新型コロナウイルス感染者数が増加のため、オンライン取材となった今回。定刻になるとモニターの画面には、若々しいパーカ姿の男性が現れたのだが……。この人が、40代も続く京都の寺の副住職!?
彼の名は稲田ズイキ。京都府久御山町にある浄土宗・月仲山称明寺(げっちゅうざん しょうみょうじ)の僧侶であり、宗派を超えた僧侶らが集まって作ったフリーペーパーの編集長や、ハロー! プロジェクトのプロデューサーであるつんく♂の世界観を仏教で例えたテキストを書いて、バズって話題となった自称「煩悩クリエイター」だ。
君は編集の才能がある! その言葉を信じて働きたいと直訴
──袈裟(けさ)を着ているわけではないのですね。
「みんなあの格好のままではないですよ(笑)。『fumufumu news』って主婦と生活社さんですよね。僕、新卒で就職したIT会社で、営業だったんです。主婦と生活社さんの広告枠の販売のお手伝いをしていたこともあるんですよ。でも僕は在籍期間が短かったので、仕事をほぼ学ばないまま辞めてしまったようなところがあるのですが……」
──ご実家がお寺ということで、子どものころから住職になるつもりでしたか?
「いろんなお寺が世の中にはあるのですが、うちは僧侶の仕事だけでは生活ができないお寺なんですよ。京都の田舎の小さな町にある寺なので、檀家さんの法事とかお布施だけではなかなか生活が成り立っていかなくて。うちの父もサラリーマンをしているし、おじいちゃんも役場で働きながら、住職していました」
──お寺を継ぐという予定がありながらも、就職は必然的だったのですね。どういう経緯で最初は就職したのですか?
「学生時代にブログを書いていたんですが、新卒で入社した会社の説明会を受けたときに、それを見た編集者から“君は編集者の才能がある”って言われたんです」
──稲田さんが新卒で入社された会社はウェブメディアも運営しているので、編集者としての道もあったんですよね。ブログにはどういった内容を書いていたのですか?
「モーニング娘。の歌詞を仏教的に読み解くっていう内容で、知らぬ間にバズっていたんです。最初は月間5PVだったのが、最後には5万PVくらいまで伸びて。それを見せたら、“2つの異なるコンテクストを結びつける能力がある。それが、編集の力”と言われたんです。編集が向いているならやってみたいと思ったんです」
──そこから内定につながるんですか。
「実はその編集者の人が“地元が京都なら、京都支社がバイト募集しているから行ってみなよ”って言ってくれて。説明会しか行ってないのに(笑)。しかも、“面白いからノンアポで、明日行ってみれば?”って言われたんです」
──それで、本当に行ったんですか?
「僕の就活のテーマが”常軌を逸する”だったんです。文系大学院に通っていたので、就活で苦労すると周りから言われていたので、普通のことをやっていても受からないだろうなって思っていました。それで、次の日に京都の支社に行ったんです。会社って、受付みたいのがあると思ったら、扉を開けたら電話がポツンってあって、その奥がすぐオフィスで誰もいない。会社のオフィスの入口前で待っていたら、スキンヘッドの人がいたんです。“君と同じお坊さんがいる”とだけ聞いていたので、この人だと思って“バイトさせてください”って言ったら、ドン引きの表情をされて……。後で聞いたら、その人は“刺される”って思ったらしいですよ(笑)」
──いきなり道場破りみたいな訪問ですよね(笑)。相手はどういった対応をされました?
「“バイトしたかったら内定を取ってきなさい”って言われて。だから順序が逆になっているんです。就職したかったのにバイトに入るために就活を頑張ったんです。就職の面接でも“僕の強みは行動力です。次の日に訪問しました”って言ったら、説得力がありましたね」
──そこまでして入社されたのに、1年で仕事を辞めるのは未練がなかったですか?
「編集者になれると思って入社したのに、会社としてはオールマイティになんでもできる人材になってほしいという思いがあったみたいで、配属されたのは広告を管理する仕事でした。でも、ずっとエクセルをにらみっぱなしで日に日に心が死んでいったんです。フラストレーションがたまっていたとき、ちょうど会社の同期とウェブマガジンを立ち上げて、そこで書いた記事がバズリ始めたり、お寺で映画(注:寺主制作映画『DOPE寺』)を撮影していたらいろいろな人脈ができた。信頼していた友達から“稲田だったら一人でやっていけるよ”って言われて次の日に辞表を出しました」
──行動力がありますよね。
「その後は、近所の友人のワンルームに居候して。床で寝ていて、1日200円という契約で住まわせてもらっていました。友人に彼女ができて“そろそろ出ていってもらいたい”って言われて。半年間、出家ではなく“家出”と称してSNSで声をかけてくれた人の家に泊まり歩いていました」
──会社員から、仕事を辞めて放浪。なにか目的があったりしましたか?
