今年でデビュー15周年を迎えた、歌手の木山裕策さん。自身が36歳のときに甲状腺がんを発症し、手術の影響で今後は声を出せなくなると医師に告げられたことも。ですが、病を克服し、39歳のときにかねてからの歌手という夢をつかみ取りました。
後編は、自分のやりたい夢を実現するための考え方や方法、仕事との向き合い方について、伺います。
(前編では、独立に踏み切った途端に訪れた緊急事態宣言発令時の心境や、現在歌手活動と並行して行っている、講演活動の話をお伺いしています。→記事:紅白出場・木山裕策「勝ち続けなければいけないと思っていた」コロナ禍で“仕事ゼロ”から『千鳥の鬼レンチャン』出演で返り咲く)
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会社勤めで疲弊する日々の中、歌手活動に邁進できずにいた
──12年間、会社員と歌手の二足のわらじで活動されていましたが、当時はどのように両立していたのですか?
「“歌が忙しいから、仕事で手を抜いてるな”と思われるのが、とにかくイヤだったんです。だから、僕の中ではどちらも本業。歌も仕事も100%全力でやらなければいけないと思っていましたし、そう見えるように、すごく気を遣っていました。
例えば、週末に歌の仕事があるときは、メンバーに見られないように、スーツや機材を通勤途中のロッカーに預けて、出社していたんです。
デビュー当時は、会社員と歌手活動をうまく切り替えられませんでした。部長に怒られたことを引きずって、歌詞が途中で飛びそうになったこともありました」
──そのころは、何がいちばん大変でしたか?
「自分のことを考える時間がないことです。当時100人ぐらいの部下を持っていたので、いろいろな悩み事の相談から、絶えずトラブルがあって、会社では『謝り侍』と言われるくらい、各方面に謝罪に行きました。
だから、“歌の世界でこれからどうやっていこうか”と考える手前で、いつも心が疲れてしまっていて。残りの人生、どうして行くかを決断しないとならない心のモヤモヤと、どうせなら歌のことで悩みたいのに、そこまでたどり着かない。そのジレンマが絶えずありました」
年に1度、自分と向き合う時間をつくっていた
──そんな葛藤を抱えながら、歌手活動をされていたとは夢にも思いませんでした。そんな中でも、夢を実現した先輩として、やりたいことを見つけようとしている人に何かアドバイスはありますか?
「毎年1〜2月ごろに、自分と向き合う時間をつくるようにしています。“明日死ぬと言われたら、いまやりたいことは何か”を、自身に問う時間です。
具体的には“自分にできること”“やりたいこと”“それをするために何が必要で、いつまでにやるのか”を整理して、ノートに書いています」
「3年前に会社を辞め、独立した際も書きました。コロナが始まってすべてリセットされてしまったので、そのときの目標は達成できていないと思っていたんですけど、1年後に振り返ってみたら、実現できているんです。
例えば、書いた当時は何のツテもなかったのに“CDを出す”と書いていて。いま『昭和歌謡コンサート』をやっているんですけど、それも“懐かしい日本版の歌謡コンサートを行う”と書いていました。自分のやりたいことがかなっているので、自分でもびっくりしています。
もちろん、できていない事もあります。“オールデイズアルバムを作る”と書いて、とあるライブハウスにCDを送ったんですけど、何の返事もないままですし、“絵本を出す”という目標も毎年書いていていますが、実現できず、次年度に持ち越しています。
でも、こうやって振り返って思うのは、“世の中の情勢が変わっても、本当にやりたいことはやり遂げられるんだ”ということです」
55歳になってもなお、自分の成長を感じられる
──いまは歌手活動に専念されて、二足のわらじで活動していたころと比べると、歌への向き合い方も変わったんじゃないですか?
