カメラの前で“アタックチャンス”のポーズを決める男性の名は、日高大介さん(45)。クイズ好きなら、その名前を目にしたことがあるかもしれません。高校2年生で『第14回全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ系)の静岡県代表となり、その3年後には『パネルクイズ・アタック25』(テレビ朝日系)で優勝という、華々しい経歴の持ち主です。
2006年に『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)にクイズ作家として参加してからは、プレイヤーのみならず、クイズ作家としての仕事やクイズ本の執筆など、多岐にわたる活動をしています。
今回は日高さんに、クイズに魅せられた半生について語っていただきました。
幼稚園児のころにクイズ番組で足し算を習得、中3で『アタック25』に初挑戦
──クイズ番組に興味を持ち始めたのはいつごろからですか?
「幼稚園の年長くらいですね。1歳から6歳まで宮崎市内に住んでいて、その後、親の転勤で宮崎県の最南端にある串間市に引っ越しました。そうしたら、鹿児島県内のテレビ局が映るようになったんですよ。宮崎市は民放のチャンネルが2つしかなかったのに、引っ越したら4つに増えたんです(笑)! 幼稚園のころに大好きだったのが『スーパーダイスQ』(’80年~’84年/TBS系)というクイズ番組で、2個のサイコロを振って、出た目の合計の数字をもとにパネルを消していくコーナーがあったんです。その番組のおかげで、小学校に入学する前に足し算ができるようになりました」
──9歳から19歳までは静岡県浜松市で過ごしたとのことですが、学生時代は勉強が得意でしたか?
「自分で言うのもなんですけれど、勉強はできましたね。国語・数学・英語の3教科が得意でした。一度、中学2年生の秋、静岡県統一の3教科テストという実力試験があり、県内唯一の300点満点を取ったことがありました。それが人生の学力のピークだったかもしれません(笑)」
──クイズ番組に応募したのは『高校生クイズ』(『全国高等学校クイズ選手権』)が最初でしたか?
「いえ。中学3年生のときに『パネルクイズ アタック25』に初めて応募したことがありました。当時、中学生大会があったのですが、静岡で予選大会が行われるのはかなりレアだったので応募しました」
──『アタック25』の中学生大会では、どのような成績が残せましたか?
「予選では、ペーパーテストで最高得点を取れたんです」
──記憶に残っている問題はありますか?
「’92年に予選を受けたのですが、1問目で初めて正解した《先日のバルセロナ五輪で、14歳と日本人最年少で金メダルを獲得した水泳選手は誰でしょう》という問題が思い出深いですね。答えは、僕らと同世代の「岩崎恭子さん」です。“今まで生きてきた中でいちばん幸せです”の名言で有名ですよね。中学生大会だから出題されたのかもしれません。その後に面接もあったのですが、そこでチャゲアス(CHAGE and ASKA)のモノマネをしたんですよ。『SAY YES』を熱唱したらスタッフさんにすごくウケまして……。内心、“これは通ったかな”と思っていたら、いつまでたっても連絡が来ず……。気づいたら中学生大会の放送が始まっていました(笑)。出場していた生徒さんを観ていたら、質実剛健、文武両道みたいな、まじめなタイプが選ばれていて、キャラ作りを失敗したなと感じました(笑)」
『クイズ王決定戦』の招待状に感激! 予選で思い出深い問題は──?
──中学生にして、濃い経験を積んだのですね。
「中学時代には、他に『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』(フジテレビ系)という番組にも挑戦しているんです。初めて参加した『クイズ王決定戦』の予選が中2の2月にありました。この番組は年齢制限がなかったので、鈍行の列車に2時間揺られて、静岡市まで喜んで受けに行きましたね。第3回大会で、同じ歳の深澤岳大くん(元クイズ作家)という子が全国ベスト100に残っていたんです。“なんと彼は14歳で、今回の最年少です!”って紹介されているのを観て、ビックリしましたね。自分のことを“同年代でこんなにクイズ好きなやつはいないし、僕がいちばん強いだろう”って勝手に思っていたので(笑)、彼の存在に驚きました」
──『クイズ王決定戦』の思い出はありますか?
「最初は深澤くんに触発されて、“僕も全国100位に残れるかも……”と軽い気持ちで応募ハガキを出してみたんです。あるとき中学校から帰ってきたら、家のテーブルの上にピンク色の封筒が置いてあって、よく見たら差出名に“株式会社フジテレビジョン”と書いてあった。根が田舎者ですから、あの封筒が届いたときの喜びは、一生忘れられないですね。“あの東京のフジテレビから本当に予選通知が来た!!”と、ワクワクするような、言い表せない感動。封筒を開けたドキドキの瞬間も、今も鮮明に覚えています」
──『クイズ王決定戦』では、どこまで残ることができましたか?
「予選のペーパーテストで落ちました。しかも参加人数が多く、予選前の『予備予選』で落ちたんです。あれはショックでしたね。当時はちょうど相撲界で“若貴ブーム”が起きていて。第1問目は《現在の幕内力士のうち、身長が203センチといちばん高い力士は誰?》という問題が出て、まったくわからなかった。でも2問目で、《2か国語を話せる人はバイリンガル。では3か国語を話せる人を何という?》という問題が出て、解答用紙に『トリリンガル』って書けたんです。その答えを書いたときは、シャーペンの芯が震えるほど興奮しました」
『アメリカ横断ウルトラクイズ』問題集16年分をオリジナルノートに凝縮
──日常生活においても、クイズ漬けの毎日でしたか?
