かつての大人気番組、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下、ウルトラクイズ)。その第10回で決勝まで行かせていただいた私の体験から、これまでに4回、ウルトラクイズ裏話をお伝えしてきました。
●第1弾:伝説のクイズ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」、罰ゲームの謎
●第2弾:「会場付近で3時間待機」「本番前はずっと目隠し」、『アメリカ横断ウルトラクイズ』準優勝者が明かす収録の“謎”
●第3弾:伝説の番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』に台本はあったのか!? 準優勝者が語る“撮影秘話”
●第4弾:『アメリカ横断ウルトラクイズ』準優勝者、ニューヨークのホテルで起きた“事件”を激白!
今回は、その第5弾。第10回アメリカ横断ウルトラクイズの決勝戦前夜、ホテルの私の部屋に番組司会の“留(とめ)さん”こと、福留功男(ふくとめのりお)アナウンサー(当時)がひとりでやってきて……という話。
決勝前夜、スタッフから驚きの言葉が
私が参加させていただいたウルトラクイズは、偶然にも第10回の記念大会でした。
そのため予算が大幅にアップし、それまで企画アイデアとしてあがっていたものの、予算面からボツになっていた、「旅の途中で挑戦者を北米ルートと南米ルートに分けて、最後に北米チャンピオンと南米チャンピオンがニューヨークで決勝を戦う」という企画が唯一、実現した大会だったのです。
北米ルートだった私は、準決勝を勝ち抜いたあと「たったひとりでニューヨーク入りした」というお話は、前回いたしました。
南米ルートのほうが日程を要したため、私はニューヨーク入りした翌日、丸1日フリー。憧れの地だったニューヨークをひとり歩きし、堪能することができたのですから、あとから思えば本当にラッキーだったと思います。
さて、「明日はいよいよ南米ルートからのチャンピオンとの決勝戦」(相手が誰なのかは、もちろんまったく知らされていませんでした)という晩のこと。
スタッフが私にこう言ったのです。
「あとで、部屋に福留さんが行くから……」
えー-っ! です。以前にも触れましたが、番組として「人間ドキュメンタリー」を目指すウルトラクイズは、挑戦者とスタッフのなれ合い感が画面に出てしまうことをさけるため、互いの距離を置くことを徹底していました。
それは司会者である福留さんもしかりで、ほぼ1か月にわたる旅のあいだ、福留さんと一緒に食事をしたのは、本土に進むメンバーが決まったタイミングなど、数えるほど。
あとから思えばたぶん、その食事会も福留さんが今後、司会を進めるうえで“チャレンジャーたちの個性を把握する”という狙いがあってのことだったのだと思います。
もちろん、バスで移動中に、荒野の道路沿いにポツンと1軒だけあるファストフード店で挑戦者とスタッフ全員が食事をすることなどはありましたが、そういうときも、挑戦者と福留さんを含むスタッフたちの席は、わざと離れるようにしていたのです。
それなのに、なんと、ホテルの私の部屋に留さんがひとりでやってくると……。
「何? 何? もしかして、明日の決勝の相手をナイショで教えてくれるのでは?」……とは思いませんでしたが、まあ、ドキドキしながら、部屋で待っていました。
放送を見て、はじめてわかった訪問の狙い
やがて、私の部屋にやってきた福留さん。
はじめは、アイスブレイク的な雑談でしたが、そのうち話がクイズに関することに及んで、「クイズを始めたのはいつか?」「初めてウルトラクイズの放送を見たのはいつか?」「いかにウルトラクイズに、ほれ込んだか?」、そして「クイズ、というか勝負事に関するモットー」など、けっこう深い話をしたと思います。
私は聞かれるままに答えていて、あっという間に時間がすぎました。正直、緊張のあまり10分くらいだったのか、1時間くらいしゃべっていたのかも覚えていません。
やがて、ひと通り話を終えると、福留さんは「邪魔したな。それじゃ、明日は最高の決勝戦を期待してるから」とかなんとか言って、部屋を出て行ったのでした。
「んっ? これって何だったの? 激励に来てくれたの?」
怒涛(どとう)のような時間が過ぎて、そんなことを思ったのを覚えています。
この訪問の謎が解けたのは、帰国後、番組の最終週の収録で日本テレビのスタジオに行ったときのことでした。
スタジオの観覧席には、一般客とともに、ウルトラクイズの参加者がたくさん呼ばれていました。ただ、私はと言えば、番組の最後に準優勝者として収録に出演する予定だったので、控え室で第4週の映像を見ていたのです。
やがて番組は、ウルトラクイズでおなじみの、決勝を戦う2人がそれぞれヘリコプターに乗って、ニューヨークの摩天楼の上を飛ぶ場面にまで進みました。
あの日、ニューヨークのホテルで、どうして福留さんが私の部屋にきて会話をしたのかの謎が解けたのはこのときです。
ヘリコプターに乗っている私を紹介するときの福留さんのナレーションが、あの日、福留さんと会話した内容から作られていたのです!
なるほど。そういうことでしたか。
なんのことはない、福留さんが、決勝戦前のヘリコプターシーンのナレーションの台本を書くためのインタビューだったのですね。
今なら、容易に察しがつくのでしょうが、われながら当時はまだ、右も左もわからないヒヨッコだったのだなと思います。
ああっ、それにしても、そうと知っていれば、もっとカッコイイことを言ったのに……。
「勝負はなんでも勝たなくてはダメ。人に好かれる人物は絶対に勝てない」なんて、クイズでギラギラしていたころの「若気の至り」の言葉をそのまま放送されてしまって、顔から火が出る思いだったのでした。
(文/西沢泰生)