャワー体験が、意識を緩ませる本作は教えてくれる。「優しくあって」と。
(文/望月ふみ、編集/本間美帆)