「中学生のころは、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(’88年~’96年/日本テレビ系)や『マジカル頭脳パワー!!』(’90年~’99年/日本テレビ系)が放送されていて、世間的にもクイズが流行(はや)っていた。なので学校のクラスメイトを集めて、手作りのクイズ大会を開いていました」
──ご自身でクイズ番組の対策もしていたそうですね。
「大好きだった『アメリカ横断ウルトラクイズ』(’77年〜’92年/日本テレビ系)の問題集が出ていたのですが、16冊あったので持ち歩けない。そこで、1冊のノートに第1回から最後の第16回大会までの問題と答えをまとめたんです」
──今はパソコンやネットがありますが、これは貴重な資料ですね。
「問題集を書き写しているだけなので、なんの創造性もないんですけれど……。そのころは、ひたすらテレビが好きで、好きな番組はビデオで繰り返し見ていました。ただ、よく“『ウルトラクイズ』や『ものまね王座決定戦』を1万回観ている”って言うと、“そんなわけがない”って言われるのですが、それはもう僕の妹に聞いてみてください! “(1万回より)もっと観ている”って言うと思います(笑)。同部屋だった妹が証人ですね」
──『アタック25』は、その後、本選に出られていますね。
「大学1年生のとき、’98年にようやく出場して、優勝することができました。そして’21年の最終回にも出ることができました。最終回では『史上最強のチャンピオン決定戦』と題して、それまでの『アタック25』優勝者だけを集めた予選大会が行われたんです。そのときのペーパーテストが、超難問ぞろいでした。ただ、そこで《先日の東京オリンピック2020で、13歳と日本人最年少で金メダルを獲得したスケートボードの選手は誰でしょう》という問題が出題されたんです。『アタック25』で初めて正解したのが岩崎恭子さんで、最終回の予選で正解したのが西矢椛(もみじ)さん。どちらも五輪の日本人最年少金メダリストで、なんだか不思議な縁を感じました」
──チャンピオン決定戦では、どのような成績を収めましたか?
「最終決戦までは進んだんですけど、最後の最後に逆転負けしちゃいました。前半が終わってパネル20枚のうち16枚を取っていたのに、アタックチャンスでミスって、みるみるパネルが無くなっていったんです」
──参加者は、焦りや緊張から、普段はしないようなミスも増えそうです。
「そうですね。特に最終回の緊張感は、人生でいちばんすさまじかったです。あと、実際にスタジオに行くと、パネルが想像以上に大きいんですよ。解答席に座ると、緊張からパネル全体がうまく見えなくなってしまう。視聴者が“この人、どうしてこんな変な取り方をするんだろう”って思う回があると思いますけれど、それは追い込まれた状況下で、本来の判断力や実力を発揮できなかったからだと思いますね」
『アタック25』本選では“必勝法”が裏目に。『ミリオネア』では悔しいミスも
──『アタック25』に初めて出たときは、何か対策をしていましたか?
「大学生のころ、クイズ仲間の矢野(クイズ作家の矢野了平)と一緒に番組を見ながら、手作りの25枚×4色、100枚のパネルを使って、アナログでパネル取りの練習ばかりしていました。まだネットはおろか、パソコンも珍しい時代でしたね。あと、とっておきの秘策を編み出したんですよ。司会の児玉(清)さんが(不正解を知らせる)ブザーの近くにいるときは、とにかく即答する。逆に、ブザーから少し離れた位置にいるときは、(解答ボタンを押してから)答えるまでに数秒、考える余裕があると」
──その必勝法は、気づかなかったですね……。
「実際に番組に出場した際、《脊椎動物の赤血球に多く含まれ~》という問題文の途中で、僕がバーン! と解答ボタンを押しました。児玉さんはブザーから離れていたので、ちょっと考えちゃったんです。“よし、ヘモグロビンだ! ん? でも、ひょっとしたらタコやイカの血液に含まれる『ヘモシアニン』に展開するかもしれない、いや、そんなわけない〜”などと、脳内で確認をしていたんです。その間、ものの1秒くらいなんですけれど、児玉さんの動きがあまりにも機敏で。スラッとした長い手がサッとブザーに伸びて。『ヘモグロビン』と答えるやいなや、不正解のブザーを押されてしまいました(笑)。策士、策に溺れましたね。」
──日高さんが、実力を発揮できなかったと感じたクイズ番組はありましたか?
「ずっと失敗ばかりでしたね。いちばん失敗したのは、『クイズ$ミリオネア』(’00年~’07年/フジテレビ系)です。『ミリオネア』はスタジオが想像以上に暗いのと、みのもんたさんの迫力もすごかった。そこで、サザンオールスターズの大ファンにもかかわらず、《シングル曲をリリース順に並べなさい》という僕にとってのサービス問題を落としてしまったんです……。得意分野だからこそ、慎重になりすぎてしまうこともありました」
◇ ◇ ◇
ついつい引き込まれてしまう、日高さんがハマったクイズの世界。次回は、『高校生クイズ』の全国大会に出場された際のエピソードに続きます!
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
日高大介(ひだか・だいすけ) ◎宮崎県生まれ、浜松市育ち。14歳から本格的にクイズを始め、高校在学中に『第14回全国高等学校クイズ選手権』で静岡県代表、大学在学中には『パネルクイズ・アタック25』『タイムショック21』優勝、『クイズ王最強決定戦』準優勝2回など。2006年にはクイズ作家活動を本格的に始動、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』『全国一斉日本人テスト』『百識王』などにかかわる。2010年からは『お願い!ランキング』『笑っていいとも!』『行列のできる法律相談所』などのメディア出演を重ね、クイズ王/クイズ作家として500本以上のテレビやラジオに出演。現在は主に『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』などのクイズ番組やクイズ特番などに携わる。
◎日高大介オフィシャルHP→https://hidakadaisuke23.fensi.plus/
◎ 日高大介Twitter→@hdkdisk