2017年11月、年の差52歳という異色のヒップホップユニットが誕生しました。
その名は、『赤ちゃん婆ちゃん(MC玄武&MCでこ八)』!
実の祖母(MCでこ八)と孫(MC玄武)というコンビは、ヒップホップシーンにとどまらず多方面から注目を集め、大物ラッパーとの楽曲制作、数多くのメディア出演、引越センターのCMへの起用など、その存在感を強く放っています。
そんな2人のこれまでの人生遍歴や、ラップにかける思いを伺うべく、fumufumu newsでインタビューを実施。第1弾となる今回は、赤ちゃん婆ちゃん誕生の経緯と、ふたりの生い立ちをひも解いていきます!
幼少期は映画にのめり込んだ婆ちゃん・MCでこ八さん。芸人として松竹芸能へ
──MCでこ八さんは幼少期、どんな子どもでしたか?
MCでこ八(以下、でこ八)「突拍子もないことをよくする変なヤツでした。3歳のときに保育所を何回も抜け出しては、ひとりで映画館へ行くというのを繰り返すのが日課でした。あまりに抜け出すもんだから、園長先生も逆に感心してました」
MC玄武(以下、玄武)「それほんまか? まだ疑ってるけどな」
でこ八「ほんまほんま。んで、当時やってた東映映画がどうしても見たかったんですよね。美空ひばりさんとか。それでバッチリとセリフを覚えて帰ってきて、家で完璧に演じるような子どもでした。小学校にまじめに行きだしたのは5年生からで、それまではずっと映画漬けです。見てない映画はないくらい」
──映画好きだと俳優を目指しそうですが、でこ八さんは漫才師になられたんですよね?
でこ八「俳優になりたかったんやけど、周囲には無理やと言われていたんです。でも当時は素人の寄席に出ていて、漫談やモノマネでアマチュアとして活動してたんですよね。そこから漫才学校へ行って松竹芸能の先生に目をかけられたのが、漫才師になるきっかけです」
──松竹芸能からのスカウトだったんですか!
でこ八「はい。周囲から猛反対されましたけどね。当時は、潰しがきかない仕事だと思われていたので。でも、まだ私も若いから、スカウトされたらその気になって、どうしてもやってみたいと思い、その道に進みました」
芸人からラウンジのママに転身。MCでこ八さんの「自分でできるやん」の精神
──そのときは舞台にも出ていたんですか?
でこ八「それが、俳優の学校へ行ってもなかなか舞台には出られないんですよ。だから寺を借り切って独演会を開きました。先生には怒られましたけど、“なんかしでかすヤツがいる”と噂(うわさ)になって。当時は落語家の三代目笑福亭仁鶴さんも見に来てくれていました。
でも本当は俳優になりたかったし、芸人としてやるならピンで漫談をやりたいという意識が強かったんです。それで自分のショーをやりだした結果、水商売の道に入ってラウンジのママになりました」
──なるほど。自分がやりたいことを突きつめた結果の道だった。
でこ八「そうです。当時はショーができる場所なんて全然なかったんで、自分のショーをやりたいがために始めました。こんな風に自分で道を切り開くのが好きなんですよ。漫才師だったときは、舞台に出たいから大阪の『箕面温泉スパーガーデン』まで通って、“出してください”とお願いしました。“舞台の掃除するから、幕間(舞台の幕が下りた休憩時間)で出してくれ”って交渉して。それで向こうが折れて、ようやく舞台に出してもらいました」
──それもまたすごい根性というか執念ですね……。
でこ八「待つのがとにかく嫌いなんですよね。“なんでもぜんぶ自分でできるやん”って思うんですよ。今この歳になっても、この考えは変わってないですね」
MC玄武の初ライブで「これならできる」と、『赤ちゃん婆ちゃん』を結成
──では、MC玄武さんがラップにのめりこんだきっかけは何だったんですか?
玄武「生まれた場所が向島で、ラッパーのANARCHY(※1)さんと同じ場所だったんです。兄から地元のスターだよって名前だけ聞いていて、中3のときに、テレビ番組『BAZOOKA!!!高校生RAP選手権』(※2)で初めてANARCHYさんのライブを見たのがきっかけで、ラップを始めました」
※1 ANARCHY:2000年代初頭からラップシーンをけん引してきた人気ラッパー
※2 BAZOOKA!!!高校生RAP選手権:全国の高校生でいちばん強いラッパーは誰なのかを決める番組。人気ラッパーを数多く生み出している、若手ラッパーの登竜門的大会
──では、おふたりが『赤ちゃん婆ちゃん』を組むきっかけは?
