1982年から日本のディープな深夜を盛り上げてきた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)が、3月31日を持って幕を下ろす。タモリさんご自身は「いや、なんてことないただの1日だよ」なんて飄々(ひょうひょう)とおっしゃいそうだが、ファンとしては「バラエティ史における大きな変化だ」と言いたくなる出来事である。
そんな歴史的番組の人気コーナー「空耳アワー」を番組開始から終了までデータベース化し続けた、空耳アワー研究所所長の川原田さんへのインタビュー。後編では番組終了にあたって感じていること、空耳アワーの観点から感じたタモリのスゴさについて語っていただいた。
【前編→『タモリ俱楽部』空耳アワーをまとめ続けて3500曲。名物研究家が語る神曲は?】
だんだんとコンプライアンスを意識していたのを感じた
──前編では川原田さんが「空耳アワー辞典」をまとめ始めるに至った経緯を教えていただきましたが、やはり1992年の初回放送をリアルタイムで見たのがすごいなぁと思います。
「もともと空耳アワーより先にタモリさんが好きだったんですよ。それで『タモリ倶楽部』は見ていたんです」
──そうなんですね。実は私もここ10年くらい毎回録画予約していたんですよ。空耳アワーでは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(※)の空耳が印象深くて……「ナゲット割って父ちゃん」とか(笑)。
※レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン:アメリカ合衆国のロックバンド。社会派のメッセージを含んだ楽曲が特徴。空耳アワーでは3回連続グランプリを受賞している、番組の代表的な存在。
「おもしろかったですよね。あのバンドはかなり社会派ですよね。ちょっとギャップが大きすぎて“番組で取り上げていいのかな?”と思っちゃいました。
ただ原曲の重々しいテーマを空耳として軽快に笑い飛ばす感じが、番組のテーマに合っている気がしていましたね」
──そうですよね(笑)。空耳は元の歌詞やアーティストのカッコよさとギャップが大きいほどおもしろかったです。
「ただ最近はコンプライアンスが厳しくなってきて、影響を受けていた気も若干します。ジェンダーにまつわるワードや、ちょっとブラックなVTR(ビルから飛び降りる等)は少なくなってきていたような気がしますし….。
空耳アワー自体は言葉遊びじゃないですか。だからNGワードが増えるとおもしろさの幅が減っちゃうのは間違いなくて……。ファンとしてはコーナーとしてやりにくかったんじゃないかなぁ、と感じました」
──いま考えると、そこを軽快なギャグととらえられる人が楽しめる番組だったんだろうな、と思います。
「そうですよね。いい意味でコーナー自体に深みもなく、考えもないですからね。もう放送が終わったら忘れているという(笑)。あの軽快さが”粋”というか、素敵でした。
タモリさんの言葉に“適当がいちばん”とか“やる気があるものは去れ”というフレーズがありますけど、コンプライアンスが厳しくなるほど、その飄々さが際立っていましたよね」
「もう自分で見つけられるでしょ」という番組からのメッセージ
──空耳アワーだけでなく、タモリ倶楽部自体もお好きだったんですね。
「そうですね。もちろん大好きで気がついたら今まで見続けてきました。
大量生産・大賞消費のメインストリームだけじゃない、普段は焦点の当たらないサブカルチャーのよさというか……。“こういう分野もおもしろいんだよ”と取り上げてくれる番組はあることはあるんですが、対象者をリスペクトしタモリさんの私見も交えつつ、中身の濃い内容で、しかも堅苦しいわけでもなく絶妙な塩梅で紹介してくれる番組は他にないんじゃないかなぁ、と思いますね」
──とてもよくわかります。ゴールデン番組にはない、ディープさがたまらなかったです。
「番組終了にあたって“番組としての役割は果たした”というコメントを出していたんですけど、すごく腑(ふ)に落ちましたね。40年にわたって番組で二ッチな世界の魅力を示してくれて“あとは自分で楽しめるでしょ”と言ってくれてるような気がするんです。
たしかに今はどんな世界でもSNSで認知できるようになりました。昭和・平成のときはタモリ倶楽部というメディアでしか扱われなかったサブカルチャーも、今はYouTubeで調べられます。こうした時代背景も含めて、40年の節目で“役割は果たした”と宣言したのかな、と私は思いました」
──なるほど。すごく腑に落ちますね。実際「空耳」に関してもニコニコ動画でブームになっていた時期がありました。あれはまさしくタモリ倶楽部で空耳のおもしろさを学んで、自分たちで実践した感じですよね。
「そうですよね。ニコニコ動画のコメントで空耳っぽい英語が聴こえて、それがコメント(通称:弾幕)で流れるのって、最適な仕組みだと思います。
