私は、いまでこそ本の執筆を生業(なりわい)にしていますが、もともとは何の取りえもない、ただの会社員でした。
入社1年目に、アメリカ横断ウルトラクイズ(以下、ウルトラクイズ)で準優勝したことや、たまにテレビのクイズ番組に出ることがあったとはいえ、それだけで本を出せるようになるほど世の中は甘くありません。
では、そんな私がどうして本を出版し、累計販売部数が50万部を超えるまでの作家になることができたのか?
今回は、ただの40代会社員が「偶然の積み重ね」と「2人の恩人」のおかげで、作家になれた話。
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1人目の恩人はテリー伊藤さん!
子どものころから、自分が書いた文章やマンガを友達に読んでもらうことが好きだった私は、新卒入社した会社で広報部門に配属され、社内報やプレスリリースを担当するようになりました。
つまり、子どものころから好きだった「書いたものを読んでもらう」という仕事に就くことができたわけです。
もし、そのまま何も起こらなければ、たぶん定年まで、この会社にいたことでしょう。
しかし、入社して20年以上がたったころ、大事件が。
その会社が突然、解散(グループ会社のひとつでしたので、倒産ではなく解散でした)してしまったのです。
幸い、グループ会社の中の1社に転職し、無職にはなりませんでしたが、人生観が大きく変わり「フリーランス(作家)になる」ことを意識するようになりました。
そんな私が、作家に転身できた理由を考えたとき、編集者さんと本を買ってくださる読者のみなさん以外で、2人の恩人が頭に浮かびます。
まず1人目の恩人はテリー伊藤さん。
私のデビュー本は『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム社)という、舌をかみそうな長いタイトルの本です。複数の出版社さんに企画書を送った中で、アスコム社の編集者さんからオファーがあり、2012年9月、出版に至りました。
この本は、イチローや岡本太郎など、さまざまな有名人のエピソードをクイズ形式で紹介し、生き方のヒントにしてもらえるようにまとめたものです。
出版社としては、私のプロフィールの中の「アメリカ横断ウルトラクイズ準優勝」という肩書を見て、クイズ形式の本を出す人物としてギリギリ及第点を出してくださったのでしょう。
しかし、世間一般から見れば、どこの馬の骨かわからない無名の新人です。普通に考えれば、この本がヒットする可能性は極めて低いのが現実でした。
しかし、ここで奇跡が起きました。
この本が発売された、まさにその日の午前中。テレビの某情報番組の中で、テリー伊藤さんが、この本を取り上げてくださったのです!
もちろん、仕掛けてくれたのは本の出版元であるアスコム社さんです。しかし、テリーさんがノリノリで、この本に掲載されているクイズをゲストに出題する形で紹介をしてくださり、しかも「この本、面白いわ」と絶賛してくださったことが効きました。
発売前日は50万位台、放送直前は3万位に近かったアマゾンランキングは、放送後、一気に総合順位で22位にまで急上昇! まさにテレビ放送効果、テリー伊藤効果で、同書は発売日にブレイクしたのです。
2人目の恩人は大谷翔平選手
発売日にブレイクし、増刷にもなったものの、発売後、数か月もたつころには、少しずつ売上ランキングの順位が下がっていきました。
普通なら、そのままアマゾンの売上ランキングから姿を消し、私は「1冊だけ本を出したことがある、ただの会社員」で終わったことでしょう。
しかし、ここでまた奇跡が起こります。発売3か月後の2013年1月。『スポーツ報知』の紙面に、次のような内容の記事がデカデカと載ったのです。
“昨年のドラフト会議で日本ハムに指名されたゴールデンルーキー、大谷翔平が、プロ入り初のキャンプに、1冊の「考え方紹介」の本を持ち込み、一流を目指す!”
当時、まだ日本ハムファイターズの新人選手だった大谷選手が、プロ入り初のキャンプに、たった1冊だけ持ち込んだ本が『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』だというのです。
実は、大谷選手と仲のよいスポーツライターの方が、偶然にこの本を読んでくれて、プロ入り間近の大谷選手に「この本、面白いよ」とすすめてくだったのが事の真相。
理由はどうであれ、その新聞紙面には本の表紙がバッチリ載っていて、記事が掲載された途端、アマゾンの売上ランキングはまたしても急上昇! そのまま消えるはずだった同書は、ふたたび息を吹き返すことになったのです。
人生は、偶然の積み重ね
2人の恩人のおかげで、2回大きくブレイクしたデビュー本。
今度は、それを読んでくださった、かんき出版社の編集者さんから本の執筆のオファーがあり、デビュー本から1年後に、2冊目の本『大切なことに気づかせてくれる33の物語と90の名言』(かんき出版・のちに文庫版をPHP研究所から出版)を出すことができました。
この2冊目のヒットが、それ以降の本の執筆依頼への引き金になったのです。
別の出版社さんからも次々とオファーが入り、翌年には会社勤めをしながら5冊を出版。その後も、毎年執筆依頼が入り続け、デビュー本から5年後の2017年夏、会社を辞めて執筆活動に専念することになり、現在に至ります。
こうして振り返ると、私がいま50万部超の著者になれたのは、奇跡のような出来事の連鎖によるものでした。
〇仕事に満足していた会社が解散し、転職して仕事が変わったのをきっかけに、フリーランスを意識するようになった。
〇本の企画を、出版社(アスコム社)の編集者さんが気に入ってくれた。
〇デビュー本が、発売日にテレビで紹介され、辛口のテリー伊藤さんが絶賛してくれた。
〇大谷翔平選手が私のデビュー本を日ハムのキャンプに持参してくれて、偶然にそれを知った新聞記者が大きな記事にしてくれた。
〇デビュー本を偶然に読んでくれた、かんき出版の編集者さんから2冊目のオファーがあった。
もし、このうちのどれかひとつでも欠けていたら、いまの自分はなかったはずです。
改めて思うのは、すべての始まりは、長年勤めた会社が解散してしまったことでした。それが、まったく別の人生へのきっかけになり、2人の大恩人との奇跡的な関わりによって、うまく波に乗ることができたのです。
どこかの本で、こんな言葉を読んだことがあります。
「何か新しいことを始めるには、古い何かを捨てなければならない」
私の場合は、自ら捨てたわけではありません。しかし、仕事に満足していた会社が解散し「なくなった」ことで、「作家になる」という「新しいこと」につながったのです。
長い人生の間には、例えば真剣に打ち込んできた仕事とか、人生で「大切にしていた何か」を突然に失って、心にぽっかりと穴が開いてしまうことがあると思います。
しかし、がっかりすることはありません。それは、次の「新しい何か」が入る余裕が生まれたということです。
私はこれまでの経験から、“人生は偶然の積み重ねでしかない”と思っています。だったら、たとえ何があっても「よいほうに解釈した者勝ち」だと思うのですが、いかがでしょう?
蛇足ではありますが、私はいま、本の執筆のかたわら「いつかは本を出したいと考えている人」に向けたセミナーを不定期で開催しています。
それは、ひとりでも多くの方に、私が体験した「本を出すことの醍醐味」を知ってもらいたいと思っているからなのです。
(文/西沢泰生、編集/本間美帆)
【PROFILE】 西沢泰生(にしざわ・やすお) 2012年、会社員時代に『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)で作家デビュー。現在は作家として独立。主な著書『夜、眠る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』(三笠書房)『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)他。趣味のクイズでは「アタック25」優勝、「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」準優勝など。