玄武「地元のサイファー(※)に参加したんですけど、そこで先輩から“ライブに出たら?”って誘われたんですよね。それで曲を作って初めてのライブをする日に、でこ八が見に来てくれたんです。僕にとって、でこ八は初めてのお客さんであり、それがきっかけで相方になりました」
※サイファー:広場などでラッパーが集まり、円になってフリースタイルラップをすること
──そこがきっかけだったんですね。でこ八さんはなぜライブを見に行ったんですか?
でこ八「私は昔ラウンジにいたから、箱の雰囲気は全然怖くなかったです。でも、やっぱりヤンチャな人もいるし、玄武がそこでなんかあったら嫌だから、見守る感じでついていったんです」
──確かにラッパーって漠然と怖いイメージがあるかも……。実際はどうでしたか?
でこ八「みんな、すばらしかった。行儀のいい子たちばっかりで、もともと持っていた偏見がなくなりました。あと、音楽を聴いてると“簡単そうやし、これやったらできるやん”って思ったんです(笑)。それで、私もやりたいって玄武に言いました」
玄武「ライブの翌日には僕が誘い返して、結成に至ります。初めてサイファーに参加してから2か月の出来事です。完全に勢いで進みましたね。でも、今思えばそれがよかったんじゃないかなと思います」
──なかなか異色なコンビだと思いますが、周囲の反応はどうでしたか?
でこ八「家族はみんな応援してくれていますね。反対意見も特になく。なんなら、“もっとこうやったらええんちゃうか?”って、アドバイスをしてくれるくらいです」
玄武「おばあちゃんとやってるというと、だいたい驚かれますね。まぁ、でも特に悪く言われたりとかはしなかったです」
異色コンビの誕生。HIDADDYら人気ラッパーも初期から注目
──結成して曲を作っていくことになると思うのですが、でこ八さんが歌詞を考えられたんですか?
でこ八「そうですね。思い立って1時間とかで書きました。その歌詞をHIDADDYさん(※)が面白いと言ってくれて、手直ししてもらいつつ、楽曲やPV撮影のお手伝いまでしてもらいました」
※HIDADDY(ヒダディー):人気ヒップホップグループ『韻踏合組合(いんふみあいくみあい)』のメンバー
玄武「同じ関西エリアで活動しているので、向こうも噂で知ってくれてたんですよね。それで声をかけたら、YouTubeの企画で来てくれたんです」
でこ八「若い子たちのなかでも、おばあさん世代をうっとうしいと感じる子は多いと思うんです。でもHIDADDYさんは物めずらしさもあったでしょうけど、歌詞も書いてライブにも出ているわたしらを見て、目をかけてくれたのかなと」
──キャラクターだけでなく、活動内容も含めて評価されたということですね。ちなみに、おふたりはプライベートでも仲よしなんですか?
でこ八「……」(玄武の方を向き、真顔で見つめる)
玄武「仲悪いんちゃうかって疑われるやろアホ」
でこ八「家族みんな仲はいいですわ。ちょっと孫(玄武)はあれやけど(笑)」
◇ ◇ ◇
でこ八さんがボケると、冷静に玄武さんがツッコむなど、仲のよさが感じられ、終始和やかに進んだ『赤ちゃん婆ちゃん』へのインタビュー。孫と祖母という関係以上に、相棒としてお互いへのリスペクトを持っているふたりだと感じました。
インタビュー第2弾では、『赤ちゃん婆ちゃん』のラップへの向き合い方、そしてヒップホップシーンについて、ふたりが思うことを伺いました。
(取材・文/翌檜佑哉)
【PROFILE】
赤ちゃん婆ちゃん(MC玄武(げんぶ)& MCでこ八):MC玄武2002年生まれ。MCでこ八1950年生まれ。祖母と孫による年齢差52歳の異色のコンビ『赤ちゃん婆ちゃん』を2017年11月に結成。その異色さだけでなく、デビュー曲からHIDADDYやAKIO BEATSといった、関西のラップシーンで活躍する豪華メンバーを製作陣に迎えたことでも話題になった。和の要素を取り入れたオリジナリティの高い楽曲でヒップホップファンの注目を集めている。代表曲に『天国と地獄』『金くれよ』などがある。
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCMa1Kvkl14nqCQl3LQGuZAA
Twitter:MC玄武(@MCgenbu)、MCでこ八(@QpCcbZa3Ul3HL82)