今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1980年代をメインに活動した歌手・アイドルの『Spotify』(2023年5月時点で4億8900人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
石川さゆりのSpotifyでの人気曲をご本人のエピソードを交えて考察する連載のラストは、2010年代以降に急増するJ-POP系アーティストとのコラボや、’23年の新曲「約束の月」について尋ねてみた。
(第1位から第3位までを中心に詳しく語っていただいた、インタビュー記事第1弾→石川さゆり、紅白で歴代最多13回歌唱の「天城越え」レコード売上は低迷し「早く新曲を出せと怒られていた」 / 4位以降のさらにジャンルレスな人気曲や、椎名林檎や亀田誠治など著名アーティストとのコラボ秘話について詳しくお聞きした第2弾→石川さゆり、「海外2人旅をする仲」である椎名林檎の紹介で次々とつながった“創作・コラボの輪”)
『紅白歌合戦』のステージを見てコラボのオファーをすることも
Spotifyランキングを見てみると、第10位に、いきものがかり・水野良樹による「花が咲いている」、第12位と第15位にそれぞれ椎名林檎による「暗夜の心中立て」「名うての泥棒猫」、さらに第24位に石川自身がKinuyo名義で作詞、箭内道彦が作曲した「しあわせに・なりたいね」と、J-POP系のアーティストによる楽曲が並ぶ。日本のSpotifyユーザーは、35歳未満が約56%(’22年)と過半数を占めるのに対し45歳以上が約25%で、国内の人口比(35歳未満=約31%、45歳以上=約56%)と完全に逆転しているので、こういった楽曲が上位なのも納得がいく。それにしても、彼らと石川さゆりとの接点は何だったのだろうか。
「実は、私にとってはNHK『紅白歌合戦』が音楽を楽しめる最高の場所なんです! それぞれの歌い手の方が、1年の締めくくりとしていちばんいいパフォーマンスをされるでしょ? “ああ、今はこうやって輝いている人たちがいるんだ、こういう方たちとコラボレーションするとどうなるだろう……”とワクワクしてオファーするんです」
’10年代になって、こういったコラボが増えた理由も語ってくれた。
「きっかけは、阿久悠さん、三木たかしさん、吉岡治さん……私を育ててくださった先生方が亡くなられてしまったので、これから先、どうやって歌を作ればいいんだろうって思い悩んだときに、(UNICORN・奥田民生やくるり・岸田繁、THE BOOM・宮沢和史らが参加した)アルバム『X-Cross(クロス)』を作ったことです。“戦争”を背負ってこられた先生方とはまた異なる、今の時代において切磋琢磨されてきた方々ならではの素敵な世界観があって、それと私が培ってきた数十年間がクロスすることで、新たなものが生まれることを確信したんですね」
椎名林檎とは『ザ・ピーナッツ』をイメージしてふたりで歌った
『X-Cross』シリーズはこれまで4作リリースされており、第2弾には、椎名林檎やGLAY・TAKURO、第3弾にはコブクロ・小渕健太郎やT-BOLAN・森友嵐士、そして第4弾には東京スカパラダイスオーケストラや布袋寅泰が新たに参加。いずれも、“演歌”的な情念や哀愁が漂いつつ、ポップスやロックの躍動感もあるという、まさにクロスオーバーな作品集だ。
「中でも、コブクロの小渕健太郎さんに作っていただいた『春夏秋冬』(こちらはサブスク未配信のため圏外)は音域が広くて、新たな石川さゆりの歌になりました。この『X-Cross』を作るときには、『天城越え』や『津軽海峡・冬景色』のイメージに固執されないよう、みなさんにテーマを割り振ってるのですが、椎名林檎さんには“不条理”でお願いしました」
その結果、管楽器をふんだんに取り入れたブルース調の「暗夜の心中立て」と、昭和歌謡ど真ん中な作風の女性デュエット曲「名うての泥棒猫」ができあがった。いずれも、歌詞をじっくり味わいたい意欲作だ。