ニコニコ動画は時間経過などによってコメントが消えていくけど、おもしろい空耳は常に残っているんですよ。つまり何年たっても“この空耳はみんなに知らせなきゃ”という思いで、誰かが常にコメントを残しているんですよね。それによって公開当初は優劣乱立していた空耳が、時間の経過とともに質の高い空耳だけになるんですよ。プログラム制作者は意図していないかもしれませんが、空耳にとっては画期的な仕組みだと思います。
そのほかにもダムや工業地帯の夜景など、タモリ倶楽部ではずっと前に特集していた企画が、今や普通に観光ツアー化されています。タモリさんをはじめ、スタッフの方の目のつけどころが鋭かったからこそ、時代を先取りできたんでしょうね。
だからわれわれも“タモリ倶楽部が終わって寂しい”と嘆(なげ)くのではなく、タモリさんに教わった楽しむための”コツ”を自分たちで育てていくべきかもしれませんね」
──前向きで素敵な言葉です。たしかにSNSが発達する前は、メインストリームとサブカルチャーで二極化していた。でもコンテンツが増えては廃(すた)れる現在は、メインもサブもなくいろんなコミュニティが膨大に存在している印象です。
「そうですよね。そういう意味でもタモリ倶楽部のようなテレビ番組はもう出てこないかもしれませんね。Twitterで“タモリ倶楽部が終わったらテレビ見ない”というコメントもありました」
空耳アワーはタモリさんだから成立した
──空耳アワーを誰かに引き継ぐのは難しいんですかね。個人的には川原田さんにYouTubeでやってほしい(笑)。
「いやいや(笑)。フォーマットがあるので、ただやるだけなら誰でもできると思いますけどね。でもやっぱりタモリさんでないと意味がないと思います。
四ヶ国語麻雀に出てくるインチキ外国語とか、ハナモゲラ語とか、あとはつぎはぎニュースとか、45回転のレコードを33回転にして遊んだりとかね……。なんというか、言語学や冗談音楽を使って革新的な遊びをする第一人者だと思うんです。そんな人がホストをしていることに意味があるんじゃないかなぁと思います。
だから評価はちょっと辛口なときもあるけど“タモさんが言うならそのとおりだろう”って納得できます」
──すごくよくわかります(笑)。
「実は空耳アワーが始まる15年前、1977年にリリースした『タモリ』というデビューアルバムで、タモリさんはキューバ音楽の『キサス・キサス・キサス』を空耳の日本語で歌ってるんですよね。
空耳アワーは32年ですが、タモリさん自身“外国語の発音を日本語に置き換える遊び”はもう45年くらいやってらっしゃるんですよ。そんなタモリさんだからこそ、みんな納得して見られた。だから、誰にも引き継げないと思います」
──なるほど。でもそんなタモリさんのユーモアを、これからは番組ファンが引き継いでいくことが大事だと。
「そんなメッセージを発している気がします。でも“一所懸命、おもしろいこと探すぞ”と意気込むのではなく、ただ普通に生活するだけで見えてくると思います。ファンとしては、番組を見るなかで自然に“目のつけどころ”を学んでいると思うので。
私自身、32年間空耳アワー辞典をまとめるにあたって他人にはどう見えているかわかりませんが奮起したことはないですからね。ただ自分が楽しいからやっていたわけです。
これから最終回で放映された分をまとめて、次のコミケでファンのみなさんと交流できるのを楽しみにしています。あとは今後、特番で復活するのを楽しみにしようかな、と思います」
タモリ倶楽部から学んだ「真に自由な生き方」
「32年間、空耳アワー辞典をまとめるにあたって奮起したことはない。ただ自分が楽しいことをやっていただけ」。川原田さんの最後の言葉が印象的だった。決して頑張らず、ただ楽しいことを無理なく続ける“タモリイズム”を感じた。
「タモリという人間はたまらなく素敵だ」。テレビやYouTubeを見るたびにそう思う。笑わせなきゃいけない芸人、演じなきゃいけない役者、撮れ高を気にしなきゃいけないYouTuber、映えなきゃいけないインフルエンサー。ぱっと見、自由っぽく聞こえる「好きなことで生きていく」という言葉は、もはや死語となった。気づけば肩書きに縛られ、背負った”業”をまっとうしようと頑張っちゃう。心から好きだったはずなのに、気づいたら居場所を守るために”努力”をしてしまっている。
その点、タモリほど真に自由な人はいない。決して無理をしない。タモリ倶楽部でもそうだ。冒頭で「私は初めて見るんですが」と言いながら、早速「へぇ、おもしろいねぇこれ」と笑い、空耳アワーに入るころには夢中で遊んでいる。共感できないことは「いやいや、おかしいよこれは」とツッコむ。
そんな正直なタモリの姿を何度も見てきた。つい「これからも見ていたかった」と言いたくなる。でも川原田さんの言うとおり、私たちファンはもう甘えちゃいけない。タモリ倶楽部で養った”ものの見方”と”好奇心”を使って、これまでどおり流浪のように飄々と暮らす。「ただ生きている中でおもしろいことが見つかった」くらいがいい。
そんなセンスを磨かせてもらったタモリ倶楽部に、あらためて感謝を伝えたい。
(取材・文/ジュウ・ショ、編集/FM中西)