「憧れじゃないけれど、奥田民生が《さすらいもしないで このまま死なねえぞ》(『さすらい』)って歌っていたので。《このまま死なねえ》って、さすらいの先に何があんねんって思って。それが理由ですね」
会社勤めがつらいのは、人間関係。僧侶の修行は助け合い
──子どものころから、仏教の勉強に触れていたのですか。
「正式にお坊さんになるためには修行をして資格を取らないといけなくて、僕は大学3年から修行に行き、大学院の修士課程1年の12月に終わりました。3年で100日くらいです」
──では、会社勤めと僧侶になる修行、どちらがつらかったでしょうか。
「仕事のつらさって、先輩からどう思われるとか、評価されたいとか、人間関係でしんどくなっている部分がある。僧侶の修行は、肉体的にしんどい。ペーパーテストや作法のテストはあるけど、どちらが上というような評価はされることがない。己の心とただただ向き合うんです」
──己の鍛錬なのですね。
「修行には、60、70歳でお坊さんになりたいという人もいて、彼らも同じ釜の飯を食う仲間。いろんな年齢層の人がいる免許合宿みたいなもので、毎日、膨大な量の知識を詰め込まれる。実は最初に“助け合え”と言われたんです。困っている人たちを置き去りにしたままでは、本当の修行にならない”と。僕の宗派では、“全員で救われよう”という性質が強いんです」
モーニング娘。で自我が覚醒。ブッダAIで大バズり
──子どものころから、これがやりたい! というような意思が強かったのですか。
「いやいや。僕、ずっと自我がなかった。鏡を見るようになったのが高校生くらいだから、それまでずっと口も開いていたんですよ。僕、母乳を6歳まで飲んでいたんです。おじいちゃんたちも不思議がって“ほんまにおまえ、(お母さんの乳)出てる?”って聞いてきた記憶があります。僕は毎回“出てる”って答えていました」
──面白いご家庭ですよね。
「乳離れは、初めての自我の芽生えだっていう説があって、そう考えると僕は人よりも5年くらい遅いんですよ。高校くらいまでわからなかった。自分というものが」
──そこから、どうやって自分というモノに対峙(たいじ)できるようになったのでしょうか。
「小4で『ミュージックステーション』に出ていたモーニング娘。の加護ちゃんを見た瞬間に、“すごいのがいる!”って覚醒したんです」
──初恋みたいなものですかね。
「そうです。その日の晩に母に、“年齢差があっても結婚ってできるの?”って聞いたんです。母は“頑張ったら加護ちゃんと結婚できるかもしれないわね”って言っていました」
──著書『世界が仏教であふれだす』(集英社)の中で、ハロープロジェクト! の世界観を仏教に例えたりされていますが、周りから不謹慎という反応は出ませんでしたか?
「あまりなかったですね。学生時代には、ブッダのAIを考案したと書いた記事がバズったこともあるんです」
──どういう内容でしたか?
「7000くらいあるすべてのお経をディープランニング(注:人工知能)すれば、擬似的にブッダの人格みたいなものが造れる“釈迦Alpha”という内容を書いたんです。うちの寺のブログがあったので、“そこに載せてもいい? ”って聞いたら、親が“この内容はうちのブログなんかに載せるのがもったいない。別の媒体に寄稿しなさい”って言ってくれたんです。そこで、『インターネット寺院・彼岸寺』というインターネット上のお寺を模したサイトに寄稿しました」
──反響はいかがでしたか。
「そうしたら、バズりすぎて寺のサーバーを落としたんです」
──それは見事ですね!
「寺を落としたぞ(笑)って。でも地域のお坊さんのLINEグループがあって、メンバーが80人くらいいるんですが、若いお坊さんがその記事を見つけてくれて、“稲田君がこういう記事を書いています”ってメッセージを送ってきた。既読79なのに、ノーコメントだったんですよ(笑)」
寺は沈みゆく斜陽産業。生き残る手段とは?
──かつては、僧侶が表立った活動をされると檀家さんなどから批判されることもあったと思うのですが……。
「『フリースタイルな僧侶たち』(注:稲田さんが編集長を務めるフリーペーパー)が創刊された13年前はそういう空気だったそうです。“お坊さんは前に出るべきではない”って言われていた。でも今って、僕以外もそう。みんな必死なんですよ。寺は沈みゆく斜陽産業。業界だってそれを意識している。いろいろやってて当たり前という空気を檀家さんも持っているところは多いですね」
──寺を継がないという選択肢は考えたりしなかったのですか?
「歴史の中の一部であるのを選ぶのか。自分の人生を大事にするのか。僕は常に中間をとっている。どんなものに対しても、精いっぱい愛せる角度を見つける。そういう人生なんだと思います」
──今は、住職をされながら作家活動をしたり、ちょうどいいバランスなのでしょうか。
「なぜか今、漫画原作やキャラクター原案の依頼などもあり、もともとやってみたい仕事ができているのですが、計画を立てて動かなくても望んでいたものが叶った形なんです。希望を持っているとそういうチャンスに恵まれると思う。誰かが差し伸べてくれた手をつかんで、期待に応えていく」
──チャンスをつかむ方法ってあるんでしょうか。
「チャンスを見逃さないことですかね。そのためには幼少時の、一番古い記憶をたどることが大事だと思っています。そのとき好きだったものって、その人の初動を作っているから。純粋なその人の欲望というか願いが、何気ない日常の一瞬をチャンスとして見せてくれるんですよ」
自然体に見えて、実に的確に世相を読む力。まさに今の時代に必要な能力を、稲田さんは生まれつき兼ね備えているのかもしれない。第2回では、つんく♂を始めとするジャパニーズカルチャーからみる仏教観について語ってもらった。
(取材・文/池守りぜね)
《PROFILE》
稲田ズイキ(いなだ・ずいき)
僧侶。1992年、京都久御山町の月仲山称名寺生まれで副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、アーティストたかくらかずきとの共同プロジェクト「浄土開発機構」など、時々家出をしながら、多方面にわたり活動中。フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の編集長。