「椎名林檎さん自身が、ザ・ピーナッツなど、あのころの歌謡曲が大好きなんですって。最初は私ひとりで歌っていたのですが、“ねぇ、ピーナッツだったら、ふたりのほうがいいんじゃない?”と言って、スタジオで急きょ参加してもらったんです」
他方、第24位の「しあわせに・なりたいね」は、サラリと優しい風のようなフォーク系の楽曲だ。
「コロナ禍に入る前、渋谷の街を歩いたとき、あまりにも空が青いのを見て、“今の若者は本当に好きなところに飛べているのだろうか”と思ったのがきっかけです。そのイメージを箭内道彦さんに伝えたところ、“このままの歌詞がいい”と言ってくださったので、作詞してみました」
50周年記念シングルで、あえての“挑戦”をした理由は
また、’22年の50周年記念シングル「残雪」は加藤登紀子作詞・作曲の孤独を抱えた絶唱バラード。通常、記念シングルは、感謝をこめた明るい曲調が選ばれることが多いが、ここでも石川は挑戦し続ける。
「記念シングルでは、“好いた惚れた”の世界ではないものが歌いたかったんです。それで、“今の時代の中で何が伝えられるか”と考えて加藤登紀子さんにご相談し、“温かいふるさとじゃなく、帰りたくても帰れない故郷の歌を”とお願いしました」
ちなみに、’75年の「あなたの私」(シングル売り上げ7番手)、’77年の「暖流」(同3番手)など初期の楽曲は、ホリプロ管理楽曲のまま未配信となっているものも少なくない。これだけ多彩な人気曲があるのだから、今後、配信で解禁されることを期待したい。
三木たかし作曲の新曲は、“月”が大きなキーワードに
ここからは、’23年の新曲で通算132作目となるシングル「約束の月」について語ってもらおう。本作は、 ’09年に亡くなった三木たかしの作曲で、作詞は石川本人。どういった経緯があったのだろうか。
「三木さんが晩年、声が出せなくなったときに、“もし何かメロディーが湧いてきたら、いつでもギターで録音してください”ってMDレコーダーをお渡ししていたんです。そうしたら、そこに何曲か入れてくださって。それをコロナ禍で繰り返し聴いていたら、“ああ、三木たかしメロディーって本当にいいな”と思い、今の時代にこそ、みなさんに届けたいと思いました」
それで、この温かいメロディーに合う歌詞をいちばん理解しているのは、何度も聴いていた私かもしれないと思って、あまりキラキラした言葉を使わないよう意識しながら、自分で書いてみました」
本作では、サビに出てくる“1250の満月”という言葉がとても印象的だ。
「ありがとうございます。“100年たったらまた逢いましょうね”と言いたくて、その間に満月は何回めぐってくるだろうって。実際は、もう少し回数があるんですけどね(笑)。先日も、外を見たらピンクムーンが本当にきれいで。“ああ、この月は、ウクライナの人たちも見るのかな……”と、何か遠いところにあるけれど、みんなを近づけてくれる存在として、月の歌を書きたいと思ったんです。だから、聴いてくださった人それぞれが、逢いたい人……遠くにいる恋人やご両親、あるいは亡くなられた方を、自由に思い描いてもらえたら」
「津軽海峡・冬景色」の生みの親でもある三木たかしとはどういった思い出があるのだろうか。
「先生とは本当にたくさんお話をしましたね。“さゆり、そんなにキレイに歌ってどうするの? 人はうれしいときや悲しいとき、呼吸が浅くなったり、深くなったりするんだよ。それをもっと歌の世界に入れてみれば?”と言われたことがとても印象深いです」
確かに、初期のシングルをリリース順で聴いてみると、「
阿久悠は「亡くなる直前まで作品の構想を考えていた」
そして、このカップリング曲は、「津軽海峡・冬景色」のもうひとりの生みの親である阿久悠が作詞した「みち 今もなお夢を忘れず」。51年目もなお挑み続ける石川に、当て書きしたような内容だ。
「これは昨年、ご子息の深田太郎さんから“父の原稿が出てきた”と連絡があり、そこに先生の直筆で“みち 今もなお夢を忘れず”と書かれていたんです。これは運命だ! と思い、50周年リサイタルの音楽監督をしてくださった千住明さんにメロディーをお願いしました。千住さんとは’19年の紅白の『津軽海峡・冬景色』でもご一緒しました」