「そうですね。歌手活動一本に絞ったことで、そこから逃げられなくなりました(笑)。聴かせる努力を怠れば、仕事がゼロになってしまいますから。そのために、歌手としての自分の魅力を分析して“足りないところは補い、よいところは伸ばしていく”ということを追求しなければなりません。
僕は音大も出てないですし、ボイストレーニングを受けてこなかったので、自分にとって指針となるものがないんです。
いかにして歌唱力を伸ばしていこうかと考えていたときに、由紀さおりさんから『童謡唱歌』のコンサート出演のお誘いをいただいて、安田祥子さんとともにステージに立たせてもらっています。
そこでおふたりからご指導いただき、歌唱力を鍛えるチャンスにも恵まれ、自分の歌の魅力を客観的に見つめ直す機会にもなりました。『童謡唱歌』は、ポップスの歌い方とまるで違います。
僕は熱唱系の歌い方が得意なんですが、由紀さんと祥子さんが大切にされる『童謡唱歌』は、そういった自分のクセを極力殺して、小さな声でキレイに歌います。
これが非常に難しいんです。100回、200回練習しても“木山さん、まだできていない”と、何度もダメ出しされるんですが、それが勉強になっています。
歌に関して無限の課題が広がった感じです。『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系)も、僕の歌に対する向き合い方を変えるきっかけになりました。実は、一度出演を断ったんです」
『千鳥の鬼レンチャン』出演辞退から学んだこと
──えっ、そうだったんですか。それはまた、なぜですか?
「最初は曲のキーを変えて歌えると思っていたんです。でも、オリジナルキーでしか歌えないということがわかり、“今回は辞退させてください”と、お伝えしました。もし、僕が高音を振り絞って歌えたとしても、音を外して不合格になれば、歌手活動に支障が出ると思ったからです。
最近の曲は、僕に歌えないぐらいキーが高く、限界を超えています。番組ディレクターからは“収録まで時間がないので、困ります”と言われ、少し時間をいただいて、考えてみることにしたんです。
“そうやって断っているけど、お前は歌手やろ”と。“頑張って歌える曲を選んで、やってみるという解決策も考えられないのか”と、改めて自分に問い直してみたんです。
それで考え方を変え、最初選んでいた曲のほとんどを入れ替え、もう一度やってみることにしました。その結果、みんなに名前を覚えていただけるようになりました。
そこで反省したのは、“自分がこれでいいやと思ったら終わり”だな、ということです。自分が大切にするべきところは守り、それ以外を変えていく。
そういう柔軟性を持たないと、プロとして失格だと考えるようになりました。そのおかげで55歳ですが、今もちょっとずつ新たなことが積み上がっている感じがします」
あと10年は、納得できる歌を歌い続けたい
──これからの人生、どのような活動を行っていきたいとお考えですか?
「あと10年は歌手として活動したいですね。そのためにアルバムも出したいですし、いつかは本も出版したいと考えています。僕は物書きになりたくて上京してきたので、それは僕にとっては挫折した夢でもありますから、もう一度チャレンジしたいですね。
65歳を過ぎても、ずっと歌い続けたいと思っていますが、もし自分が納得できる歌が歌えなくなったら、きっぱり諦めて生き方を変えようと思っています。
漠然と考えているのは、社会を変える活動です。これも具体的に決めているわけではないので、どうなるかはわかりません。だからこそ、今は歌えるうちに多くの人に歌を届けていきたいですね」
(取材・文/西谷忠和、編集/本間美帆)
【PROFILE】
木山裕策(きやま・ゆうさく) 1968年生まれ、大阪府出身。2007年『歌スタ!!』(日テレ系)出演をきっかけにデビュー。翌年『home』でメジャーデビューを果たし、同年の『NHK紅白歌合戦』に出演。以降、歌手活動を中心に躍進し、2019年に独立。近年では歌手活動の他、学生・管理職向けの講演活動に加え、『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系)への出演が話題になるなど、多方面で活躍している。YouTuber→@user-yb7tq1cx3n、Instagram→@kiyamayusaku