「WE HAVE WINGS(私たちには翼がある)」をテーマに、片翼の少女の物語を描いた昨年の「東京2020パラリンピック」開会式。その感動的なパフォーマンスを演出したことで広く知られることとなった演出家・ウォーリー木下さん。自身がプロデュースする、言葉を使わないノンバーバルパフォーマンス集団「THE ORIGINAL TEMPO」がエジンバラ演劇祭にて最高峰の五つ星を獲得するなど海外でも高く評価を得ている。手がける作品は、ストレートプレイ、ミュージカル、2.5次元舞台、コンサートと多岐にわたり、共通して豊かで緻密な人物描写と巧みな表現力が魅力だ。
2月17日から、原案と演出を手がける舞台『僕はまだ死んでない』が上演されている。もし、自分の大事な家族が、友人が、最愛の人が、あるいは自分が、生死の境をさまよう事態になったら……? 終わりの瞬間を見つめる主人公と彼を取りまく人々、それぞれに湧き起こる想いをリアルに感じさせる人間ドラマに期待が高まる。
いま最も注目される戯曲家・演出家に、コロナ禍で挑む意欲作について、50代を迎えての心境の変化、今後の作品で手がけたいテーマ、人生で大切にしている思い……などを語っていただきました。
意識はあるけれど身体を動かせない主人公
──今回、“人生の最後について向き合う”というテーマを選ばれた理由を教えていただけますでしょうか?
「いくつかあるのですが、まず、ひとつは昨年2月にこの作品が“VR演劇”として誕生しまして。そのときに舞台の中心にカメラを置いて、周りを役者さんが取り囲むようなつくりになるということで、真ん中にいる人物を誰にしようかと考えた中で、意識はあるけれど身体を動かせない人物にすることにしました。
それが始まりなのですが、同時にその当時は新型コロナウイルス感染拡大の真っただ中で、まだ今後どうなるか本当に不透明なときで。たくさんの方が亡くなっていく中、僕は直接的に自分の隣に死が迫っているというよりは、ただ毎日、ニュースで死亡者の数だけがカウントアップされていくみたいな世界観の中で生きていて。“僕らは今後どうやって生きていったらいいんだろう”って思ったときに、やっぱりそれは、同時に“どうやって死ぬことを自分でコントロールしたらいいんだろう”ってことにもつながるなということも思っていて。日本においてまだあまり議論がされていない終末期医療に関して、勉強したいなという思いがあったことが大きいです。カメラマンの幡野広志さん(※1)という方の闘病手記を読んだり、いろいろな映画を観たりしました」
(※1)編集部注:2017年、34歳のとき血液がんの一種である多発性骨髄腫を発症し、余命宣告を受けている。
──今作でウォーリーさんが一番伝えたいこととは?
「基本、伝えたいことはないんですけど(笑)。見に来たお客さん、その人が普段何を考えているかによって、全く感じるところや見えてくる部分が違う作品になってくるので、それぞれの方が感じることが正解だと思います。もっと言えば、そのとき他の人が感じていることが嘘なわけじゃなくて、全員が全員、別々の答えを持って進んでいくってことも、ひとつのテーマだなと思うので。何か一個の確固とした結論を出すような話ではないので、自由に受け止めてもらえるといいなと思っています」
──脚本を読ませていただいて、安楽死の問題についてのシーンが、シリアスな状況なのに交わされる会話の端々に、親しい間柄、身近な存在ならではのユーモアや可笑(おか)しみが入り混じっていて印象に残りました。
「稽古場で役者さんたちと作りながら、実際にいろいろ議論しているんですね。そこが楽しいというか。安楽死のことってどうしても触れづらい部分じゃないですか。でも実はオープンに話していったほうが答えに近づける気がするので、そういう作る過程も含めて、とても有意義だなと思っています」
VR版よりも現実に近いものになっていると思う
──昨年のVR版とは脚本もリライトされているとのこと。演劇版で分厚くされたのはどの部分ですか?
「VR版を発表してから1年経って、僕もいろいろな経験をしていて。例えば、僕にはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っている友人がいて、パラリンピックの開会式にも出てもらったのですが。もちろん設定は違うけれども、この物語に出てくる人たちと同じような環境の人と接する機会があったり。間接的にはいろんな文章を読んだりしました。
それでわかったのは、障がいを持つということは、その人個人の問題だけじゃなくて、家族とか社会とか広いところまで、たくさんの解決しないといけない問題があって。それはVR版のときには把握できていなかったことでもあるので、この1年間で経験したことを脚本の広田(淳一)くんに話してリライトしてもらいました。VR版からより現実に近いものになっていると思う。群像劇として、登場人物たちがいろんな悩みを抱えていることが、より強く描かれているような気はします」
──作品によって違うとは思いますが、舞台の演出で最も大切にされているのはどのようなことですか?
