今夜最終回(13話)の放送を控えている、話題のアニメ『地獄楽』(テレビ東京系)。江戸幕府11代将軍・徳川斉慶、元石隠れ衆最強の忍“がらんの画眉丸”、打ち首執行人・山田浅ェ門佐切など、史実をベースにしたと思われる要素がたくさん散りばめられている本作は、元ネタは何か? とたびたび話題になることも。
前半では、「和樂web」(小学館)の元編集長であり、『日本文化 POP&ROCK』の著者でもあるセバスチャン高木さんにご登場いただき、『地獄楽』の時代設定の奥深さ、忍者モノのセオリーや実情について解説してもらいました。
後半となる今回は、ヒロインである山田浅ェ門佐切の“打ち首執行人”の歴史やモチーフ、物語の核となる“不老不死”に焦点をあて、史実に基づきひも解いていきます。
【前編→TVアニメ『地獄楽』の物語から見る、“史実”のとらえ方は?時代設定の奥深さと、受け継がれる忍者のセオリー】
創作テーマとして愛され続ける、打ち首執行人
――まず、私たちが“史実”と思っているものの多くが、『仮名手本忠臣蔵』や『平家物語』などを筆頭に歴史をベースに語り継がれてきた物語であり、その物語を本来の歴史と捉えて史実化してしまう……そんな日本特有の文化が脈々と受け継がれてきたと前半で解説いただきました。以上を踏まえて、『地獄楽』が影響を受けたと思われる史実を辿(たど)っていきたいのですが、ヒロインの打ち首執行人・山田浅ェ門佐切にはどんなことを感じましたか?
「江戸時代には、幕府の御様御用(おためしごよう)として死刑執行人兼、刀剣の試し斬りを務めた山田浅右衛門という人がいました。ちなみに、山田浅右衛門とは歴代当主が襲名していた名前なので一人ではありません。
『地獄楽』に登場する山田浅ェ門佐切は、この山田浅右衛門がベースになっていると思うのですが、存在そのものではなく、例えば『首斬り朝』や『無限の住人』のように“山田浅右衛門がモチーフとなった物語”から影響を受けているのではないかと考えています」
――確かに、歴史マンガや小説において打ち首執行人・山田浅右衛門は昔からよく見かける気がします。
「打ち首執行人・山田浅右衛門は、創作のテーマとして非常に愛されている存在だと思います。まず、設定がドラマチックですよね。打ち首執行人は、御様御用として幕府から雇われているけれど幕臣ではなく、あくまでも“浪人”という立場で、幕府と浪人の境界線上にいる存在なんですよ。
また、江戸時代は超がつくほどの封建社会だったので、社会としては秩序を重んじる方向に動くのが常でした。一方で、罪人とはその封建社会からはみ出た、言わば混沌(こんとん)の側にいる者たち。打ち首執行人・山田浅右衛門は、秩序と混沌の中間で揺らいでいる立場でもあるんです」
――揺らぐといえば、山田浅ェ門佐切は打ち首執行人でありながら、殺すことの業に囚(とら)われ悩んでいましたね。
「佐切は死刑執行人の立場でありながら、罪人である画眉丸側に立つこともありますよね。『地獄楽』は打ち首執行人に、この秩序と混沌をつなぐハブの役割を担わせている点が非常に面白いなと思います。打ち首執行人と死刑執行人をバディにさせて複数人登場させたのも、この役割のためだったのかなと」
古代日本では「生と死」が主流? 不老不死への憧れは輸入された文化だった
――本作を語るうえで欠かせない、不老不死の仙薬が眠る謎の島「極楽浄土」。そもそも不老不死への憧れは江戸時代からすでにあったのでしょうか。
「まず、極楽浄土の設定は今も日本各地に伝わる『徐福伝説』がベースになっていると思います。秦の時代に、始皇帝の命により不老不死の仙薬を求め、中国から日本にやってきたとされる徐福のお話ですね。そして、“不老不死”というキーワードに関しては、日本発ではなく、中国から輸入された文化なのではないかと推測しています。そもそも古代日本では、不老不死ではなく「生と死」という考え方が主流なんです。
というのも、日本神話に登場する2人の神様が大きく関係しているんです。岩石を司ることから永遠の命を持つとされる石長比売(イワナガヒメ)という女神、そしてアマテラスの孫にあたる神・瓊瓊杵尊(ニニギ)との縁談話が持ち上がるのですが、ニニギは彼女を娶(めと)らなかった。つまり、ニニギは永遠の命を手にしなかったんです。その結果、人間に寿命ができた……なんて言われています。古代より人間には寿命があるととらえていたからこそ、不老不死ではなく生まれ変わりを目指すのが一般的な考え方だったのではないでしょうか。その後仏教の影響力が強まるとその考え方は輪廻転生へとつながります」
――輪廻転生という考え方が一般的だった日本で、どのようにして『徐福伝説』は伝わり、浸透していったのでしょうか。
「そもそも、『徐福伝説』に登場する徐福とは、紀元前3世紀ごろに不老不死の仙薬を求めて日本にやってきたと言われていますが、彼が本当に実在したのか? またどうやって日本に辿り着いたかはいったん置いておいて……。そこから約1000年後の唐の時代に、白居易という詩人が「海漫漫」という諷諭詩(ふうゆし※)の中で徐福について詠んだんです。白居易の詩は日本でも大変流行したので、その流れで徐福が日本に輸入され、次第に浸透していったのではないでしょうか。
※諷喩詩:白居易によって創作された社会風刺の言辞
つまり、徐福が存在したとされる紀元前3世紀ごろから約1000年後の唐で、彼の歴史がポエムとして再生産され、そのポエムが日本に入ってくる。そして、日本でさらに再生産されて継承していったのが現在の『徐福伝説』だと考えています」
歴史は物語に、物語は史実に、そしてマンガへと昇華されていく
――なんだか、前半でお話しいただいた『仮名手本忠臣蔵』と同じような展開ですね。
「現代まで語り継がれてきた『徐福伝説』は、その過程でたくさん変化を遂げてきたと思いますし、さらに小説や映画などで取り上げられることによって、さらにアップデートされていったのではないかなと。そういった脈々と受け継がれ、再生産されてきた「徐福伝説」が『地獄楽』のテーマとして取り込まれているのだと思います」
――私たちが史実と思っていたものの多くは、実は歴史を物語化したものだった。そしてその物語は幾度となく再生産されてきた……。歴史モノを見ているとつい史実との違いを指摘しがちですが、そもそも私たちが本当だと思っている史実ってなんなのだろうと考えさせられますね。
「日本は古代から現代に至るまで、歴史を物語として楽しんでしまう創作大国だった……これこそが日本の面白さだと思うんです。史実か創作物なのか、その境界線は曖昧(あいまい)だけれど、互いに影響し合いながら昇華されたものの最高峰がマンガだと思うんです。だから日本のマンガって世界に誇れるくらいおもしろいし、『地獄楽』のような作品が生まれるのではないかなと」
(取材・文/ちゃんめい、編集/FM中西)
【PROFILE】
セバスチャン高木 1970年生まれ。テレビの制作会社を経て小学館入社。「日本文化の入り口マガジン」をキャッチフレーズにした雑誌『和樂』と「和樂web」で編集長を務める。著者に『日本文化 POP&ROCK』(笠間書院)