そういえば、石川は「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクを果たした’70年代後半だけではなく、阿久が執筆活動を中心としていた’00年代にも作詞曲を多数、歌っている。なぜ、
「阿久先生は、私たちの気持ちがあれだけわかるのに、歌い手とは一定の距離を保つという不思議な先生だったんですね。だけど’97年に、共通の大切な存在だった音楽プロデューサーの渋谷森久さんが亡くなったときに、“さゆり、僕たちは仲間として、一緒に音楽を作らなきゃいけないよ”って言ってくださって、そこからいろんなお話をさせていただき、さまざまな歌を歌いました。後日、奥様から、“亡くなる直前、ペンを持つ力がなくなるまでずっと構想を考えていたのよ”、とお聞きして……私は本当に幸せ者だと思いますね」
そんな中で生まれた第41位の「転がる石」は、阿久悠が自叙伝のように書いた渾身作で、今でもコンサートで大切に歌っている1曲だと語る。
「この曲は、シングルとはまったく別物として、ステージでは、アコースティックでカホンの伴奏で歌っているんですよ。第23位の『飢餓海峡』も、ステージではギター1本+間奏にチェロが入るくらい」
最後に、今後の抱負を語ってもらった。
「このストリーミングサービスのように、思い立ったらすぐにいろんな音楽を聴けるというのはすばらしいですね。私はいろんな歌を歌っていますが、それは、“人の中には本当にいろんな感情がある”ということを伝えたいからなんです。いくつか聴いてみて、もし気に入ったらコンサートに来ていただいて、人と人が共有できるものをより強く感じ取ってもらえたらと思います」
◇ ◇ ◇
「みなさん、私が何を歌っても面白がってくださるでしょ?」とほほえみながら取材を終えた石川さゆり。その笑顔には、ジャンルも年代も、そして国境さえも、やわらかく越えていくようなしなやかな強さが内包しているようにも思えた。彼女のさまざまな楽曲をじっくりと聴いてみれば、それぞれの聴き手の前にあるように見えた壁が、さほど高くなかったり、実は最初からなかったりと、別の景色が見えてくることだろう。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
石川さゆり(いしかわ・さゆり) ◎熊本県出身・1月30日生まれ。1973年3月25日、シングル「かくれんぼ」でデビュー。「津軽海峡・冬景色」で第19回日本レコード大賞歌唱賞を、「波止場しぐれ」で第27回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。以降も「天城越え」「風の盆恋歌」「夫婦善哉」と数々のヒット曲を送り出すなど、長年に渡り多くのファンを魅了してきた。’20年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公・明智光秀の母、牧役を好演。’22年3月に50周年を迎え、第73回紅白歌合戦では紅組最多となる45回目の出場を果たした。’23年4月5日にはシングル「約束の月」が発売に。
新曲シングル「約束の月」Now On Sale!
デビュー51年目の幕開けを飾る新曲は、稀代の作曲家・三木たかしの遺作。
遠く離れていても同じ月を見ながら想いが通い合うふたり、100年後に変わらない想いで、今日と同じ満月の日にきっと逢いましょうと約束したふたり。1250回の満月に永遠の想いが込められている。
カップリングは、’22年の50周年記念リサイタルで初披露した「みち 今もなお夢を忘れず」。50周年を象徴的に飾った楽曲。
※商品詳細は公式サイトへ→https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/ishikawa/
◎石川さゆり 公式Instagram→https://www.instagram.com/sayuri_ishikawa_official/
◎石川さゆり 公式Youtubeチャンネル→https://www.youtube.com/channel/UC2MhoHT5v039W2I9WxpGwoA