「はい、作品によって違います(笑)。でも、あくまでも僕がやっているのは集団作業なので、あえて大事にしていることを言えば、関わってくれる人たちが楽しかったり、ワクワクしたり、幸せであることだなと。最近は特にそう思いますけどね」
──舞台『僕はまだ死んでない』の演出で大事にされていることは?
「演劇的な虚構の世界の中で、会話劇の部分をどうやってリアルに感じるものとして作っていくかが課題ですし、一番大事だなと思っています。そこは初心に立ち返って丁寧に作りたいです」
「東京2020パラリンピック」開会式の演出を経験して
──昨年の「東京2020パラリンピック」開会式は多くの人を感動させました。演出を担当されたことはどのような経験になりましたか?
「2時間、3時間でも語りつくせないくらいありますけど……短く話すのは難しいな(笑)。一番は楽しかったです」
──ご苦労されたことは?
「僕は大して引っ張っていたわけではなくて、スタッフみんなが自由にアイデアを出しやすい環境を作ったり、そのアイデアを上手くつなげて、見てくださる方に何か伝えるということに特化して作業をしていたので。もちろん、いろいろなことがあって、大変な思いもしましたけど、でもそれは結局チームに助けられましたし。やっぱり、ひとりじゃなくてチームのみんなで作ったっていうのは、ある種の達成感がありました」
──完成したパフォーマンスをご覧になって、どんな思いでしたか?
「感動しました、本当に。パワーを感じましたし、それがたぶん画面越しでも見てくださった方にも伝わったんだなと。それは嬉しかったですね」
演劇に惹かれた一番の理由
──昨年、50歳を迎えられて、心境の変化などはありましたか?
「演劇人生は、70歳くらいまでかなと思っているので。あと20年だとして、すごくやりたい作品もまだ40本くらいできるんだって思ったら、わりと長い間やれるなと思ったり。でも、長いスパンで作品に取り組むこともやっていきたいですね。ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』は6年間やっていたのですが、そう考えると、残りあと20年だと早く始めないとあっという間に終わっちゃうので。もちろんひとつひとつの作品もちゃんと深掘りしてやっていきますが、やっぱり長いスパンをかけて作るようなことをやっていかないと、残りの人生もったいないなと思うようになりました」
──これまでのお仕事や人生経験を振り返って、転機になったと思える出来事は?
「そうですね……最初はもちろん、神戸大学在学中の22歳のときに『劇団☆世界一団』(現sunday)を旗揚げしたことですし、その後、29歳くらいで海外に挑戦したこともそうですし。同じ時期にフェスティバルディレクターとして仕事を始めたことも、自分の演出家としての人生にとって、とても大きい転機になっています」
──演劇に惹かれた一番の理由は?
「最初は、自分で考えた話をみんなに演じてもらうってことが、単純に楽しかったですね。物語を考えるのは、小さいころからすごく好きで、小説家になりたいと思っていたくらいだったのですが、演劇という媒体と出合って、友達みんなでワイワイしながら、物語を上演するってことの喜びも見つかったので、そこが大きいかなと思います。演劇を始めたころは、戯曲家としてのほうが7~8割を占めていました」
──では、演劇人生が進んで行くにしたがって、演出の仕事が広がっていったのですね?
「その通りです。先ほどもお話したフェスティバルディレクターを担当したり、海外公演を経験したことで、演出っていうことを考えるようになったという感じですね」
──戯曲家・演出家として作品を生み出すという常にアウトプットされるお仕事ですが、インプットはどのようなことでされているのですか?
「最近は、アウトプットとインプットにそんなに差はなくなってきている気はします。演劇は他人との共同作業なので、その場にいる人たちによって全く違うから、常に自分から何か出すっていうことがなくても、“三人寄れば文殊の知恵”じゃないけど、なんとかなるんですよね。逆に、若いころは自分ひとりで何とかしようみたいな気持ちが強かったので、挫折は結構ありました。今のほうが、クリエイティブなことのエネルギーはあるな、という気はします」
──プライベートでほっとされるのはどんなときですか?
「いま0歳と4歳の子どもがいるので、やっぱり子どもたちといる時間ですね。大変ではありますし疲れますけど、楽しいです」
──お子さんが生まれたことで、作品作りに変化などはありましたか?
「子どもたちが楽しめるような作品に対して、なるほどなって思うことは多くなってきたし、教育的な観点でも何か面白いことを、多くの子どもたちと一緒にできたらいいなと思ったりすることはありますけど。自分が作っている作品の中身自体には影響はないかな」
人は誰しも突然、真っ暗な世界に行くことがありうる
──今後の作品で手がけたいテーマはどんなものですか?
「今回の『僕はまだ死んでない』もそうなんですけど、パラリンピック開会式をやらせてもらったり、ここのところ、いろいろなご縁があって。それまでも、障がいのあるアーティストと作品作りはしていたのですが、それは障がいがあるアーティストのためということでもなくて。将来、僕らはみんな必ず年をとって足が動かなくなったり、目が悪くなったりすることは間違いないわけだし、『僕はまだ死んでない』のようにある日突然、それがやってくることもあるし。
つまり今、健常な人でも潜在的にはいつなんどき、誰もが障がいを持つことは考えられるわけで。自分も含めて、そういうときに人生が途端に終わっちゃうみたいな気持ちになる社会はやっぱりよくないと思うし。できれば、そういうシステムを変えていくことが、演劇の力で手伝えることだなと思っているので、そういうアプローチは続けていきたいです」
──最後に、いま、ご自身の人生で大切にされていることは何でしょうか?
「最後にすごい速いボールの質問がきましたね(笑)……うまく伝えられるかどうかわからないですけど、チャレンジしてみます。
僕は、阪神淡路大震災で被災していまして。1995年、まさに今作の主人公みたいに、ある日突然に、です。そのとき僕は生き埋めになって、クラッシュ・シンドローム(※2)という病気になり、約2週間、集中治療室にいました。その後もリハビリを入れて3か月くらい病院に通っていたんですね。
(※2)編集部注:重量物の下敷きになって長時間身体を挟まれたとき、挫滅した筋肉から発生した毒性物質が救出による圧迫開放で血流に乗って全身に運ばれ、臓器に致命的な損害を及ぼし、死亡したり重篤な症状になること。
その経験をしたのは、もう30年くらい前なんですけど、それ自体が、僕の生き方とか作品に強く影響を与えているわけではないなと、ずっと思っているんです。でも、自分の中の人生観というか、大事にしている思いがあるとしたら、“人は誰しも突然、真っ暗な世界に行くことがありうる”ということだと思っていて。僕は“そんな真っ暗な世界に行くことはない”みたいな楽観的な生き方はできないですし、たとえ真っ暗な世界に行っても、そこからもう一回、明るい場所に出ることだってたくさんあるはず。そういう、ある日突然やってくる“人生の大きな転換”みたいなものを楽しめたらベストだなと思いますね」
(取材・文/井ノ口裕子)
《PROFILE》
ウォーリー・きのした 1971年12月20日、東京都出身。’93年、神戸大学在学中に演劇活動を始め、劇団☆世界一団(現 sunday)を結成。全ての作品の作・演出を担当。戯曲家・演出家として、外部公演も数多く手がけ、役者の身体性に音楽と映像とを融合させた演出を特徴としている。また、言葉を発しないノンバーバルパフォーマンス集団「THE PRIGINAL TEMPO」のプロデュースにおいてはエジンバラ演劇祭にて五つ星を獲得するなど、海外で高い評価を得る。10か国以上の国際フェスティバルに招請され、演出家として韓国およびスロベニアでの国際共同製作も行う。2018年4月より「神戸アートビレッジセンター(KAVC)」舞台芸術プログラム・ディレクターに就任。最近の作品に、手塚治虫生誕90周年記念「MANGA Performance W3(ワンダースリー)」(‘17)、舞台「スタンディングオベーション」(’21)、「バクマン。」THE STAGE(’21)、「東京2020パラリンピック」開会式(’21)、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」(’15〜’21)など幅広いジャンルの演出を手がける。
舞台『僕はまだ死んでない』
原案・演出:ウォーリー木下
脚本:広田淳一
出演:矢田悠佑 上口耕平 中村静香/松澤一之・彩吹真央
日程・会場:2022年2月17日(木)~28日(月)銀座・博品館劇場
詳細はWEBサイトにて https://stagegate-vr.jp/
公式サイト
https://www.stagegate.jp/stagegate/performance/2022/bokumada2022/index.html
公式Twitter @bokumada2020